第10話 いざ、不死の樹海へ
「――ようやく来たみたいだな」
その影は、己よりも遥かに大きな獣の屍の上に座り込みながら、そう呟いた。
「だが、しくったみたいだな。魔族の動きが慌ただしくなってきている」
「どうやら感付かれたようですね。まったく、まだまだ未熟なんだから」
男は女の言葉に笑いながら、ひょいと、その山のような獣の――魔物の上から、女の傍に飛び降りる。
「俺らの
可愛い弟子の初陣の為だ――そう呟いて、男は。
眦を鋭くし――樹海を揺らすような、殺気の波を放つ。
一斉に飛び立つ魔鳥。
何やら慌ただしく動き出していた遠くの魔族たちが、何事かと引き寄せられるように――彼らの元へと向かってくる。
過保護ねと、そう溜息を吐きながらも、自身の得物である杖の準備を整えていく女に――男は。
「そう言うなよ。まだまだ身体が固いんだ。九十年のブランクを埋めるリハビリだと思って付き合ってくれ」
掌に――
「さぁ――勇者よ。
そして、一斉に襲い掛かって来た無数の魔族に。
かつて勇者と呼ばれた男の
◆ ◆ ◆
反勇者連合と自称勇者と元お姫様ご一行は――現在、地面の中を進んでいた。
「地角獣モグドルン。黒化はしていない。私が
「勿論だ。コイツには帰りも乗せてもらう予定だからな。たっぷり休んでもらわねぇとよ」
大きな爪とドリルのような角を持った地面の中を這い進む怪物を、まるで馬か何かを操るかのように一本の手綱のみで乗りこなしている少女に、彼女を後ろから支えるように座るユウヤがそう言って笑う。
巨大なモグラと一角獣を合成したかのようなその巨大な怪物は、此度の
無論、シートベルトなどの安全機構など存在しない、ガタガタと揺れまくる荷車の上で、アリサにしがみ付かれながら、ユウキは言った。
「
「まさか――こんな子供が、と?」
ライは、ユウキの言葉の続きを先取るように言う。
ユウキは何も言わずにライの方へと向き直るが、何も言わないということがそう思っていたという何よりの証拠だと言わんばかりに、ライは笑みのまま続ける。
「言っただろう。ALUは世界中に根を張っている。それは情報収集という目的だけじゃない。世界中から多くの
ライは、そう己を指差しながら言う。
まるで黒い獣人である己も正にそうだといわんばかりに。
(……世界中から掻き集めている情報、特技……そして、種族)
ユウキはちらりと、荷車に載せられたALUの精鋭五十名を見渡した。
ここに集められているのは、ライとレベッカ以外は全員が人間だ。だが、いくら十年間の総決算、人類の最後の希望を懸けた大一番たる大作戦とはいえ――ここに集結した五十人が、ALUの全戦力というわけではないだろう。
ウィンキーやシータを非戦闘員と共に逃がしたことからも分かる通り、例えここにいる戦力が全滅したとしても――ALUという組織自体は存続できるように保険を掛けているに違いない。
こんな、歴史を覆す、常識を塗り替える、世界を変えるような戦いに、確実に勝利できると、絶対に奇跡を成せると――そう確信してしまうような夢想家では、ユウヤはない。
例え、再び、十年以上の月日が掛かったとしても。
いずれ必ず起き上がれるようにするために。
全チップをオールインなど、するはずがないのだ――あの、ユウヤが。
(それに、各勢力に忍び込ませているというスパイもいるだろうし。既に立場を持っていて、迂闊に動けず、ここに来られなかったという重要戦力もいるはずだ)
他にも希少な
口先だけではない。
ユウヤは、この十年間で果たして、どれほど恐ろしいテロリスト組織を築き上げてきたのだろうか。
そんな風にユウキが、隊の先頭で怪物の背中に少女と乗るユウヤを眺めていると――。
「――着いたわ。この上よ」
地角獣と呼ばれる怪物を手綱一本で捌ききる少女は、その手綱を引くことで怪物の動きを止めて、表情を引き締めながらユウヤに言う。
ユウヤは「よくやった、セナ」と少女の頭を撫でて、一度だけ、背後の荷車に乗る仲間たちを見遣り。
「――大丈夫だ。行くぞ」
そう言いながら、地角獣の胴体を自らの足で蹴り上げる。
そして、トンネルに穴が開き――真っ暗だった地面の中の世界に光が注ぎ込まれた。
◆ ◆ ◆
地角獣が開けた穴から荷車を出し、五十二名の戦士たちが地上に出る。
そこは、当然ながら――鬱蒼とした、不気味な樹海の中であった。
「――ここはシータが捜索していたエリア、魔族の生息範囲との境界だ。危険だとは思ったが、この出口が
それはつまり、これ以上先まで掘り進めたら魔族に発見される危険性があったということだろう。
しかし、もう既に魔族には自分たちが強襲することは露見しているのだから、いっそもっと近くまで地面の中を進んだ方がいいのではないかとユウキは思ったが、出来上がっているトンネルの中を進むのではなく、今から更にトンネルを先へと掘り進めるのはかなりの時間が必要となるらしい。
それに、セナだけならばともかく、文字通りのお荷物を引きながらだとモグドルンにとって凄まじい負担になる上、彼に引かれる立場の自分たちはとんでもない量の砂や土を被る羽目になるそうだ。
「ありがとよ。セナ。モグドルン。ここで俺たちの勝利の凱旋を待っててくれ」
「気を付けてね、リーダー。みんな」
「――日没までに俺たちが戻らなかったら、あるいはお前たち自身が魔族に見つかりそうになったら、俺たちに構わずお前らだけで王都へと戻れ。そっから先はウィンキーの指示に従うんだ。いいな?」
付け加えられたユウヤの言葉に、思わず何かを言い返し掛けたセナだったが、リーダーの鋭い眼差しに、飛び出し掛けた言葉をそのまま呑み込んで、ゆっくりと頷く。
「……絶対、帰って来てね、みんな」
待ってるから――と、セナと地角獣は、まるで逆再生のように、飛び出した穴の中へと土と共に戻っていく。
そして、一体どんな仕組みなのか、まるでカモフラージュされた落とし穴のように、塞がった穴は一見するとどこにあったのか分からなくなるほどに巧妙に隠されていた。
(……あの怪物の能力なのか……それともテイマーの少女の腕なのか)
こんな移動手段があれば、さぞかし世界中を飛び回るのに有用だろうと、ユウキは思う。この樹海のど真ん中への地底道しかり、いったいどれだけ世界中に、文字通りの『根』を張り巡らせているのか。
「――しかし、正直、地上へと顔を出した瞬間に襲い掛かられることも覚悟していたんだが……」
ユウキがそんな思考を巡らせていると、ライが周囲を見渡しながら、誰に言うともなく呟く。
「魔族がいないな。それどころか、樹海のど真ん中にも関わらず、周辺に魔物の気配すらも感じない」
その言葉に、確かにとユウキも辺りを見渡した。
風に揺れる背の高い樹木が、正しく樹の海と称するに相応しい不気味な空間を創り上げているが、魔族の高笑いも、魔物の唸り声も、何も聞こえない。ただ葉が擦れる音が響くだけだ。
「あの魔族の言葉が確かなら、行動範囲を超えて魔族が攻勢を掛けていてもおかしくはないと思っていたが……入れ違いになったのか? それなら嬉しい誤算だが」
「でも、それじゃあ魔物もいない理由にはならないです。魔族が供に連れて行軍に出たとかならともかく――」
ユウキが意見を返そうとした、その時――樹海の中に悲鳴が轟いた。
続いて獣の鳴き声が響き渡る。
それが魔族の、そして魔物のそれだと気付くよりも先に。
地面が揺れ出して――そして、煌めく炎の柱が、天に向かって突き上がっていった。
「――――っ!?」
見上げるほどに背の高い、樹海の樹木よりも、更に高く、鋭く突き上がっていくそれに。
遥か遠くにも関わらず、全員が目視できるほどに天高く伸びていく、その衝撃的な光景に――ALUの全員の目が奪われ、誰かが叫ぶ。。
「な――なんだ、あれはッ!?」
ライが「……あれは? 数日前に郊外の森で目撃された、謎の火柱……?」と、誰にともなく呟く中。
「――――」
ユウキは、そしてアリサは、ただ真っ直ぐに――その煌めく炎を見詰めて。
そして――
心の中の、不安と、恐怖を。
初めての樹海――そして、初めての
声に出さずとも、確かに心の中に巣食っていたそれらを、見事なまでに、灼き尽くされる。
(……全く。そんなに俺らは頼りないですか。……師匠)
ユウキはアリサと目を合わせて、そして互いに、苦笑していた。
それは、過保護な師匠に対する呆れと、そして、ここまでしてもらわなければならない程に、心配されているという己に対する不甲斐なさへの、苦い笑みだった。
「まさか、魔族と魔物はあの火柱の所にいるのか? ……仲間割れか? あるいは何かしらのイレギュラーか? どうするユウヤ。事態を把握する為に斥候を送るか?」
「――大丈夫。あの煌炎は、敵ではないよ」
ユウヤへと進言するライ。
その間に割り込むように、ユウキが前に出て言った。
「むしろ、魔族と魔物があそこに引き寄せられているなら、今こそがチャンスだ。前に進もう。そして――
訝しげに眉をひそめて「お前に何でそんなことが分かるんだ」とユウキに問うライ。しかし構わずユウキは、ただユウヤだけを見詰めていた。
ユウヤは、そんなユウキの視線を受けて――静かに、目を細めながら。
「――煌炎……ねぇ」
そう、小さく呟くと――そのままユウキに背を向けて。
真っ直ぐに、当初の予定通りのルートへと足を進める。
「行くぞ、ライ。遠回りしている暇なんざねぇ」
「……ユウヤ。だが――」
「もし、その煌炎とかいうのが、俺らに害を成す何かであったならば――」
ユウヤは顔だけで振り返りながら、ユウキに向かって、確かな殺意を滲ませながら言う。
「この
ユウヤは――反勇者連合のリーダーは、はっきりとそう宣言して。
ライも、ユウキも、この場の誰もが、もう何も言えなくなった。
「……分かった。なら、先に進もう」
黒い獣人はリーダーの後に追従し、再び場を取り仕切り始める。
「本来であれば、このエリアを調査していたシータに案内をしてもらいたかったが――しょうがない。ここは俺が」
「――大丈夫」
私がやると、そう言ってライやユウヤを追い越して、隊の先頭に立ったのはレベッカだった。
「レベッカ……だが――」
「シータから調査結果は受け取ってある。それに、この辺りの土地勘が一番あるのは、間違いなく私なんだから」
私がやるべきと、そう振り向かずに主張するレベッカに。
(……土地勘?)
その言葉にユウキが疑問を覚える中、ライは、頑なに振り向こうとしない少女の背中に溜息を吐きながら。
「――分かった。ならば、お前に頼む」
ライはそう了承し、後ろに続く他のメンバーの隊列を組み直す。
そんな中で、ざくざくと樹海の中を、迷いのない足取りで進んでいくレベッカの姿を見遣りながら、ユウキはライへと問い掛けた。
「……ライさん。さっきの――レベッカさんのあれってどういう意味ですか? 土地勘とか言ってましたけど」
「――そうか。お前は知らないのか」
アイツのことを『黒い妖精』と呼んでいたから、てっきり知っているのだと思っていたと、ライはユウキの方を見ずに言う。
そして、先頭を行くレベッカに「……レベッカ。いいか?」と、そう問い掛けると。
やはりレベッカは振り向かずに「――別に」と、小さくそう吐き捨てた。
「私は
そして、レベッカは――遂に、その顔を振り返らせて。
紫紺の瞳で射竦めるように、ユウキに、アリサに、そして世界に、宣言するように言った。
「私は――ただのレベッカだ。それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもない」
そうよね、リーダーと、誰よりも自分に近い場所にいるユウヤへ、顔を向けてそう問うと。
ユウヤは「ハッ――」と笑って。
「たりめぇだ。分かり切ったこと聞くんじゃねぇよ」
そう言って、歩みを止めず、立ち止まっていたレベッカを追い越すようにして――その爛れた背中を見せる。
レベッカはそんなリーダーを追いかけるように前を向いて。
「――なら、それは私には関係ない話よ。誰に何を話そうと、私に許可を取る必要はないわ」
そう言って、レベッカは再び歩調を速めてユウヤへと並ぶ。
ライは、そんなレベッカの言葉を受けて、そのまま自身が先行している二人を除いて隊の先頭に立ちながら列を整えつつ、ユウヤとレベッカを追うように歩き出した。
そして、自身の隣を歩くユウキとアリサに向けて「……なら、お前たちにも話しておこう。これから向かう場所にも関係する話だ」と、そう語り出す。
「樹海の迷宮とはすなわち、あの黒い大樹だということくらいは知っているか」
「ええ。あの大樹の
「その通りだ。だが、その黒い大樹を取り囲むように、とある種族の村が存在しているんだ」
樹海のダンジョンの中へと入るには、その村を我々は通り抜けなければならないとライは言う。
なるほどと、ユウキは頷いた。
いくら強力無比な魔物が闊歩する不死の樹海の中にあるとはいえ、
他の七つの
この樹海の迷宮もそうだったのかと思うユウキだったが、ライはそんなユウキの言葉に首を振った。
「そうではない。その村は
先住民。
そう言われて、確かにそういうこともあるかとユウキは理解しつつ、己の不勉強を恥じた。
確かに、ユウキは樹海の迷宮が黒い大樹であるなどの知識は、前もって師匠たちから受け取ってはいるが、魔族が支配する前の世界の歴史については何も教えてもらっていなかった。
自分が問わなかったから教えなかったのか、あるいはこうして旅の中で自ら学んで欲しいと敢えて教えなかったのか、師匠たちの心は分からないが――今はそんな後悔よりも先に、まずは知っている者から素直に教えを請おうと、下手に知ったかぶりをせず、ユウキは続くライの言葉に傾聴した。
ライは、ユウキとアリサに向かって淡々と――誰よりも前を歩く、レベッカの褐色の背中を見詰めながら、言う。
「樹海の迷宮の前には――黒い大樹の根本には、
あの黒い大樹は――と、ライは、背の高い樹木が連なる海の中で、抜け出して背の高い、ここからでもはっきりと目視できる、禍々しき存在感を放つかの大樹を見上げながら言った。
「あの禍々しき大樹は、かの美しき大樹は、かつて、樹海に住まうエルフたちが信奉した――御神木だったんだ」
そして――黒い獣人は語る。
この世界の
それは、森林の妖精と、樹海の妖精――白い妖精と、黒い妖精の物語だった。
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