王国一の語り部は縞々(ストライプ)が嫌い!?

式田

第1話 


床を響かせる低い声に、最初は違和感があった。




一人の人間から床を震わす音が出せるのか、信じられなかったからでもある。


拡張器を探して舞台上に目を走らせているうちに、広いその中心に胡坐をかいた男性から響く音色は変わっていった。濡羽色ぬればいろの長い髪は美しく光り、頭上に高く結い上げられても床へ届くほど。長いまつ毛が印象的な顔立ちは、老若男女問わず認めるだろう美しさだった。



からだは伝統衣装に包まれていて、見目の美しさと相まってほとんどこの世のものではないようだ。その男が、どういった発声法なのか、空気どころか床までびりびり震わす声をあげているのだから、リアは観客席の中腹で彼を茫然と見ているしかなかった。



低く轟くような音。台詞は古い言語が使われていて、意味は飲み込みきれない。

うめき声にも歌にも近い。祈りなのか、舞踊なのか、演劇なのか分からない。



学がなければ理解できないような演目なのだろうかと、冷めた自分が頭の中で呟いたところで、ざあ、と舞台の両端から踊り子たちが集まってきた。長く光沢のある衣装の端が床を擦る。美しい男を中心に、天女のような女性たちが舞いを始めた。ささやかだが、男の声を補佐するような楽器の音楽も流れ出す。




王国で一番の劇場では、月ごとに伝統芸能である「語り」の演目が催されていた。


古来の言語で語られるその物語は、ここビラシュ国の成り立ちとされている神話から、広大な大陸で戦乱を経て国が成り立ったいきさつ、またはそれに翻弄される人間や、男女の恋愛絵巻まで様々だ。



国土の西半分が砂漠に包まれているビラシュでは、古来は紙の文化が発達せず、この「語り」だけで人々は物語を得ていたといわれている。だがそれも昔のこと、尾ひれや端ひれがついて神格化され、今ではすっかり庶民には手が届かない舞台芸術へと変容した。宝石をふんだんに縫い付けた煌びやかな衣装の絵図ばかりが、今ではすっかり文化として浸透した”紙”の新聞記事に乗っている。


本来は、古式ゆかしい「語り部」であるヴィラ―ジオ家しか継がないとされている、腹の底を震わすような発声法は、今もその波形を空気に伝わせていた。



リアも最初、舞を見ているうちは、光を浴びてきらきらと光る宝石ばかりに目が止まった。それでも、舞踊自体の美しさや頭が痺れる独特な語りの音域に身を任せているうち、段々と目の前の動きが物語なのだと気づいていった。



どうやらこの男の語り部が必死に古代の神に祈りをささげており、踊り子たちはそれを邪魔する妖精らしい。何某か世界に関わる大きな話のようだが、詳細まで読み取れない。一人衣装の異なる踊り子が時折夢のように現れて去っていくのは、男の恋人のようだ。現実の女性なのか、夢の現れなのかはわからない。そう見ると、真面目な部分ばかりでなく、こちらを笑ませるような、妖精たちのいやらしい誘惑や嘘など、不謹慎めいたやり取りまで含まれていることに気づく。



あれもそうか、これはそういう意味だろうか、と頭で物語を辿っているうちに、男の声はボルテージを上げるように徐々に高く張りつめていった。白く長く美しい喉をさらして、ほとんど上向くようにあえいでいるのに声量がまったく落ちない。一瞬空をかきむしるように男の両手が高くあげられたあと、引き絞るような音が漏れきる一瞬に、またあの恋人の踊り子が一瞬だけ舞台をかすめ去っていった。



彼は何も救えなかったのだろう。恋人もこの世も。言葉は分かり切らないのに、そう感じさせるような無常を全身から発露して、「語り」の男が全身で前に伏した後、すべての音がやんだ。




そうして息を呑む一瞬だけ間をおいて、観客席に万来の拍手が起こった。





リアはすっかり頬に血が上り、自分が汗ばんでいることに気づいた。

慣れないスカートの布が腿の肉にまとわりつくのを、ぎゅっと握りしめて少し肌から浮かせる。


濃紺に金糸の天幕が舞台に降りてから、全く立ち上がれず、周りの観客が抑えた、それでも明るい声色で演目について語るのを心地よい音楽の続きのように聞いていた。






貴族でもない工芸の家に生まれ、特段裕福でもない身で、このような芸術を見られるのはどれほどの幸運だろうと、心臓が移動したように脈打つ頭が告げていた。


私があの、舞台ですべてを震わせていた男の、「語り部」の勲章を作るのだ。父であり親方から受けた、数日前の話を夢のように思い返した。



自分の仕事さえできれば、その品が届く相手が誰であろうとかまわないという当初の思いは、舞台への熱量とともにどこかへ吹き飛んでいた。




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