第6話 勇者とヒーロー
「………惚れたから、か」
ハッ――と、心の底から呆れ果てたように、ユウヤは嗤った。
「相変わらず、めでてぇ頭してんなぁ、テメェは」
まるで水を差されたとばかりに、ユウヤは蒼い炎を引っ込めて、そのままゆっくりと短い階段を上り。
どかっと、再びソファへと座り込む。
「………ユウヤ」
ユウキは、そんな風に怒りを鎮めてくれた義兄に――自分の為に、一生消えるわけがない、一生消火されるわけがない炎を、この場では一旦鎮めてくれた義兄に向かって言葉を投げ掛けようとしたが。
そんな義弟を、制するように――ユウヤは言う。
「反勇者連合――なんで俺が、こんなチーム名にしたか分かるか? ユウキ」
ユウヤが語り出したのは、ずっと疑問だった――ユウヤが率いるテロリスト集団の、この世界の支配者への叛逆者集団の、チーム名の由来。
「…………」
ユウキは、開きかけた己の口を閉じて――傾聴する。
そんな姿勢を見せた義弟に、ユウヤはゆっくりと、背凭れから背中を離した前傾姿勢で、口を開いた。
「今から百年前のことだ。女神が召喚した百人の勇者候補、その中のひとりが、史上初めて、魔王の元にまで辿り着いた。結局は勝てなかったが――あの不死山の頂上で繰り広げられた頂上決戦は、正しく死闘だったらしい」
ユウヤが語り始めた時、ユウキは空の黒が薄まっているのに気付いた。
黒から白へ――そして青へ。
夜が――明け始めていた。
「その時、世界は確かに期待したんだ。希望を抱いちまった。もしかしたら、人間も魔王に勝てるかもしれないと」
みんな忘れられねぇのさ。あの時の甘い幻想を。
もしかしたらっていう、あの時の希望の味を。
ユウヤは、ゆっくりとそう呟きながら、再び立ち上がり――心の底から侮蔑するように吐き捨てる。
「だからこそ、この世界の人類共は、どいつもこいつも碌に抵抗もせずに、魔族の支配を受け入れちまっている。いつの日か、勇者様が再び現れて、今度こそ世界を救ってくれるんじゃねぇかって」
自分たちが何もしなくても――戦わなくても、立ち向かわなくても。
重くて危ない武器を取らなくても―――意を決し、覚悟を決めて、立ち上がらずとも。
いつか、自分とは違う、選ばれし勇者様が。
自分とは全く関係のない所で、あずかり知らぬ所で。
しんどいことは、危ないことは、痛いことは、苦しいことは。
全部――肩代わりしてくれると。
自分は汗水垂らさず、血を流さず、こうしてへこへこ頭を下げてさえいれば。
誰かが、いつか、いつの日か。
勝手に――世界を、救ってくれるかもしれないと。
「そんなふざけた幻想の果てが――俺ら、十人の子供たちだ」
勇者が、きっと何とかしてくれる。
そんな幻想が生きている限り、この世界の人間は――救われねぇんだと、火傷まみれの少年は言う。
「だからこそ、覚まさなくちゃならねぇ。この世界を、反吐が出るほどに他力本願な、そのクソ甘い幻想から」
今は貧しい借金生活だけれど、いつか宝くじが当たって大金持ちになれるんじゃねぇかって。
まったく自分磨きなどしていないけれど、いつか空から俺のことを大好きな美少女が降ってきて、勝手に恋人が出来るんじゃねぇかって。
百年もの間、世界中をほんのり覆い続けているそんな幸せな夢から。
全人類を醒まさせて、現実と戦わせなくちゃならねぇんだと。
「だからこそ――『俺』なんだ」
そう、ユウヤは。
ユウキを、アリサを――そして、己が配下たる反勇者連合を見下ろしながら言う。
「失敗作といわれた俺が、勇者失格といわれたこの俺が――魔王をこの手で殺してみせる。この炎で燃やし尽くしてみせる」
炎のように熱く、蒼のように冷たく、世界を支配する王を弑逆すると。
「世界を救う程度のことに、勇者なんていらねぇって当たり前の常識を、この世界のアホみてぇな人類共に証明してやるのさ」
それが、俺の全てを奪った、この
熱く、冷たく、嗤って言う。
「十年前――俺はそう誓ったんだよ。ユウキ」
義弟のめでてぇ誓いの言葉に、己のそんな誓いを返したユウヤに。
ユウキは(……ああ。変わらない)と。
全身を火傷に侵され、見るも無残な姿に成り果てようとも。
あの頃と同じ輝きを放つ姿に、改めて――見惚れた。
(ユウヤ兄は……ずっと……ずっと、かっこいいな)
かつて、あの教会の家で。
家族が育ったあの施設において――常に子供たちのリーダーであったユウヤ。
みんなをその背中で引っ張って、庇って、守って――戦ってくれた、長男。
あの頃、九人の子供たちの全員が、いつもカッコいいユウヤに憧憬を抱いていた。
(反勇者連合――このチームもきっと、このユウヤの輝きに魅せらて集まったメンバーなんだろうな)
ユウヤという、熱く、冷たい、炎の輝きに――惹かれ、魅せられ、集ったのだろうと思った。
よく分かる。
他ならぬ自分も、かつては間違いなくそうだったから。
(――でも)
ユウキは、真っ直ぐに――ユウヤを見上げる。
己の背中に――眩い黄金を感じながら。
(それでも……僕には)
もう、新しい――光がいるからと。
ユウキはユウヤと――目を合わせる。
(もう……僕は、ユウヤとは違う道を選んだ。だから――)
その道の、アリサの夢の障害となるのならば――と、ユウキは再び、下ろしたその木刀を握る手に力を入れて。
「…………」
ユウヤは、そんな義弟の静かな殺気に、己の掌の中で蒼い火花を瞬かせて。
「なら、決まりね。流石は
そんな時――張り詰めた空間に、明るい少女の声が響く。
ぱんと、間抜けにも聞こえる手を合わせる音に、その場の注目が――たった一人に集まった。
レベッカやライ、ALUのメンバーたちだけではない――ユウヤも、そしてユウキも、訝しむように、その少女を。
アリサ・ゴールディを――見詰める。
(アリサ!? 何言って――)
ユウキがそんな風に背後を振り返るのも構わず――アリサは真っ直ぐに、ユウヤに向けて口を開く。
「だって、やることは同じじゃない。勇者を否定する為でも、勇者を後継する為でも一緒よ――目指す
どちらにせよ、魔王を倒して、世界を救うんでしょ? と、黄金髪の少女は言う。
この世界で、最も貴き血脈の末裔は言う。
ユウキの手を取って、そのままずんずんと進み、階段を上って――ユウヤに向かって、はっきりと物申す。
「なら――互いに向けるのは! 生きて! 再会した! 義兄弟に向けるのは! 剣でも、炎でもない!」
握手の筈でしょ!! ――と。ユウヤに向かって、ユウキの手をグイッと突き出して。
「例え、どちらが魔王を倒しても。得られる結果は、得られる世界は――同じ。平和な未来だわ」
黄金の少女は、朝陽を浴びながら、きらきらと輝く――少年たちに言う。
「あなたたちは、二人ともヒーローよ」
ヒーロー。
異世界には――勇者の世界には、そんな言葉があるのだと聞いた。
――ヒーローって、勇者と何が違うの?
そんな風に問うてきた幼きアリサに。
初代勇者といわれた男は。
遠い何処かを見詰めながら答えた。
――きっと、
ハッ――と、再びユウヤは吐き捨てるように笑う。
「……簡単に言ってくれるな。これだから世間知らずの御姫様はよぉ」
ユウキの手を弾くように振り払ったユウヤは、そのまま二人の横を通り過ぎようとする。
そして、すれ違いざまに、アリサに向かって言った。
「俺はお前に惚れたわけじゃねぇ。人の義弟は上手いことたぶらかせたようだが――俺はお前を、許していない」
その横顔を見て――ユウキは思った。
(ユウヤ兄は……昔から聡かった。勿論、ユウト兄ほどじゃなかったけど)
それでも、自分なんかよりも、ずっと頭がよかったユウヤが――気付いていない筈がない。
それが――ただの八つ当たりだということに。
本当の憎悪の対象は明確に別に存在していて――それでも、ぐつぐつと煮えたぎる炎を、ただ内に溜め込むだけでは、もう己を保つことが出来ないから。
「ゴールディ家には恨みしかねぇ。ユウキは生きていたが……それでも、他の八人の――家族の仇であることには変わりはない」
「勿論よ。言ったでしょ。許されるなんて思ってない。あなたの気が済むのなら、私に出来るどんな贖罪もするつもり。だけど」
私の命なんかですっきり晴れるほど、あなたにとっての家族は軽くないでしょ――と、アリサは己の横を通り過ぎるユウヤに言う。
「世界を救えた暁には、私の父母の――王族であるゴールディ家の罪を白日の下に晒してもらって一向に構わないわ」
私は王家を復興させたいんじゃない。世界を救いたいのよ――と、今度はアリサが、この場にいる全員を見下ろすように言う。
否――ただひとり。
ユウヤが階段を降りた為に、ただひとり、同じ高さから――その横顔を眺めている男は。
その朝陽に照らされる、黄金に輝く少女に――目を、奪われる。
(ああ――)
好きだと――改めて。心、奪われる。
「許してくれとは言わないわ。だけれど、この手は取って欲しい」
アリサは再び、ユウヤに向かって手を伸ばす。
「お互いの望む夢の為に、お互いを利用し合いましょう」
既に、この空間は、たったひとりの少女に支配されていた。
(これが――アリサ・ゴールディ)
黒い獣人は、その黄金に輝く少女のカリスマに、目を離せなくなっている己に気付く。
(これが、かつて世界を一つに纏め上げた王族――ゴールディの血統の力か)
そんな空間に、一人の男の嘲笑が響いた。
ハッ――と、少女の言葉を嗤ったユウヤは。
「それはつまり――俺も、お前に惚れろってことか?」
そこの間抜け面を晒している義弟のようにと、赤い顔でアリサを眺めながら呆けていたユウキを顎で指し示すと。
あわあわするユウキをくすっと一瞥して。
「あら? 誤解があるようだけれど、そもそも時系列が逆よ」
アリサは――まるで太陽のような笑顔で言った。
「惚れたのは、私の方が先だもの。私の勇者は、この世界でたったひとりだけ」
王家の復興は望まないと、そう宣言した王家の末裔は。
胸を張って、堂々と宣言する。
「私の夢は――お嫁さんよ」
平和な世界でいつまでも幸せに暮らしましたとさエンドの為に必要だから、世界を救うまでのことよと、先程まで撒き散らしていたカリスマが雲散霧消するような――子供のような夢に。
呆然とするALUメンバー、真っ赤になった顔を両手で覆うユウキ、むふーと何故か得意げなアリサと、混沌とする状況に。
ハッ――と。
ひとりの少年の、思わず噴き出たといった――笑顔に、全員が、呆気に取られた。
「本当に……めでてぇ、奴等だ」
お似合いだよ、テメェら――と、ユウヤはそう、噛み締めるように呟いた。
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