少女・覚醒
長い眠りから覚めた気分だった。いいや、実際に、長い眠りから覚めたのだろう。途轍もなく強い倦怠感に、石のように固まってしまった関節。少しでも身体を動かそうものなら、あちらこちらから酷い音がした。
(……眠いな)
目を覚まして初めに抱いた感情はそれだった。どれだけの時間眠っていたのかは分からないが、強烈な眠気が瞼を開けさせまいと猛烈に抗議している。
そんな眠気を振り切って瞼を開けると、いや、開けても、目の前に広がる景色はさして変わりのないものだった。
(暗い……どこかに閉じ込められてるみたいだ)
一筋の光も差し込まない空間。私は、どこで眠っていたんだったか。目覚めたばかりの呆けた頭では、上手く思い出せなかった。
まずは現状の把握から進めなければならないだろう。この暗い空間から抜け出さなければ何も始まらない。
横たわった状態で、全方向に壁。まるで棺桶のような作りだが、呼吸が出来ていることから考えて、完全な生き埋め状態でないことは確かだ。前後左右、どこかの壁を壊せば外に繋がっているだろう。
(材質は石……と土か。このくらいなら簡単に)
少しだけ動くようになった指で壁の材質を確認し、魔法を使う。あまり大規模な魔法を使って今度こそ生き埋めになってしまっては困る。目覚めて一発目、加減を間違えては死ぬ。
(……それ)
小規模の魔法を行使し、目の前の壁を少しだけ破壊する。生き埋めにならないよう、ほんの少しだけ。
すると、破壊した痕から一筋の光が差し込む。どうやら、それほど深い位置に埋まっていたわけではないようだ。
外に繋がっていることが分かればあとは簡単だ。残る壁を次々に破壊し、外との空間を拡げる。壁を半分ほど破壊したところで、心地よい風が肌を撫でた。
(やっと外の空気が吸える……)
新鮮な空気が肺に取り込まれると、一気に蘇ったような気持ちになった。空気が美味い、というのはこういうことを言うのだろう。
起き上がりたい気持ちは山々だが、関節は軋み放題で動けない。あまり使った記憶がないためにうろ覚えだが、身体の調子を良くする魔法があったはずだ。
(確か……こうだ)
魔法によって凝り固まった関節がほぐされ、乾きに乾いていた喉にも潤いが取り戻される。ようやく、満足に動くことができる。
身体を起こし、グッと伸びをした。そうして辺りを見渡すと、どうやらここは森の中のようだ。
私が閉じ込められていたと思っていた棺のようなものは、なんてことのない、偶然が生み出した密室だった。石壁や柱が倒れ、そこに積もった土が固まったせいで、小さな密室となったように見えていただけだ。
それにしても、見覚えのない森だ。私の知る限り、私の部屋に木々が生えていた記憶は無い。家具の少ない質素な部屋だったはずだ。
「どこだ、ここ……」
目覚めたばかりで記憶が混濁しているのだろう。ここに至るまでの経緯が思い出せない。私は自室で眠っていた。それは確かなはずだ。だが、眼前に広がる景色が記憶と食い違っている。
「……いや、違うな。これは……」
ふと視線をやった先に、奇妙なものが見えた。それは、魔法使いの国ヴィレオラに聳え立っていた巨大な塔——の、残骸だった。
近付いてその残骸を手に取ると、脆くなっていたのか、手の中で崩れ落ちる。他の残骸にも苔が生え、朽ち果てている様が見てとれた。
私の見間違いでなければ、これはヴィレオラにある塔の成れの果てで間違いない。つまり、これは。
「まさか……私が眠っている間に、ヴィレオラは滅びたのか……?」
そんな、馬鹿な。いくら眠るのが大好きな私といえど、国が滅びる一大事に眠り呆け、挙句、朽ち果てるまで目が覚めないなど、そんなことが起こるはずがない。連続で眠り続けても精々五〇年が限度。だが、この朽ち様はその程度では起こり得ない。まるで、数百年は経っているような。そんな朽ち方だった。
「いくら私でも……まさかそんな」
逃避しようと一度、目を逸らすが、景色は変わらない。やはり、ヴィレオラは滅びたのだ。
「……たまげたなぁ。悠久の国も滅ぶ時は滅ぶのか」
老いというものが存在しない、不老の魔法使い達の暮らす国。魔法使いの国ヴィレオラには、様々な別名があった。その一つが、悠久の国。その言葉が指すのは魔法使いか、それとも国そのものか。
誰がそう呼び始めたのかは分からないが、やはり、人の生み出したものはいつかは滅びてしまうのだ。それが運命というやつだろう。ヴィレオラも、その例には漏れなかったというだけの話。
悲しいという感情はなかった。悔しいという感情もなかった。
ヴィレオラの民はあまりにも永きを生きすぎている。そのせいか、年長者は感情が希薄になる傾向がある。私もその一人だ。故郷が滅びた事実を前にして、心が揺さぶられることもない。
冷たい心の持ち主だ、と他所者は言う。しかし、ヴィレオラの民の間ではこれが普通だった。
しかし、それはそれとして、国が滅びた原因を知りたいという好奇心や探究心というものは芽生えていた。眠っていた間の出来事ゆえに、私は何も知らないのだ。この国の行き着いた末を。
(……町を探そうか。森を抜ければ一つや二つ、あるだろう。そこでヴィレオラのことを調べて——)
これからの方針を決めようと頭を回転させる。まずは町を探し、ヴィレオラが滅びた原因を探る。もしその原因が私の興味をそそるものであれば、それを更に追求する。私の興味が尽きれば、その時はこの足も止まるだろう。そうなった時のことは、その時考えればいい。
まずは、この深い森を抜けよう。長い時を経て遺跡となってしまった故郷の国を捨て、外の世界へと駆り出すのだ。そう、決意を胸に抱いた時であった。
「……うん? 獣か?」
森の中から気配がする。野生の獣か、あるいは。
気配は全部で四つ。内三つは殺気だった気配を放ち、一つはその三つの殺気から逃れているようだった。それも、逃れている方向は今私がいるこの場所。
「動きが獣らしくはないな……っと」
やがて草木をかき分け現れたそれは——人であった。破損した鎧を身に纏い、至るところから血を流す男。兵士のようだが、まだ若い。二〇数歳だろう。
森を抜け、この遺跡に辿り着いた男は、必死な形相で隠れる場所を探し回る。そして、そんな男と私の視線が交差した時——男が出てきた近辺の草木から、今度は三人の男が現れた。
こちらはまだ破損も少ない鎧を身に付け、大量の返り血を浴びた男達だ。状況は分からないが、どちらが追う者で追われる者なのかは一目で分かる。
「……面倒なことになりそう。一足先にずらかるか」
何やら面倒事に巻き込まれる予感がする。こんな時は逃げるのが吉だ。そう考え、この混沌とした場所から逃げ出そうとする。……が、しかし。
「おっと……待ちな、そこの嬢ちゃん」
嬢ちゃん?
一瞬、誰のことを言っているのか分からなかったが、すぐにそれが私を指す言葉なのだと理解した。嬢ちゃん、などと呼ばれたのは数百年ぶりだ。ヴィレオラで私のことをそう呼ぶ者はいない。時たま国を抜け出して他国に訪れた際に呼ばれる程度。
だが、まるで賊のような口ぶりだった。三人の男のうち、私を嬢ちゃん呼ばわりした男は、切っ先を私の方へ向けた。
「そこから動くな。若い女は連れ帰る決まりなんだ。大人しくしてりゃ怪我はさせねえよ」
「……怪我?」
「そうさ。痛い目は見たくないだろ? そこの兵士みたいによ」
男が言ったのは、あの手負いの兵士のことだった。目が合うと、彼は申し訳ないといった感情を瞳に浮かべ、苦々しい表情を浮かべた。
巻き込んでしまった、と思っているのだろう。私も、巻き込まれた、と思っている。いい迷惑だ。こちとら、寝起きで頭もまともに働いていないというのに。
しかし、面白い冗談だ。あの襲撃者の男は、私に怪我をさせる心配をしているらしい。何をどうすれば、精々三〇年程度しか生きていないような下っ端の兵士が私に傷を負わせられるのか。この場にドラゴンでも連れてくるつもりだろうか。
「分かったならこっちへ来い。巻き込まれたくねぇだろ」
いや、既に巻き込まれている。無用な心配だ。
私の目には、この三人の男が悪者に映っている。だが、私は彼らの事情を知らない。身に付けている鎧の装飾からして、同じ国、同じ軍の兵士ではない。恐らく、両者はそれぞれ違う国の兵士だ。
そして、国の兵士同士で戦う理由といえば、一つ——戦争だ。この兵士達は戦争中の二つの国の兵士で、手負いの兵士は追い込まれている。
生憎、私は魔法使いの国、そして断絶の国とも呼ばれたヴィレオラの魔法使いだ。他国の争いには興味がないし、関わる義理もない。しかし、既に関わってしまったのなら話は別だ。今後も積極的に関わっていくかどうかは別として、少なくとも、何とかしてこの場を切り抜けなくてはならない。
単純な話だ。この兵士達を行動不能状態にしてしまえばいい。四人全員始末してしまえば簡単にここから脱することができる。
気絶させるか、殺すか。感情が希薄になったヴィレオラの民といえど、無意味に人を殺すことには抵抗がある。殺すには殺すなりの理由が必要だ。
「待て。行かない方がいい。奴らは、若い女を奴隷にして貴族に差し出してるんだ。そうすれば報酬が貰えるから。君もそうなる」
どうしたものかと悩んでいると、手負いの男がそう言った。別に、そのことで悩んでいたわけではない。だが、連中の外道な考えというものを知ることができた。取り敢えず、この三人を気絶させてから、もう一人の男について考えるとしよう。
「はっ……それの何が悪い。女は男を悦ばせるために生きてるんだよ。貴族は欲を満たせて、俺達は金を貰える。女自体を流してもらえることもある。それの何がいけねぇことだって言うんだ?」
いや、気が変わった。世のため人のため私のために、この三人は始末した方がいいのかもしれない。私はこの男達が嫌いだ。
さも当然のことかのように言い放った男に、吐き気を催す。ヴィレオラの魔法使いの前でそれだけの大口を叩けるのだ。案外、大物なのかもしれない。殺そう。たまには理由のない殺しがあってもいいだろう。人生は長いんだから。
「そこの人」
「……俺か?」
「助けてあげるから、町まで案内してほしい。ついでに怪我も治してあげる」
「いや、何を言って……」
男は困惑したように目を細め、私を見つめる。男はこういう時決断力が弱くて困る。
「返答は返事だけでいい」
そう言い返すと、男は唾を飲み、真剣な面持ちで口を開いた。
「……頼む。助けてくれ」
「分かった」
彼の返事を聞くとすぐに、魔法を行使する。金属の鎧を身に付けた相手を、ほぼ間違いなく殺すことができる魔法。
「お前ら、何をグダグダ言って……」
「
男が何か言い出そうとしていたが、一度発動した魔法は、発動した魔法使い本人にも止められない。
男達は三人とも、鎧を身に付けていた。使用したのは敵が身に付けている鎧の形状を変化させて敵を殺す魔法。変化する形状は、私のムカつき度合いによって変わる。今回は贅沢にも三種類用意した。
一人は、身に付けている鎧が徐々に捻れ、やがて肉体ごと捻じ切られるように。
一人は、身に付けている鎧が徐々に小さくなっていき、やがて鎧に潰されて圧縮されるように。
一人は、鎧内部に生成された、鎧自体が変化してできた無数の針によって身体を貫かれるように。
あまり魔力効率が良くなく、大勢を相手に使えないことが不便な魔法だが、少数の兵士が相手ならば無類の強さを誇る魔法でもある。
襲撃者の三人の男達は見事に息絶えた。見るに堪えない凄惨な死体が残され、残された男は思わず地面に吐瀉物を噴出していた。
そんな彼に近付き、肩を叩く。約束は約束。私は約束を守り、彼を助けた。ならば、彼にもまた、約束を果たしてもらわねばならない。
「じゃあ、町に案内して。私はシオナ。シオナ・アルカース。あなたは?」
「お、俺は……アザード。アザード・ウェイン」
これが、魔法使いの国の魔法使いである私と、ただの一般兵であるアザードとの出会いだった。
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