十五夜

「むぅぅーーー! んうぅぅうー!!」

 桃太郎の背中からくぐもった声が聞こえる。

 その正体は口に猿グツワを噛まされた猿。両手足を木の枝に拘束された豚の丸焼きスタイルで運ばれている。


「ジタバタするなって」

 暴れまくった猿の口から猿グツワが外れた。すると荒々しい呼吸を繰り返しながら甲高い声を桃太郎に浴びせる。

「やいっ、てめぇ! 何様のつもりだ!」

「また一緒に旅がしたくなったんだよ」

「だったら普通に歩かせろ!」

「そしたら逃げるだろ」

「あったりまえだ! 寝込みをいきなり襲いやがって! やってることが鬼より鬼畜じゃねぇか!」

「悪いな」

 サラッとした返事に猿は思いっきり暴れるが、手足の縄は頑丈で外れる気配がない。

 キーキーとした声も獣避けになるとポジティブに捉えた桃太郎は、猿の罵詈雑言を無視して山越えに集中した。


 桃太郎は一週間かけてかぐや姫の暮らす家屋まで戻って来た。

 空を見上げれば煌々とした満月が地上を照らしている。

 それだけでも十分な光源だったが、かぐや姫の家の周りにはたくさんの篝火が焚かれていた。たくさんの兵士が家を守る物々しい雰囲気の中、桃太郎は臆することなく進むが、

「止まれ!」

 当然猿を背負った謎の男が通れるほど警備が緩いはずがない。

「おーい、かぐや姫ー! 頼まれた逸品を持ってきたぞ!」

 兵士を無視して叫ぶと家の中から翁が顔を出した。

「来い!」

 その声に兵士たちが道を開けると、翁の大きな背中からかぐや姫が顔を覗かせた。


「それはなんですか?」

 猿を謙譲するとかぐや姫は案の定訝しむ。

「ご注文のだ。なるべく新鮮なのがいいと思って生きたまま持ってきた」

 桃太郎が刀を抜くとスヤスヤと眠りこけていた猿が身の危険を察知して目を覚ました。

「……ん? おいおい、血迷ったか!? オレだぞ、オレ!!」

 刀を振り下ろそうとしたその時、かぐや姫が桃太郎の腰に飛びついて阻止した。

 バランスを崩した桃太郎の刀は猿の頭スレスレを通過する。

「お止め下さい! わたくしが望んだのはです」


 一週間の時を経て間違いに気付いた桃太郎は、刀で猿の手足を縛っていた縄を斬った。


「まぁ……なんつーか、こんど美味いもんおごってやるよ」


 背中を優しく叩いて村に帰るよう促すが、当然猿の怒りは収まらない。

 飛び跳ねたり引っかいたりと大暴れの猿だったが、首根っこを翁に掴まれるとすぐに大人しくなった。

「お前喋れるのか……」

 お目当ての逸品ではなかったが、人間の言葉を話す猿に翁とかぐや姫は興味津々の様子。

「なぁ姫、面白い猿を見せてやったんだ。俺の話を聞いてくれよ」

「……いいでしょう」

「よっしゃ! 実を言うと俺は桃から生まれたんだ。姫は竹から生まれたんだろ、俺たち似た者同士だと思わないか?」

「桃から……」

「ってなると必然的に俺と姫を桃と竹の中に閉じ込めた輩がいるわけだ」

 困惑するかぐや姫を置いて桃太郎はどんどん話を進める。

「俺と一緒にそいつを見つけて復讐しようぜ!」

 桃太郎は笑顔で握手を求めた。


「わしの可愛い娘が復讐などに加担するかぁ!!!」

 ブチ切れた翁のストレートが飛んでくるが、桃太郎はそれをスウェーでかわす。

「俺は姫に聞いてるんだ」

「非常に興味深い話ではありますが、旅に同行することはできません」

「おいおい、どうしてだ!? 今ならこの楽しい猿も付いてくるぞ」

「てめぇ、何勝手に──」

 桃太郎によって猿の抗議が遮断される。


「旅に出たいという気持ちはありますが、わたくしは今宵月に帰らなければなりません」

「月ぃ??」

「わたくしは月の国出身で、直に迎えが来ることになっています」

 突拍子もない話に桃太郎が困惑していると、両手から抜け出した猿がケラケラと笑う。

「相変わらず女性の気持ちを理解してねぇな。お前は遠回しに断られてるんだよ」

「いえ、そんなことはないのですが……」


 その時、外で待機していた兵士が声を上げた。

 月を見上げる兵士に釣られて全員が上空に視線を向けると、小さな黒い点が地上に向かって下りてきているのが確認できる。

 月から地上を結ぶ光柱が現れ、一帯が明るく照らされた。


「構えろぉ!!!」

 翁の号令に従って兵士が一斉に弓を引く。

「まだ射程外だ、もっと引き付けろ」

 しかし矢が空に向かって放たれることはなかった。


 青筋を立てて空を睨みつけていた翁が脱力したようにその場にしゃがみこむ。

「マッチョじい? 猿!?」

 桃太郎が声を掛けても虚ろな瞳で一点を見つめるばかり。

「おい、姫! 一体全体なにがどーなってんだ!?」

「あれは月に暮らす天人。わたくしを月に連れ戻す為に地球にやってきたのです。天人の特殊な力の前では人間は無力に等しく、戦うことすら叶いません」

 兵士たちの手からスルスルと弓が滑り落ちる。


「全てはわたくしが招いたこと……」

 かぐや姫は翁の手を取ると涙ながらに感謝と謝罪の言葉を述べた。

「願いが叶うならおじい様と一緒にいたかった……」

 3名の天人が地上に降り立つ。

「これが地球……醜い星だ」

「汚れた星に汚れた人間。反省させるには丁度いい」

「早く連れて帰ろう。我々も汚れてしまうぞ」

 天人によって取り囲まれたかぐや姫は最後の抵抗を見せた。

「も、もう少しだけ時間を下さい。せめておじい様に手紙を残しておきたいのです──」

「駄目だ。早くこの天の羽衣を着ろ」

「嫌です! それを着たらわたくしがわたくしでなくなってしまう!」

「どうやら汚れた星に置いたのは間違いだったようだな」

「月に戻ったら人格矯正を受けてもらうぞ」


 かぐや姫に伸びる魔手を、


「おい──」


 桃太郎は容赦なく刀で斬った。


「う、うぎゃぁぁっっっっ!!!」

「うるせーなぁ! 喚くのは猿だけで十分なんだよ!」

「なんだ貴様は!? なぜ普通に立っていられる!!」

「あぁ? そりゃ俺だって不思議だよ。でもこの状況から推測するとなると、どうやら俺も月の住人らしい」

 予想だにしなかった存在を前に天人たちは狼狽している。


「とにかく来い──ぎゃあぁああっっ!!」

 かぐや姫に伸びた手をまた斬った。生かしておくべきだと頭では理解しているのに、体が勝手に天人を斬り刻む。

 鬼を血祭りに上げた時の記憶がフラッシュバックすると、桃太郎の口角は不気味に吊り上がった。

「天人ってのも血は赤いんだなぁ!」

 斬る! 斬るッ! 斬るッッ!!

 かぐや姫を助けるという当初の目的は忘却の彼方へ押しやられ、渇きを満たす為に斬り続けた。


 衝動が静まった時には三つの肉塊が転がり、足は血溜まりに浸かっていた。

「ふぅ……怪我してないか?」

 返り血だらけの顔で問いかけると呆然としていたかぐや姫も我に返る。

「はい……平気です」

「死体を前にしても悲鳴の一つも上げないなんて姫は強いな」

「いえ、色々と頭が混乱していて処理が追いついていないだけかと」

「そうか。俺ちょっと顔洗ってくるから、落ち着いたら話をしよう」

 桃太郎は血塗れの刀を懐紙で拭うと満足気に刀を鞘に納めた。

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