第24話 中央図書館
「リア、着いたよ」
隣から優しい声がして、馬車の揺れに身を任せていたリアははっと目を覚ました。ここ最近考えることや、オータムと相談することが山積みで、気が休まられずぐっすり寝られていない。
快晴の中馬車を降りると、ちょうど時計塔の鐘が正午の大きな音を鳴らした。その雄大さを見上げたリアは、もう何度も訪れたはずの首都の美しさを改めて感じた。
ただ、同行者は優しい顔と声をしながらも、のんびりとした調子で全く違うことを考えていたようだった。
「こう晴れていると、いつにも増して大きく見えるね。塔の維持費はどれくらいかかっているんだろう」
あまりの現実主義に、リアが黙ったまま目を向けると、それにも気づいていないのか、フレードはにこりと笑った。
「中央図書館からも聞こえるよ。けっこううるさくて」
「時計塔が嫌いなの?」
「うん? 好きでも嫌いでもないかも」
あまりの物言いに、呆れたようにリアがフレードに問うと、考えるように顎に手をやるので、それを待たずリアはフレードの背中をぐいぐいと押して歩みを進めさせた。
フレードが街に居る間に、一緒に首都へ来るという約束はかなえられた。リアのヴィラージオ家からの招待があり、フレードの予定も会わせられたので一緒に馬車に乗ってきたのだ。リアも予定よりかなり早めにやってきたから、フレードと一緒に中央図書館を尋ねさせてもらうことにした。
リアの工場は伝統もあり大きいため、歴史を学ぶような書物はあったが、最新の書物があるとはとうてい言えない。
勲章や装身具に対する最新の書物や報告書が出ていないかなどは、この話が始まってからはヴィラージオ家に調査を任せていた。何かあれば買ってもらえるとの話だったが、人々の関心が集まるようなものではない。ほとんど必要とされる書物はなかった。ただ、リアには見ておきたいものがあった。アルの実績、もっといえばアルが誰なのか、だ。
首都の広場に立つような銅像の制作者であれば、何某かの書物には載っているはず。
首都の都立図書館は誰でも入れるようなものではないが、フレードがいれば入館はできる。大学からの手紙があれば、急な同行者であるリアの入館も問題がなかった。
図書館の大きさにも圧倒された。ビラシュは製紙の技術に弱く、語りが発達した歴史があるが、それでも文書の利便性に敵うことは難しい。今ではそれらの歴史を補うかのように、書物の所蔵も進められてきていた。
受付にフレードが手紙を出し、リアのことは助手だといえば何の確認もなしに入ることができた。
ただ、入ったことのない大きな施設で目当てのものが探せるはずもない。フレードが上手く助けてくれた。フレード自身もここには数回しか来たことがないそうだが、書籍は分類が決まっているとのことで、建築や彫刻の棚を上手く案内する。そして、二人がかりではあったがリアの見つけたいだろうものを見つけた。
彼の概要を理解して、やはりリアはこれしかないだろうと思った。
フレードに礼を告げて、彼は残ったままで待ち合わせ時間を決めて、リアはレオの元へ向かった。
「ヴィック・アルゴです。あの人は」
そう切り出してから、リアは苦虫を噛み潰したように続けた。「当然ご存じでしょうけど」レオはそれについては答えず、ニコニコと笑っていた。「よくたどり着けましたね」と評している先生のようで、その笑顔が余計に腹が立つ。
「アルというのは姓の方だったんですね。船乗りの家に生まれ、若い頃、あの体格の良さから軍に従事していたことがあるようです。北方の内戦で自国とは違う文化に触れ、手先の器用さから、木工から始めて神話を彫刻にする取り組みを実施。評価され、首都にも代表作がありますが、首都の美術界隈に馴染めず、ある時期から消息は追われていません。一説には彼の生まれ育ちが影響しているといわれています。いわゆる庶民の生まれだったから、のし上がったところまでは行けたけど、保つことはできなかった」
本に書かれていたことが事実だとすれば、彼の処遇を想像すると思わず嫌な気持ちになり、歯噛みするような実績だ。才能はあったのに、家の後ろ盾がなかったせいで美術界には居られなかった芸術家。
そんなことは気にしないように、レオはニコニコして手を広げた。
「逆に言うけど、ヴィラージオ家が彼を知らないわけがないというわけで」
じゃあそちらから全部説明してほしかったですが、という言葉は目線だけで伝えて、リアは口を閉じた。最近気づいたが、このあたりのやり取りを、一瞬も表情を変えないケンセイが面白がっているような気がする。
「ここで計画に足りないものが補完されそうだというわけですね。『箔』です」
勲章を新しくしようというときに、祭具の工場と手を組んでやりましたというのが無理がある。それでも、美術界から失われた存在、実績はある人間とだったら? 空いた破片が収まるようだ。
「リアが取り組んでくれたから、アイデアと書類は整えてある。あのおじさんを呼んできてこっちにも参加してもらえば大丈夫かな」
「彼ら、今遅れた計画を取り戻すために寝る間を惜しんでいると思いますが」
答えは決まった質問をしていると、自分でも思っていた。間違いなくレオはにっこりと笑って続けた。
「じゃあ寝ないでもらうしかないね。彼らには現時点、無償協力に近いわけだから」
「寝てはもらいましょうね……」
額に手を当てつつ、自分だけはいい子ぶるわけにもいかないと覚悟をする。彼に無理をさせたいわけではないが、この計画に自分たちも危険は承知で乗っているのだから仕方がない。
「これもリアに頼むしかないな。申し訳ない。彼を呼ぶのも、俺が行くのも難しいだろうから」
「大丈夫です。今のところ、私はどの状況も把握できる立場ですから。あなたがまだ隠していることがなければ」
「俺がリアに隠し事するわけがないだろ。ちょっと言ってないことがあっただけだ」
そうですね。とリアが返すと、レオはくすくす笑って楽しそうだった。
「方針はほぼ決まっているし、歴史も下調べしてある。彼にはアイデアを出してもらうっていうところだね」
「私たちが一番欲しかったところなので、ありがたいですね」
もう自分はそちらに方向転換してしまっているのだ。素材も全てリソースは回している。早くに打ち明けていたオータムの協力を得て、工場の限られた人員にも説明は済んでいた。信じられないという反応だったが、レオにも一筆を書いてもらって、親方である父親も説得済みだった。積み重ねた資料の山を持って工場に説明した。リスクは承知だが、自分がやり遂げるのだと。
リアが時計をちらりと気にして、「では、次までにアルと話しておきます」と切り上げようとする。この打ち合わせもかなりの回数をこなしてきたが、リアが帰りを気にするような素振りを見せたのが初めてなので、レオは少し驚いた顔をした。
「今日はお茶をしていかなくていいのかな?」
いつも準備をしてくれるケンセイも、リアの方を見た。いつもとんでもなく美味しいお菓子を食べたりお茶を飲んだりしていたリアは、少々恥ずかしそうに咳払いをした。
ちなみに、レオがリアの想像を絶するほど多忙の身で、リアとのお茶の時間を残していることにケンセイが毎回驚いていることを、リアはもちろん知らない。
「いつもすみません」と顔を赤らめるリアに、レオが上品に、気にしなくていいというように目線をやる。そこでリアはつるりと普通にこぼした。
「今日は人と待ち合わせをしているので」
レオが一瞬、口をつぐんだ。いつもよきタイミングで相槌を打つ男だ。「ぐっ」というような妙な音がしたので、リアは思わずその方向を見る。ケンセイが咳払いをした後のように拳を口に当てており、「すみません」と返した。彼はいつも物音一つ立てないので、リアは目を丸くする。
レオはすべてをわかっており、少年のようにケンセイをにらみつけた。彼は笑ったのである。こうして談笑している女性に、人との約束があったことで動揺した自分に。
「失礼でなければ。ミネットと?」
レオもリアから、事の様相は聞いていた。あくまで何でもないように聞く自分に、さらにケンセイが笑いをこらえていることに気づいてレオは内心腹が立っている。
「いえ、フレードという人です。前に話した、幼馴染の兄の」
男の名前が出てきたことで、またレオが一瞬黙ったことに、本当はケンセイは自分にないような大笑いがしたかったのだが、腹筋ひとつ動かすことはなかった。レオ様がどれだけ怒るか想像がつかないからだ。
あの、稀代の美形の、女たらしが、仕事で一緒になった女性の話に動揺している!
ケンセイは本当は、レオがこの話と途中から誰かに任せず、自ら関わり続けていることの意味を考えていた。もしかしたらこの「仕事相手」にこそ、レオが興味を持ち始めているのではないかと。
そうして、いつものパターンである、いつしか彼女からレオに輝いた目を向けはじめ、レオがそれに答えるのだろうと、言葉は交わさずとも思っていた部分がある。
それが! あのレオ・ヴィラージオが、女性に恋人がいるかに動揺する時が来るとは!
そんな純情な恋をするような人間か、と思ったのはリアには一生黙っておこう。
レオは本当は今すぐケンセイに出ていってほしかったのだが、そんなみっともないことはできないので、リアに対してはいつも通りにからかうように続けた。
「ああ、あの『恋人ではない』人?」
「普通の人は恋人ではない異性とも待ち合わせをしますよ」
ここで何も気づいていないリアが呆れたように返したので、会話はいつものように流れていった。遠くの大学にいて、図書館へ行きたかったから一緒に来たのだと言う。恋人でないことが肯定されたことと、どんな男なんだとレオが思っているであろうことはこの場の男性二人だけで共有され、リアはまったく気づいていないままに、状況を説明して、次回の約束をして去っていった。
ここで態度を変えるのもおかしいのでいつものようにリアをエントランスまで送った後、我慢できなかったかのように身体を折り曲げて無言で笑うケンセイの背中をレオもやはり無言でどついた。
いつも一緒にいる彼らは、人前では見せないが主従を超えた兄弟のようなやり取りをしているのだった。
「主人に何か言いたいことがあるみたいだな。俺の部下は」
「いいえ。滅相もございません。よかったですね」
リアに恋人がいることが決定したわけではない状況を指していることが丸わかりで、レオはその言葉を丸ごと無視した。
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