第9話 もうひとつの可能性
うねりを上げて突き上がって来る蒼き炎の渦に。
自由に空を泳げる筈の魔族の体は硬直し、思わず反射的に両腕を交差して己の顔を守ってしまった。
「う、うぉ――うぉぉぉおおおおおおおお!?」
そして――そのまま、成す術なく蒼炎に呑み込まれる。
中指を立て続けながら、魔族のそんな無様な姿に「――ハッ」と嘲笑を漏らしている男を。
火傷塗れの、爛れた醜い男の背中を、呆然と眺めながら――涙に暮れていた少女は呟く。
「…………りー、だー?」
黒い絶望から矮小な己を
皮が剥け、ドロドロに溶けかけているようなゴツゴツとしたその掌は――十年間、ずっと自分たちの為に戦い続けてくれた男の掌で。
「お前は悪くない。悪いのは世界と、そしてやっぱり、この俺だ。お前の恐怖を、お前の絶望を、焼き尽くすだけの希望を見せることが出来なかった――俺の
俺の炎がもっと
違う。悪いのは自分だ。弱いのも自分だ。この蒼い炎の火力不足だなんてことは全くない。
だって、十年前――自分の全てを奪った筈の、この蒼炎が。
恐怖の対象であり、心の傷そのものであるべきな蒼炎に――今では、こんなにも頼もしく、身を預けることが出来ているのだから。
(……そうだ。私は、とっくに知っていた筈だった)
世界はとんでもなく残酷で、魔族はとてつもなく凶悪だとしても。
それでも、そんな恐ろしくて堪らない筈の黒を、塗り潰してくれる――熱く、冷たい、蒼色を。自分はとっくに知っていた筈なのに。
(……私は、ただ言えばよかったんだ。怖いって。恐ろしいって)
そして――求めればよかったんだ。
勇者なんかよりも、ずっと頼りになる、私たちのヒーローに。
怖いもの、恐ろしいもの――そんなものを全て燃やし尽くしてくれる、このあったかい
「……リーダー……ッ!」
助けて――そんな、涙を流す少女の呟きに。
「――当たり前だ」
反勇者連合のリーダーは。
ユウヤは、たった一言――そう熱く呟いた。
「うぉぉぉおああああああああああああああ!!!」
魔族が黒い翼を
「人間がっッ!!! この俺に――この
「決まってるだろう」
ユウヤは突き立てていた中指を下ろし――今度は人差し指を真っ直ぐに向ける。親指も立てて――まるで。
生まれた
「家族を泣かされた――その当然の報復だ」
◆ ◆ ◆
発火した。
蒼く、熱く、爆ぜるように。
それは、余りにも突然だった。
どうしても許せなくて。
怒りが、恨みが、憎しみが――悪魔のように、己の中で暴れ出して。
気が付いたら――世界が蒼い炎の海と化していた。
何もかも己が燃やしてしまったのだと、気が付いた時には――何もかもが壊れた後だった。
何もかもが――終わり果てた後だった。
――失敗作だ。
自分たちを見詰める、失望しきった大人たちの瞳が過ぎる。
自分勝手に、希望を失った目を――思い出す。
(…………ッッ!! ふざけるな…………ッッ!!)
何を被害者ぶっている。何でお前らが、可哀想なふりなんかしているんだ。
勝手にこんなふざけた世界に
勝手にこんな
そうして、俺の家族を奪ったのも――全部、
怒りが沸き上がった。恨みが積み重なり、憎しみが膨れ上がった。
それが全部、暴れ出して――瞬間、身体が蒼く、発火した。
皮膚が爛れ、怨嗟の炎に呑まれて――何もかも吹き飛ばすように、爆ぜた。
結果――王都は、蒼炎上した。
それをまるで見越していたかのようなタイミングで、魔族が燃え盛る都に進軍し、文字通りの火事場泥棒に勤しんだのだということを――全てが終わり果てた後、ユウヤはひとりの少年から聞いた。
未だ往生際悪く、ちらちらと身体に蒼い残り火を燃やす、無残に焼け爛れた少年を、必死に助けようとしてくれた、小さく勇敢な少年から教えてもらったのだ。
初めは、その少年が
逃げ遅れた子供たちを、死に損なった子供たちを、必死に搔き集め、四苦八苦しながら率い、どうにかこうにか纏めたのは――彼だった。
まるで小人のように小柄な体で、何人もの泣き喚く子供たちを守っていた。
皆を助ける為に大人を見付けて庇護を求め、そんな大人が豹変すると小さな体で、より小さな者たちを守る盾となった。
勇者とは、こんな奴のことをいうのだと思った。
だとすれば確かに――自分はとんだ失敗作だった。
(俺は
燃やして、しまった。
この蒼い炎で、勇者になれと植え付けられた力で、何もかもを灰にしてしまった。
家族を守ることよりも――仇敵を燃やす方向で火力を上げてしまった。
勇者としても、長兄としても、とんだ失敗作野郎だった。
この手は既に真っ赤に汚れ、真っ黒に焼け爛れている。
勇者になんて今更なれる筈がない。なろうとも思わない。
(だったらせめて――盾になろう)
子供たちに鞭を打つ大人の顔面を鷲掴みながら――それを蒼く燃やしながら、燃え尽きた筈の少年は決心した。
もはや何の言い訳も出来ない程に、失敗に失敗を重ね続けた失敗作だけれど。
こうして無様に、厚顔無恥にも生き残ってしまった燃え
俺は、今度こそ。
家族を
失敗作と言われた少年は、そうしてもう一度――心に熱い炎を灯した。
◆ ◆ ◆
ユウヤが、炭のように黒く変色している指先から放ったのは――蒼色の弾丸。
それは昨夜、ユウキやアリサに向けて放たれたそれとは少し違う。
あれを砲弾とするのなら、正しくこれは――銃弾だった。
小さく凝縮された蒼い炎が、視認不可能な速度で真っ直ぐに対象を狙撃する。
大きく吹き飛ばすのではなく――小さく貫く。
対象を撃ち抜くことを目的に放たれた蒼き火の球は、見事に、魔族の右翼を貫通した。
「(馬鹿な……翼を……!? ――だがっ!) 嘗めるなっ!! この程度で!!」
墜ちるものか! ――と、魔族は体勢を立て直そうとする。
一瞬だけふらつきながら――だが、その一瞬で。
「――十分だ」
ユウヤは、一瞬だけ右足に溜めた『熱』を、そのまま踏みつけるようにして地面に打ち込む。
地中に――流す。
そして、噴火させた。
魔族の真下の地面から――天を
「な――――」
今度こそ、魔族には成す術がなかった。
その自慢の翼で、己に纏わる炎を飛ばすことも、空を泳いで避けることも出来なかった。
翼を弾丸で撃ち抜かれたように、全身を火柱で撃ち貫かれる。
「が――ハッ――!?」
「終わりだ」
そして――爆ぜる。
魔族の体を貫いた火柱が、そのまま空に花を咲かせるように。
「汚ねぇ花火だ――なんてな」
元の世界の元ネタを唯一知る同郷の少年は、そんな義兄の決め台詞に突っ込むことすら出来ずに――開いた口を、塞げずにいた。
「……すごい」
それしか言葉がなかった。
相手は魔族だ。
たった一体で都市を蹂躙するといわれる、人間の上位種。
ユウキとアリサも、討伐経験どころか戦闘経験すらない。
そんな、世界の支配種を――ユウヤは。
たったの一歩すら動かずに、一方的に打倒してみせた。
黒く燃え尽きる魔族が、その翼をさらさらと灰のように失いながら、力無く墜落する様を、どこか信じられない光景のように眺めていると。
そんなユウキに、ライは、どこか誇らしげに言う。
「どうだ? カッコいいだろう。あれが、うちのリーダーだ」
勇者ではない――もう一つの、世界を救う
自慢するような黒い獣人の言葉に、ユウキは真っ直ぐに――その変わらない背中へ向かって呟く。
「……知ってるよ」
ずっと――知っていた。
ユウヤというリーダーが、どれほどカッコいいのかということは。
誰よりも近くで、ずっと追いかけ続けてきたのだから。
◆ ◆ ◆
どすん、と、黒焦げの物体が地に堕ちると――喝采が湧いた。
ゆっくりと歩き出すユウヤの背中に、ユウキが駆け寄りながら声を掛ける。
「――ユウヤ!」
「おう。何処にいたんだ、自称勇者」
もう終わったぜと、そう不敵に笑う義兄に、義弟も笑みを返す。
「見てたよ。いつも通り、カッコよかった」
「――ハッ」
ユウキからの賛辞に、笑みだけを浮かべて再び前を向くユウヤ。
何故か背中から黒い妖精の睨み付けるような視線を感じたが、ユウキは己の背筋に走る悪寒を頑張って無視した。
「――ユウヤ」
「……ああ。分かってる」
続いてライがユウヤの傍に駆け寄るが、ユウヤは足を止めずに、倒れ伏せる魔族の元へと向かう。
そんな接近を感じたかのように、黒焦げの魔族は、うつ伏せの体勢から顔だけを上げて。
「ハハ――ハハハハハハハハ!!! これで……勝ったつもりか、人間……っ!」
見るからに、もう立ち上がることすら出来ない魔族の笑みに。
ライやユウキたちは表情を引き締めて――ユウヤは表情を消して、見下すように、冷たく言う。
「どうした? 雑魚キャラらしく、テンプレの負け台詞を遺言として吐いておきたくなったのか?」
「……この俺の翼を――貴様如きの炎が……灰に出来たと? 本気でそう思ったのか?」
思い上がるな――と、もはや顔を上げることも出来なくなったのか、顎を地面に落としながら、それでも、かかかと、魔族は人間を嘲笑うのをやめない。
「俺の翼は……灰になったと見せかけて――逃がしたのだ。今頃、灰から蝙蝠へと姿を変えて、我が同胞たちの元へ――
魔族の最後の悪足掻きに、湧いていたALUのメンバーの表情が固まる。
「…………そんな……ッ!」
本来の予定であれば、
奇襲する筈の、作戦だった。
だが、事前に襲撃が知られているとなれば――真っ向から迎え撃たれるとなれば、全ての前提が覆る。
作戦が――崩壊する。
十年間、この日の為に、全てを尽くしてきた乾坤一擲の作戦が――水泡に、帰す。
人類の、一縷の望みが――断たれる。
「それだけではない! 貴様らの叛旗を知った今! 貴様らの反抗を――人間らの犯行を知った我が同胞たちは!! 必ず、もう一度!
黒焦げになりながらも、瞳だけは真っ赤に輝かせながら叫ぶ魔族の言葉に――ALUの古参メンバーは。
ウィンキーは、そして、シータは、顔を青く染め上げる。
十年前の、あの、地獄が。
蒼く燃える世界に、何体もの黒い翼を持つ魔族が攻め込んできた、あの惨劇が。
再び、訪れる。
この都に――この世界に。
自分たちのせいで。
今度こそ――人間の。
「お前たちの負けだ!! 貴様らは終わりだ――」
「いいや。残念ながら――死ぬのは、お前だ」
強制的に、その
ユウヤは地に伏せる魔族の頭を踏みつけ――そして、燃えるように冷たい眼差しを注ぎながら、無表情で言う。
「わざわざ来てもらうまでもない。俺たちはこれから予定通り、迷宮攻略へ繰り出す。出迎えてくれるっていうならありがたいくらいだ」
「――――っっ―――ッッ!!??」
ユウヤは、再びその右足に蒼い炎を閃かせながら。
かつて、一人の大人を燃やし尽くした、あの時のように。
人類の仇敵を、無表情で、荼毘に付せる。
「世界を敵に回す覚悟なんざ――
蒼き炎が、再び爆ぜる。
黒く燃え尽きていた魔族は、今度こそ灰になり、天に昇る。
その灰は、蝙蝠になることはなく――只の遺灰として、世界の中に紛れていった。
◆ ◆ ◆
魔族が今度こそ灰となって死亡し、沈黙が満ちる中で。
「……ごめんなさい」
裏切りの少女の、罪を謝る声が、悲しく響く。
「私のせいで……折角の作戦が台無しになっちゃった」
ごめんなさい、ごめんだざいと、瞳に涙が溢れ、声も震えていくシータに、ウィンキーが何か声を掛けようとするが。
「いだっ!」
それよりも早く、ユウヤがシータの額にデコピンを放ちながら。
「言ったろ。お前は悪くない。それに――」
火傷塗れの引き攣った顔に、獰猛な笑みを浮かべながら言う。
「――お前の
ユウヤは、ぐしゃっとシータの頭を撫でながら、天に昇っていく魔族の遺灰を背に、ALUのメンバーに向かって声を張り上げる。
「十年前、魔族はこの王都を滅ぼした。故郷を奪い、家族を殺した。――そいつらは、十年の月日を経て、再び、俺たちに刻み込まれた傷を
ユウヤの言葉に、シータが顔を俯かせる。
ウィンキーは、そして他のALUメンバーたちもシータを見遣るが、その表情には彼女を責めるようなそれはなく、むしろ――。
「――その上、奴等は再び、この王都に攻め込もうとしているらしい」
ユウヤは――
強く地を踏み抜き――その言葉に、燃えるような熱を込めて言う。
「――お前ら。悔しくないのか?」
それは、まるで、それぞれの心の中で燻っている火種に
ユウヤは、その火種を大きくするように。
もっと、もっと、大きく燃やすように。
彼らの心に、意志に――怒りに、薪を放り込んでいく。
「いつまでも、
仲間を利用されていいのかと。家族を傷つけられていいのかと。
涙を流させたままで――本当にいいのか、と。
ギュッ、と、誰かが拳を握る音を、まるで聞き取ったかのように、ユウヤは言った。
「ムカつくだろ? 許せねぇよなぁ。だったら、その拳で――ぶん殴りに行こうじゃねぇか」
今日は絶好の――叛逆日和だと、ユウヤは、そう言って笑って。
「ウィンキー! シータと一緒に非戦闘員たちを他の都市へ逃がせ! ライ! 準備は出来てるな? 戦闘員たちを誘導して隊列を組み直せ! 夜が明けるのを待つ必要はねぇ!」
現世界の支配体制に叛旗を翻すテロリストグループのリーダーは、まるで名乗りを上げるように。
堂々と、憎き世界に向けて、宣戦を布告する。
「今日! 俺たちは!! 樹海の迷宮を攻略する!!!」
涙を流すだけの日々は――今日で終わりだ!!
リーダーの勇ましき宣言に――うぉぉぉおおおおおおお!!! と、ALUのメンバーが天に腕を突き上げて雄叫びを上げる。
魔族に対する、人類の九十年ぶりの戦いが、この日、遂に始まろうとしていた。
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