第2話 出会い -2
ほとんどの観客たちが立ち去っていっても、リアは興奮した心を落ち着かせていた。まだぱらぱらと人は残っている。係員に迷惑をかけない程度に、最後の最後に出られればいいだろう。スカートの中の汗ばんだ太ももも、さすがに少しは落ち着いていた。座りっぱなしで固まった足首を椅子の下でさりげなくほぐす。
数日前、夏の前だというのに照るような陽射しが暑い日。
自然ばかりが自慢の村の片隅にある工場は、近くにある首都と比較すれば規模は大変小さいが、それでも十数人の職人を雇用するそれなりの大きさだった。
がっしりとしたやつから痩せぎすの男まで、体力に物を言わせた人間たちが集まる朝礼を終えたあと、その中でも一二を争うほどに寡黙な父親から呼び出されたとき、リアはよもやそれが嬉しい知らせであろうとは想像もしていなかった。
普段から仲良く会話を交わすタイプでもなければ、あの大きな膝に甘えた記憶もほとんどない。工場の仕事から首にされるのかと怯えながら親方の部屋に向かったとき、「扉を閉めろ」と言われてその恐れは確信に変わりつつあった。
しかし「次に来る仕事をお前に任せたいと思う」という言葉を父から聞いたとき、からだじゅうの血がこめかみに集まったのではないかと思うほど、一瞬で顔が熱くなり、そのあと緊張から血が一気に下がった。そのあと、皆には自分から伝えると言って黙ったままの寡黙な父親、もとい親方から、なんとか内容の詳細を聞き出したリアはさらに仰天した。
王国の伝統芸能の一つである「語り」の家の極致、ヴィラージオ家の坊ちゃんが近々勲章を賜る予定であり、その勲章の作成だというのだ。
リアの工場は祭具に関連する加工技術を長く生業にしているため、勲章の仕事自体は種類によって受けていた。もともとは国の造幣局の仕事だったが、仕事が細かく、またそこまで頻度も多くないため、結局はこのような歴史の長い工場に発注がされている。
そこまで金額が高い訳ではないが、それでも大きな責任のある仕事であることは間違いない。
もしや馬鹿にされているのか、のちほど取り下げられるのか。仕事の大きさでいえば、これを動かすのは親方である父か、中堅以上の職人ばかりだった。
人一倍努力はするが、神がかり的な能力を持つわけでもない、どちらかといえば愚直な努力を重ねてきた一人娘のリアが任命される理由がわからない。
しかもヴィラージオ家の長男レオ・ヴィラージオは、「語り」を観たことがない者でもその姿を知っているほどに有名だった。それは報じられる彼の技術の高さなどとは関連のない、百年に一度と言われる美貌の「語り部」のためであった。しかもその見た目をある意味裏切らないというか、この日はあの家の美女と過ごした、この日は一番の踊り子に手を付けたらしいと、いわゆる噂話を生業とする四流誌の格好の的なのだ。
語り部の家はもともと見目の整った人間が生まれやすいとは言われているが、それにしても生まれてきたときから舞台に立つためかというような化粧映えのする大きな目、長いまつ毛、黒々とした長い髪。噂によれば10年に一度しか切らないとか、手入れをしている御付きが三人いるとか。どうでもいいが彼はまだ28歳なので、そうなると二回しか断髪していないことになる。リアはその話を初めて聞いたとき、思わず自分のばさばさの緋色の髪の毛先を触ってしまった。かろうじて肩に着く長さにしているのは暑いとき結べるからであって、それ以上でも以下でもない。
そんな大きな仕事になぜ自分を選んでくれたのかと、父に真っ向から聞けるような関係ではなかった。そのまま頭を下げて部屋を後にして、廊下に出た瞬間に壁にもたれかかって反芻した。考えるべきことが山のようにあるようで、意外と少ないようでもあった。
それでも、最低限の教育を終えてこの方、布や工具ばかりを触ってきた真っ黒な手は、脳よりも先にこの事実を喜んでいるような気がした。
ただ、職人の家に生まれ、父のような祭具師のみを目指し日々を重ねてきたリアは、ここでふわふわと浮かれるようなタイプでもなかった。
父に任命されてはいるが、製作は過程が多く、何もかも自分で手綱をひけるわけではない。
生まれてこの方、一人娘として努力に努力を重ねても職人たちから「嬢さま」と呼ばれているような身としては、急いで策を考えなければならなかった。下手をすれば、自分が触る前からやり方を指示される。嬢さまという呼び方は、リアがまだ舌もまわらないような頃からいる工場の武骨な男たちから「嬢ちゃん嬢ちゃん」と呼ばれて可愛がられていたところ、リアが工場に職人見習いとして入ると決めたときに仰天され、さすがに嬢ちゃんと呼び続けることはかなわず、折衷案として定着していった中途半端な呼び名だ。とどのつまりは、学校が終わってから9年がたつ今でも、工場の一員としてまだ完全には認められていないのだった。
そんなことを思い返していると、傍らに誰かが立っているのに気づいてはっとする。劇場内の広い客席、もはやぼんやりと腰かけているのはリアだけだった。無数に並んだ椅子から急いで立ち上がる。
「ごめんなさい」
反射的に、そばに立っている男性に頭を下げる。
「いえ、お帰りはあちらの出口からです」
男が品よく指した方向へ向かうため、さっとスカートをはらって歩き出そうとした。そのまま道をあけてくれるかと思った男はなぜか、こちらを塞ぐように動かない。思いもしない態度にリアが困惑して顔を見上げると、背の高い、若い男は礼儀正しい態度のままで柔らかく一言告げた。
「リア・ガーター様でしょうか?」
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