第8話 魔族、強襲
翼を羽搏かせる異形の者は、文字通り彼らを見下しながら、吐き捨てるように言った。
「家畜共が。大人しく柵の中で食われるのを待っていればいいものを」
そして、とても同じ生物に向けるような、それではなく。
正しく――塵を見るような眼差しを、降り注がせる、魔のモノは。
「脱走するだけならばいざ知らず、畜生の分際で、選ばれし魔族に噛みつこうなどとは――都市を一つ滅ぼされる程度では、
初めて――人間たちに、殺意を向ける。
「――――ッッ!!!?」
瞬間、世界中から掻き集められた
「………………っっ!!?」
当然ながら、彼らが魔族というものを目撃したのは――何も、これが初めてというではない。
既に世界を我が物としたに等しい魔族は、世界中にその生息地を広げている。
むしろ、彼らが支配する土地への潜入こそを本分としているのがALUだ――しかし。
魔族にとって、人間とは――否、己らの同胞以外の、他の全ての生命は、家畜や虫、塵芥に過ぎない。
その視界に入っても個体として認識されることはない。
生理的嫌悪は覚えても――個別の虫に殺意を抱くようなモノは存在しない。
否――正確には、殺意を向けられるような存在は、その場で確実に殺されるが故に。
今、生き残っている人間たちは、魔族の殺意を体験したことなどある筈がないのだ。
「…………………っっっ!!」
だから――知らなかったのだ。
魔族というモノが、こんなにも恐ろしい存在なのだということを。
否――知っていた。知っていたつもりだった。
その強さも。その恐ろしさも。
たった百年で世界を――人間を支配した悍ましき怪物だと。
しかし、違う。
歴史を知っているのと、猛威を知っているのと――実際のそれは訳が違った。実物のこれは、話が違った。
王都を滅ぼされた、十年前のあの日の恐怖とも、また違う。
愉悦と共に、遊び半分で都市を滅ぼされた――あの地獄の恐怖とも、また違う。
母親の胎内にいる時から細胞に刻み込まれていた――生物としての明確な序列関係。
人類の上位種。この世界における霊長種――それが、魔族なのだと、細胞が悲鳴を上げている。
被捕食者が――食物連鎖の上位たる捕食者から向けられる、直接的な殺意とは。
こんなにも――恐ろしいものなのかと、彼らはただ、震えることしか出来なくて。
「――何故、魔族がここに居る?」
それでも、頭を垂れず、膝を屈さず――心を、折らせず。
己らを見下ろす翼あるモノを睨み付けるように、天を見上げる者たちは――未だ、確かに存在していた。
この世界の支配種に対し、その支配を拒むように、決して屈さない――戦士たちがいた。
「…………理解出来ぬな」
その魔族の眼に映っているのは、たった四つの塵芥。
内二つは――黒き体を手に入れていることは、魔族の眼でも判別することが出来て。
「
魔族は、己と同じ――黒い身体を持つモノを。
黒き獣と、黒き妖精を見据えながら、心の底から意味が分からないと首を振る。
「にも関わらず、何故、かの御方に反旗を翻すような真似が出来る? この身に流れる魔の力の意味を――この素晴らしき魔の甘味を、どうして理解出来ない? ……所詮は獣、所詮は羽虫か」
その魔族の言葉に、目を細めて敵意を膨れ上がらせるレベッカを――ライが片手で止め、「御託はいい。質問に答えろ」と、魔族を睨み続けながら、再び問う。
「――何故、魔族がここにいる?」
先述の通り、魔族という生物の、その殆どの個体は、他の種族のことにまるで関心がなく、揃って塵芥のように見下している。
故に、その生物の社会的生活になどまるで興味を示さない。個体別認識すらしない。
だからこそ、これまでALUは、彼らの視界の背景に紛れることで暗躍を続けてきた。
なのに――何故、十年間の結集ともいえる、最重要作戦の準備が整ったという、この最悪のタイミングで。
魔族が――
確かに、先日に郊外の森から出現した謎の光の柱のような、あんな規模の特異現象が発生すれば、流石の魔族とて異常事態の把握の為に斥候を送り込むかもしれないが――この旧王都は、とっくの昔に破壊し尽くした、いわば魔族にとっても終わった場所の筈だ。
そんな場所にわざわざ警戒網を引いて、クーデターを事前に察知し、未然に防ぐなどという行動を、魔族が取るなど考えられなかった。
故に、ライは問い詰める。
どうやって――
黒い獣人の問いに――魔族は、口端を引き裂きながら答えた。
「――甘い香りに誘われてな。ついつい、こんな
そう言って、魔族が虚空から手の上に出現させたのは――禍々しい光を放つ水晶だった。
内部で黒い何かが渦巻くそれを見て、ライは驚愕に表情を歪める。
「それは――
それは魔力という黒き力によって発動する黒魔法を込められた
一応はライやレベッカなど、
何故なら、
しかし――その魔族が、己の手に持つ水晶に魔力を流すことで、水晶を黒く、禍々しく輝かせると――。
この旧王都に設営したALUのキャンプの片隅から、共鳴するように、同色の黒い光が発せられた。
本来ある筈のない、許されざるその光が――何かを炙り出すように輝いていた。
「お、お前――っ!」
周囲にいたALUメンバーが、潮が引くように離れていく中――その少女は、まるで罪を掲げるように、その水晶を懐から取り出しながら俯いていた。
ALUメンバーが――否、人類が所持することが禁じられている筈の、呪いのアイテム。
禍々しき黒い光を放つそれは――紛れもない、裏切りの証だった。
「………ごめんなさい……ッ」
少女は、黒く光る水晶に涙を垂らす。
「何で……何でお前が、そんなん持ってるんだよっ!!」
ウィンキーが瞳を揺らしながら叫ぶ。
彼は、その少女をよく知っていた。何故なら、この少女もまた、ウィンキーと同じくALU発足時からの古参メンバーのひとり。
十年前の、この地で――全てを失った。
王都蒼炎上による、戦災孤児のひとりなのだから。
少女は、黒き水晶を手に乗せながら、がたがたと震えて。
「作戦の日が……近付いて。また……この、王都に戻ってきて……しばらく経った……時――」
私は、魔族と
少女は、涙ながらに、語った。
◆ ◆ ◆
破壊され尽くした王都。廃墟の海と化した故郷。
十年前、全てを失った地獄の光景を、否応なく記憶の底から引っ張り出してくる凱旋だった。
必死に思い出さないように、何も浮かび上がってこないようにと、頭を振り続けながら――少女は樹海を探索していた。
戦闘能力に秀でることは出来なかった彼女の、それはいつもの仕事だった。
事前に敵地を探索し、存在感を消して潜り込み、作戦の為の下準備をする。
けれど、己のとっての原風景をぐちゃぐちゃにされた、忘れようにも忘れられないほどに心に刻み込まれた――あの恐怖を抱えながら。
あの日の炎の熱さを、燃えるような空気の味を、何もかも奪い去っていた嗤い声を、鮮明に思い出してしまった中で。
どんどんと間近に迫っていく、十年間の集大成たる作戦の決行日が――もう後戻りが出来なくなる号砲の日が、刻一刻と近づていくにつれ。
魔族との直接対決の日が――宣戦布告に等しい強襲作戦の日が、近づくにつれて。
少女の鼓動は日を追うごとに荒くなり、動きに精彩さを欠いていった。
掌の汗が乾かない日はなく、それを自覚しないようにと我武者羅に無茶を繰り返していった結果――少女は、下手を打った。
樹海の奥に入り過ぎて、一体の魔族に見つかったのだ。
古参メンバー故に危険地帯の調査を任じられていた少女の担当エリアは、魔族の行動範囲と僅かながらに重なっていた。それでも、普段の彼女なら、人間など視界の端にも入っていない魔族の目を欺くことなど容易だった筈だ。
だが、この時の彼女はいつもの彼女ではなく、そして、戦闘能力を持たない彼女に――個体認識した存在に向ける魔族の威圧を耐えることなど、出来る筈もなかった。
「人間――こんな場所で、一体、何をしている?」
死ぬしかないと思った。
今の自分ではこの魔族から逃げることは出来ない。
仲間たちが十年間の全てを懸けた作戦を、人類の最後の希望たる作戦を――自分のせいで台無しにするわけにはいかない。
恐怖で震えながらも、持っていたナイフを己の首へと突き立てようとした少女に。
魔族は、口端を引き裂くような笑みを浮かべて。
少女の頭に手を乗せて、魔力を流し――その脳の中の全てを読み取って、口端が裂ける笑みをより一層に深めながら、人間の少女の小さな耳に、真っ黒な何かを注ぎ込むように囁く。
「十年前――
◆ ◆ ◆
呪われた水晶を握らされた少女は、同志だった少年少女に距離を取られている。
ぽっかりと、まるで誰かの心のように寂しくなったその場所から飛び出して――少女は魔族の元へと駆け出した。
「お願い!! お母さんに会わせて!! ほら! こうして約束は守ったじゃない!!」
ALUの作戦の準備が全て整い、もう完全に後戻りが出来なくなったタイミングで。
その全てを台無しに出来る最高のタイミングで俺に知らせろという、魔族の囁きに乗ってしまった少女は。
十年間の苦楽を共にした仲間を裏切った少女は――かつて全て失ってしまった
「お願い!! お母さんに会わせて!! お願いだから――約束を守って!!」
「ああ――約束は守るとも」
かつて全てを失った少女は、今度は自分の手で、全てを捨ててしまった少女へ――その魔族は。
かつて、己の全てを奪った――十年前のあの時と同じ笑みを持って、言った。
「母が待つ――あの世で再び会うといい」
両手を仰ぐように広げる少女へ、黒い魔力の塊が放たれる。
それを見て――ああ、あの時と同じだと。少女の心に真っ黒な絶望が広がっていく。
不思議と悲しみはなかった。
やっぱりこうなったと、そんな諦観がじんわりと包み込んでいく。
(……分かっていた筈じゃない。これが魔族だって。これが――世界だって)
分かっていた。ちゃんと知っていた筈だ。
忘れたことなどなかった――だから、気付いていた筈だ。
目の前のこの魔族が、樹海で遭遇してしまったこの魔族が――十年前、己の全てを奪った張本人だということを。
父を殺し、母を攫った、あの日の魔族だということを。
(分かっていたのに……ッ! あの日に――思い知っていた筈なのに……っっ!!)
どうしてこんなことをしてしまったのだろう。
どうして――こんなことになってしまったのだろうか。
嘘だと分かっている筈なのに、魔族の甘言に乗ってしまった。
叶う筈ないと、必ず裏切られると、知っていたのに。
絶望を誤魔化す為に、偽りの希望を抱いてしまった。
どうすればよかったのだろう。
魔族に見つかったあの時に、ちゃんと死ねばよかったのだろうか。
いや――きっと、自分は、もっと前に戦うべきだったのだ。
魔族に対する恐怖と。十年前に刻み込まれた恐怖と。
そして――ちゃんと、固めるべきだった。
この世界と、戦う覚悟を。
他の皆がとっくに済ましていたことを。
後回しにし続けて、目を逸らし続けて、逃げ続けた結果がコレだ。
痛みを堪えながら。悶え苦しみながら。
それでも、しっかりと現実と戦って、消えないその傷との向き合い方を、皆が模索している間も――自分は、己の弱さの殻にこもって、何もしなかった。
その結果が、コレだ。その末路が、コレだ。
仲間を裏切り――新しく手に入れた筈の、家族を裏切った。
その報いが、その罰が――未だにちゃんと恐ろしい、この黒い魔力によって召されるということなのだとすれば。
それは――こんな自分にはお似合いの、悪くない結末なのかもしれなかった。
「――ああ。お前は悪くない。お前は何にも悪くないぜ、シータ」
ライが爪を構えるよりも――前に。レベッカが黒風を放つよりも――前に。
アリサが抱き寄せるよりも――前に。ユウキが前に出る――よりも、前に。
蒼く熱い炎が――黒く穢れた塊を、一瞬で燃やし尽くしていた。
十年前――シータの心に巣食い続けた、蒼く燃える王都の光景。
かつてのそれと同じ、蒼い炎が、何故か今――自分を
衝撃と熱風が荒れ狂う中、その火傷塗れの男は、悠々と――涙を流すシータの前に立った。
「悪いのは――いつだって、このふざけた世界だ」
かつて――勇者になれなかった少年は。
勇者と呼ばれた者以外の誰もが平伏したという、人間の上位種に対し。
世界の支配種たる魔族に対し、中指を突き立てながら、傲岸不遜に笑って見せた。
「人間様を、見下ろしてんじゃねぇよ――――蠅が」
突き立てた指から発生した蒼き炎の渦が、人類を見下ろす魔族を呑み込んでいく。
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