第22話 二人だけの時間
「もしかしてほとんどわかっていて、黙っていたわけじゃないですよね?」
「まさか」
そういっておどけたように両手をあげた姿がまったく信用できず、リアは腰に手を当てた。が、ここで糾弾していてもこの男が手の打ちをすべてさらすわけがない。だんだんレオのことを理解し始めたリアは、目を細めこそしたがレオをそれ以上責めることはなかった。
レオの『作戦』がまとまった後、アルは目立たないように屋敷を出て行った。もう彼がここに出入りを続けるのはレオとの関係性を示すものでしかないので、彼はほとんどここに来ないようになる。では誰が繋ぐのかというと、リアだ。リアは仕事でここを出入りしていて、アルの団体と紐づけるものはミネットしかない。それでも、過去彼女がそこにいたという関係とつながるものはほとんどない。
そうして彫刻家と時間をずらして屋敷を出ることにし、とある準備を待っていたリアは、呆れたように彼と話していた。
「君と一緒にいったん乗り込んではみたが、この作戦、いわば船はまだまだもろい。俺が賭けをしていること自体には変わりがないんだ」
確かに、とリアは腕を組む。脅しに屈して章を受け取らないという線はいったんなくなったが、彼らの劇場を立てるのが本当に上手くいくのかも、それが新興と認められ、新章の樹立につながるかなども、今では机上の空論でしかない。
「王太子殿下にもお話はされるんですか?」
ぱち、とわざとらしく瞬きをして口元だけで笑んだ男前は、「もちろん」と返しながらも「あまりそういうことは明言しない方がいいな」とあくまで品よくリアに注意した。そこでぐっとリアの口が詰まる。
仕事に繋がると対応していたはいいが、自分はやはり覚悟が足りずあれよあれよとここまで来てしまったようだ。軽々しく裏側を口にした恥ずかしさと、わかりやすく追及せず、馬鹿にしなかったレオの優しさが返って恥ずかしく情けない。
すみません、と返すと目を上げて自分の役割を確認する。
「では私は新しいデザインと、その裏付けというか、歴史的な文脈を調べておきます。もちろん貴方にもご意見は沢山伺いますが」
「ああ、頼む。君の資料、まとまっていてとてもわかりやすいんだ」
こんなリップサービスが嬉しい自分が悔しい。それでも取り組んだ評価がなされることはありがたい。
「じゃあさっそく今日から始めよう。俺も準備を整えておくよ」
そうレオが笑ったところで、見計らったように品のいいノックがあり、ケンセイが部屋に入ってきた。大きなバッグと一緒になったそれをうけとり、リアはごくりと唾を飲んだ。
自分は今からこれをアルのところに届ける。ということはついに、ミネットと話すことができるのだ。
*
リアが港の倉庫に入ると、アルからすべてを聞いたのだろう、それまでのメンバーはリアを警戒して出迎えることすらせず、準備があるのかばたばたと動き回っていた。アルに荷物を渡し、部屋に目をやると、ミネットがカップを二つ持って、奥の部屋から出てきた。簡単な水場くらいはあるのだろう。
あらためてこの時間が来ると、緊張と一抹の恥ずかしさが襲ってきたリアがそちらを向く。それでもミネットは年長者らしく、何でもないようにふるまってくれた。
部屋の片隅の机に二人で座ったリアとミネットは、お茶を口にすることもなくしばしうつむいた。
リアが口を開く。話し始めてからは止まらなかった。
「ごめんなさい、ミネット、本当に。子どもだったからわかっていなかったこともあるけど…。でも私本当はわかっていたんだと思う」
あの頃から。あの時のリアは母親がいなくなった寂しさつらさが身を切るようで、相当ミネットにわがままも言った。それでいて嫌われたらどうしようと泣き、八つ当たりをし、試し、その頃を思うと、トイレを我慢しているような寒気が恥となって押し寄せてくる。
「あと、ここにも勝手に来てごめんなさい。でも……本当に大丈夫なんだよね」
出会ったときの身の危険を思い、拳を膝で握る。
リアの言葉をずっと聞いていたミネットは、ゆっくりと言葉を続けた。
「大丈夫。事情が事情だから荒っぽいこともあったけど。でもあの人のところに嫌がらせをしていたことも確かだから、そのことに対しては言い訳はできない」
語りの団体として、街から街を渡り歩き、危ないことも色々あったし、村で嫌なことも言われることもあった。「そういうことを重ねているし、乱暴な人がいることも事実」淡々と続けるミネットは、リアから見ればずいぶんと大人に見えた。
「でも仲間内で危ないことはない。リアが来た時ああいう流れになったけど、私も危険がないとは分かってた」
ミネットからその言葉が返ってきて、安心したリアが少し姿勢を崩す。その姿を見て、ミネットも少し態度を緩めて、話し始めた。
「リアがここに来てくれた時…信じられなかった。
屋台で会った時、私は全然気づいていなかった。あそこはこの倉庫を借りるための借りの屋台で、もちろん売れるなんて思ってない。ヴィラージオに抗議するため、私たちだけでも首都に来る必要があったけど、ご丁寧に宿なんてとれないから。仮にも悪いことをしているわけだし」
きっと皆で雑魚寝だろう。それほどでに彼らは真剣に向き合っているのだと思わざるを得なかった。
「リアの家の……工場を出た後、私は違う街に行ったの。祭具の職人になるって夢を続けたいと思ったけど、あの工場にいてしばらく経っていたこともあって、どんな細工の工場でもこんな年齢の女は職人としては絶対雇えないと言われた。始めるとしても飯炊きからだなと言われて、心が折れちゃって。
それで違う仕事をしていたんだけど、ちょうど新しい語りの巡業が来ていた。とても素敵だったけど、衣装がひどくて。それでいちかばちかで言ってみたの。細工が得意だって。ぜひにぜひにと言われて舞い上がったわ。それでも、参加してみたらお金は一切もらえないし、仲間割れもひどかったりして、ここが桃源郷だとは今も昔も思っていない。でももう、私の大事な居場所になってる」
ミネットの苦労、諦めたこと、居場所を探した努力が伝わってきて、リアは机の下で拳を握った。それに気づいてはいないだろうが、ミネットは優しく、しかしあくまで落ち着いた声でリアに言う。
「もう一度話せるなんて思わなかった。だから本当に、心から嬉しい」
その言葉に、もし嘘が混じっていてもかまわないと思った。
自分は、今でもあの場所にいる人間の一人として言わなければならない。
それでもリアの唇は震えた。
「あの時…ミネットは、貴女の仕事ではないことをしてくれた。それに対して本当に申し訳ないと思っている…それと同時に、嫌な想いをさせるかもしれないけど、そうしてくれたことには、本当に感謝しているの。ミネット、ありがとう。そして本当にごめんなさい」
ついにリアが鼻を啜ると、ミネットの目からも大粒の涙が流れていた。そしてそれを拭く姿が、どうしても美しいと思った。
「それを他でもない、貴女から聞けたことが…本当に夢みたいに嬉しい。でもリア、あなたは謝る必要はない。ありがとう」
そうして泣く二人は、決して母子の姿ではなかった。
一人の女性と一人の女性で、だからこそ、この世界に二人しかいないかのように連帯していた。
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