第3話



なぜ。という言葉は先ほど、思わずこぼした。


礼儀正しい男は慇懃な態度のまま「支配人がお会いしたいと申しておりますが、お時間いただけますでしょうか?」と続けた。

丁寧な言葉運びなのに、なぜかこちらが断るだろうとは予期していないように思われて、リアは正直なところ、少々不快感を覚えた。

それでも、こちらも大人。一歩だけ後ずさって、「どうしてでしょうか」と返した。



「そもそもなぜ私のことが」

「ご招待させていただいたのはこちらですので」


そうである。リアは握りしめた本日のチケットのことを思い返した。

工場は大変歴史があるので、もともと国内の様々な催しの招待が届くこともあった。

寡黙な父親がそれをだれかにやっていたのか、それとも捨てていたのかは知らないが、呼び出しの後に「実物を拝んでおいたらどうだ」と手渡された招待券をありがたく頂戴したのだ。


これはいくらするんだろう。職人としての歴史はあるとはいえ小さな村で生まれたリアにとっては、月の小遣いが吹き飛ぶ金額であろうことは間違いない。今日の格好だって、幼馴染のエセルと散々意見を交わし、なんとか悪目立ちはしないだろうという上着とスカートを身に着けてきた。


だからこの座席にガーター家の人間が座っているのは勿論ご存じということだ。


それにしても招待を笠に着るようなやり方が品がいいとはいえない。それを態度に出すように少し眉を寄せたが、目の前の男は若い女性のそのような態度は何でもないようだった。


まあ、それでも。おそらく仕事に関係があると思えば断る必要もない。


事前にこのような時間がとりたいと声をかけられていない不躾さは「ガーター家」に向けたものなのか「嬢ちゃん」に向けたものなのか判然とせず、リアは一瞬鼻にしわを寄せた。



どうして、なんで、という気持ちはありつつも、気づけば男の後ろを雛鳥のようについてきて、この長い廊下の果てにたどり着いていた。スカートのすそをはらい、身だしなみを気にしてしまう自分が悔しい。


劇場の奥の奥、すでに香油のような大変いい匂いがしているような場所、驚くほど簡素な扉を開ければ、落差激しく美しい室内が待っていた。




そこに居たのはリアが想像していた支配人、つまりは見たこともないような壮年のジャケット姿の人間などではなく、先ほどまでその長い髪を空気に響かせていたレオ・ヴィラージオその人だった。


先ほどまであの長い舞台を過ごしていたとは思えないような、汗ひとつかいていない姿で、黒いシャツをゆったりと着こなした姿は、絵写真が現実に現れたような妙な感覚をもたらしつつも、確かに立体的で、人間だった。その姿を散々先ほどまで見ていた、ともすれば何時間も目を離していなかったはずなのに、その事実がかえって奇妙な感覚がした。


しかも、その男はほかでもない、自分を見ているのだった。リラックスした様子で口を開く。



「リア・ガーター?」



呼び捨てかよ、とお育ちのよろしいとはいえないリアは反射的に思ったが、静かに頭を下げた。「はい」スカートをつまんだりするものなのかしら、と一瞬頭にかすめたが、不格好になりそうなのでやめた。



「急なお呼びたて申し訳ない。座っていただいても?」



正直なところ、緊張もともなってすでに帰りたい気持ちでいっぱいだったが、この美しい男に、帰りたいと返すのはそうとう強靭な精神力をもっていないと叶わなそうだ。


さらに距離が近づくということにも緊張が高まったが、目線で示されたソファに彼と向かい合うかたちで座った。必要以上に固くも沈みすぎもしない、座ったことのない仕立てだ。




座るといくらか目線が揃うため、その美しい顔を拝むことになる。

肌がきれいで、素人目からしたら化粧をしているのかもわからない。ただ、あの舞台映えのする目元の化粧はすでに取り払われていたから、これは彼自身の持つ美しさなのかもしれない。



「単刀直入に申し上げる。君を呼んだのは他でもない、勲章のことで」




つくられた微笑が保たれていて、おどけたようなニュアンスの親しみを語尾に残す。


この朗らかさはわざとだ、と頭にかすめた瞬間、彼は美しい笑顔で続けた。




「デザイン、変えてくれない?」



「は?」




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