きっと、確かにRGB(0,0,255)だった

青鳥赤糸@リギル

きっと、確かにRGB(0,0,255)だった


 ――ページをめくるとちょうどいい区切りだった。

 わたしは開いている本をそのまま膝の上に置き、読書用に買ったお気に入りの椅子の背もたれに身を任せた。

 少し乾燥気味になった目を休ませようと 、ゆっくりと目をつむると、散り散りだった思考が少しまとまりそうな気がした。

「わたしの目に映るもの……」

 脳内に散らばった情報のピースたち。それをまとめようとしていると、ふと言葉が口からこぼれ出た。

「『クオリア』日本語だと『感覚質』……。あるものに対しての、主観的な印象のこと……」

 読んで覚えたばかりの言葉。正直なところ、意味はほとんど理解できていない。

 けれど、言葉にしてみると何か分かったような感覚になる。不思議だ。

「わたしが見ている色と、誰かが見ている色が同じだとは限らない」

 『クオリア』という言葉の意味を教える為によく使われる話。

 りんごを見たときに赤いと感じるか、それともおいしそうと感じるか。そんな話。

 匂いや、音。さよならした時の寂しさのような感情。そんなものにまでクオリアは生じるらしい。でもそこまで考えるとあまりにもややこしくなってしまう。

 わたしはなんとか『クオリア』という爽やかで難解な言葉の、ほんの一部分でも理解しようと、色という要素に絞って考えをまとめることにした。


 例えば、カラスは何色だと聞かれたら、わたしは黒色だと答えると思う。『クオリア』という考えの都合上、この答えが正解ということにはできない。だから、あくまでもわたしがそう感じるというだけの答え。

 なら、カラスではなく、鳥は何色と聞かれたら?

 灰色? 黄色? すずめ色?

 幸せの青い鳥が存在するのならば、鳥は青色。そんな答えもまた一つの正解なのかもしれない。

 なら逆に、わたしが青色を誰かに伝えたい場合はどうすればいいのだろう。

 青色にも種類がある。水色と青色は別物なのか。群青色は?  藍色は? 青色の分類は数百種類あるとどこかで見た気もする。

 それだけの種類があるのならば、わたしが想像している青色と他人が想像している青色が一致するはずがないのも少し納得してしまった。


 それから少しの間悩んでみたけれど、明確な答えは出なかった。だって、この話は主観的なもの。人によって違うもの。明確な答えが出ないもの。それが『クオリア』なのだもの。

 そう考えて、考えを放棄しようとしたときに、わたしの目には端末の姿が映った。それを見て、わたしは少しひらめいた。

 例えば、伝える相手が人ではないのならば?

 人ではなくコンピューターであれば、数値が全て。だとすれば正確に伝わる。それを元にすれば、わたしの伝えたい青色に限りなく近いものを他人に伝えられるのかもしれない。

 その考えに至ったわたしは、RGBという数値で色を表す方法を思い出した。といっても、知っているのはRGBという名称と、ぼんやりとした知識だけ。

 一通りの知識を頭に入れるために、わたしは手の届く位置にあった端末でRGBについて調べる。

 Rはレッド、Gはグリーン、Bはブルー。そしてそれぞれに0から255の数値が入る。

 全ての数値が0の状態、RGB(0,0,0)ならば黒色。

 全ての数値が最大値の255の状態、RGB(255,255,255)ならば白色。

 赤のみ最大値の、RGB(255, 0, 0)ならば赤色、赤と緑が最大値のRGB(255, 255, 0)ならば黄色。

 なるほど。色に関して詳しいわけではないのだけれど、ぱっと見で大体理解できる。凄い。

 もちろん、液晶や端末によって見える色に違いはあると思う。

 それでもわたしが思い浮かんだ色を相手に伝えるのならば、この言葉が一番近い気がした。

 これは『クオリア』という問題に対しての答えではないけれども、誰かに伝える為の近道。この考えに繋がったことに、わたしは少しだけ満足した。


 もしかすると、この考えは詳しい人にとってはまったく違うと否定されるのかもしれない。

 でも、これはわたしが考えて、わたしが導いた、わたしだけの、「青」を伝える爽やかな哲学の話。そう考えると、鬱屈とした頭も少し晴れた気がした。

 どれくらいの時間を使ったのか分からないが、考えることに満足したわたしはこの考えを終わらせる決心をする。

 ずっと開いたままの本を閉じ、机の上に置いた。そして、少しだけ満足した表情で一度だけ深呼吸して、静かに席を立った。


 わたしが誰かに伝えたい色。それは。


「きっと、確かにRGB(0,0,255)だった」


――


 部屋から出ると蒸し暑い空気に包まれた。

 頭を使って疲れたし、アイスでも食べよう。確か、冷蔵庫にソーダ味のアイスがあったはず。

「ソーダ味のアイスは……青色? 水色?」

 困った。わたしは当分この『クオリア』という呪縛に囚われてしまうのかもしれない。

「まぁ、それもそれでいっか。これ以上悩むかどうかは、糖分を補給してからにしようっと」


 これは鮮明で独特で概念で質感で哲学的で。

 言語化不可能で誤り不可能で、それでいて私秘的で。

 この話の捉え方も人それぞれで、それもまた『クオリア』なのかもしれない。この言葉がこの使い方で合っているかどうかも分からないけれど、それもまた『クオリア』なんだろう。と、わたしは自分を納得させた。

 そして、ソーダ味のアイスは、青くて爽やかで冷たくて……。安っぽくて、安心する味だった。

 これが、今のわたしの『クオリア』

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