第5話 惚れたからだよ
アリサ・ゴールディ。
かつて世界を一つに纏め上げた偉大なる王国――ロマド王国の正統なる血筋を受け継ぐ王家の末裔。
かつてこの王都ガラムに暮らしていた者ならば、誰もがその名を知っているが、その姿を見た者は極端に少ない、その幻の姫君に、反勇者連合のメンバーの瞠目の視線が集まる中。
その反勇者連合のリーダーであるユウヤは――十年と半年前、勇者召喚された異世界人は、歪んだ笑みを浮かべながら言う。
「――お前は俺を知らねえよなぁ? だが、俺は――お前をよぉーく知っているんだぜ、お姫様」
一歩ずつ階段を降りながら、ゆっくりと己に近付いていくる包帯まみれの男に。
自身に集まる注目を感じながらも、アリサはそれらに構わず真っ直ぐにユウヤと目を合わせる。
ユウヤは、そんなアリサに、燃えるような剥き出しの激情をぶつけた。
「元凶って意味なら、勇者なんていう概念なんかよりも――よっぽど直接的な、俺らの悲劇の元凶だからよぉ、テメェは!! あぁ!? そうだろう、ユウキ!!」
アリサを真っ直ぐに見据えながらも、ユウヤはユウキに向かっても勢い良く言葉を投げつける。
その正体を明かしても尚――未だ、アリサ・ゴールディの傍に、寄り添うように立ち続ける、自身と同じ境遇の弟に。
自分と同じ――異世界に拉致召喚させられた、被害者たる義弟に。
分からねぇと、全身で疑問符を浮かべながら問い掛ける。
「なのに、どうしてだ? 意味わかんねぇよお前。その女が元凶なのを、俺たちはよぉぉぉぉく知ってんだろ? なのに、なんで――その女と、そんなに仲良くしてんだよ?」
そんな風に、庇って、守って――と。
ユウヤは、火傷まみれの顔面の皮膚を、血が出るほどに掻き毟りながら首を傾げる。
「その女じゃなく――
階段を降りきって、同じ目線に立つユウヤに向かって。
かつてよりも、互いに随分と高くなった視線をぶつけ合いながら――ユウキは、黒い木刀の切っ先を、ユウヤへと向けていた。
悲劇の元凶を背に庇いながら、同じ境遇の家族たる――義兄に剣を向けていた。
ユウヤは、首を傾げながら、だらだらと顔から赤い血を流しながら喚く。
「俺らがこんな
変わり果てた、成り果てた、火傷塗れの醜い己の身体を右手で示しながら。
ユウヤという少年は――燃え盛るように叫ぶ。
「全部――この女の為だろうがよ!!!」
真っ直ぐに、義弟の後ろに庇われている女を。
黄金の髪を夜風に靡かせる、この国の王族の末裔を――突き刺すように指さしながら。
「この女のせいで! 俺らはこんなになっちまったんじゃねぇかよ!!」
なあ!! ユウキ!! ――と、蒼い炎の熱風が、ユウキたちに向かって襲い掛かる。
「――――っ!」
ユウキは思わずアリサを庇うように更に前に出ようとするが――アリサはそんなユウキを押し退けて、ユウヤに向かって強く一歩、足を踏み出し、近付いていく。
そんなアリサに目を見開くユウヤに――王族の末裔たる少女は、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたたちには、私はどうあっても償い切れない。……私の母が、私の父が、私の為に……してしまったことは――本当に、許されない罪だから」
燃えるように熱い風が吹き荒れる中、ユウヤはアリサに「――ハッ!」と吐き捨てるように言う。
「パパとママが勝手にやったことだ。私は何も知らなかったから許して、とでも?」
「……ううん。そんなつもりはないわ。許してもらうなんて思ってもない」
だけど――それでも、と。
ユウヤの燃えるように熱い怒りを受け止めながら――アリサは、ゆっくりと、頭を下げる。
「――――ごめんなさい」
ただ、そう――謝罪した。
真摯に――罪を、謝った。
両手を揃えて、腰を折り曲げて、さらさらと――黄金色の髪を揺らしながら。
王族の頭を、深く、深く、下げた。
「――――」
沈黙が、空間を支配した。
反勇者連合のメンバーは呆気に取られる。
種族としては人間ではない、ライも、レベッカも、その光景に言葉を失う。
「――――」
ユウヤもまた、絶句していた。
一瞬の間――表情も、感情も、何もかもをなくしていて。
だが、その口の中から。
蒼い――炎が。
熱い、熱い――怒りが。
「……ごめんで……すめば――」
火口から、マグマが昇るように――噴火する。
「勇者なんて――いらねぇだろうがよっ!!!」
大きく、拒絶するように――右手を強く、横薙ぎに振るう。
その掌から飛び出すのは、先程のそれよりも遥かに凄まじい――蒼色の火球弾。
「…………」
頭をゆっくりと挙げたアリサは、急速に己に向かって襲い掛かるそれを、身じろぎ一つせずに、瞬き一つせずに待ち構えて――。
アリサに激突するよりも早く――翠色の水流を纏った斬撃が、蒼色の火球弾を真っ二つに斬り上げた。
黒い空に向かって、二つに割れた蒼い火の玉が飛んでいく中。
「だから俺は――勇者になると決めたんだ」
姫を庇った剣士――ユウキは。
翠色の水流を纏った黒い木刀を振り抜いた姿勢で――真っ直ぐに、ユウヤを見据えながら言った。
「…………あ?」
聞き間違えか――と、ユウヤはユウキに威圧的に返す。
もう一度言ってみろと。ふざけたことを宣うなと。
それ以上言うのは許さないと――義弟を殺気で圧すユウヤに。
ユウキは、剣先を下ろしながら。
それでも、もう一度――はっきりと、宣言する。
「ユウヤ。――俺は、勇者になる」
蒼い火球弾が擦過する。
ユウキの頬を掠めるように、銃弾のように放たれた殺意が、ユウキを襲った。
ドロドロとしたマグマのような視線を向けて来るユウヤに対し、ユウキはもう――剣を構えようとすらしなかった。
地面を跳ねた火球弾を、周囲に被害がないようにライが再び天に向かって弾くが、ユウキとユウヤはそちらに見向きもせず、ただお互いだけを見据えている。
「……確かに僕らがこうなったのは、こんな風になってしまったのは――勇者なんていう幻想のせいかもしれない」
かつて、世界を救うまで、あと一歩まで迫った――初代勇者。
魔王を倒す――そんな夢想を、現実にしてくれるかもと、全国民にそう思わせてくれた、優しい希望。
それに縋りたいと、そう思わせてしまう程に甘く魅力的な――儚き、幻想。
「または――アリサ・ゴールディという、光り輝く才能のせいだったのかもしれない」
世界を救う使命を背負った――ゴールディ王族。
その王家に生まれた、余りにも眩い、金色に輝く才能。
百年間、何の希望も生まれなかった世界に誕生するには、余りにも――危うい才能。
そんな愛娘の未来を憂いて――アリサの両親が、勇者召喚の儀という禁術に手を出してしまったのは、紛れもない事実だ。
アリサという娘の未来を守る為に。
アリサ・ゴールディを、勇者の代替品にしない為に。
アリサ・ゴールディの代替品の勇者を召喚する――そんな禁じ手に手を出してしまった。
結果――アリサの両親の狂気の果てに。
何の罪もない十人の子供たちは、異世界に拉致召喚されてしまった。
「そうだ!! その挙句に奴等は!! 俺らのことを『失敗作』だと抜かし!! あらゆる『禁術』を重ね掛けやがった!! 十人の――子供にだッッ!!!」
ユウキも――そしてアリサも。ユウヤのその叫びには、何の言葉も返せなかった。
確かに――初めは我が子を想う、愛娘を憂うが故の、蜘蛛の糸に縋るが如き最終手段だったのかもしれない。
だが、その後の――半年に渡る『人体実験』の数々は。
拉致召喚した『十人の子供たち』への――『失敗作』の勇者候補たちに対する『
只の――狂気の、大罪だ。
「俺たちの人生は!! 俺たちの幸福は!! ――そこにいる、たったひとりの女の為に全て狂わされた!!」
真っ赤な涙を流しながら、火傷まみれの少年は叫ぶ。
頬を流れる血に、瞳から溢れる涙を混ぜ合わせながら、勇者になれなかった少年は咆哮する。
「俺も! お前も!! ユイも! コウセイも! マモルも! ケントも! ミカも! トオルも! シズも! ――そして、ユウトも!!」
ユウキは、その言葉ひとつひとつに、ユウヤの口から飛び出す名前一つ一つに、全身を切り刻まれるような痛みを覚える。
分かっている。覚えているとも。忘れられるはずがない。
だって、全員が――かけがえのない。
同じ家で育った――家族なのだから。
「いきなりこんなわけのわからない
死んだ――みんな、死んだと。
ユウヤは、震える己の手を見詰めながら――真っ赤な涙を、血の涙を流しながら、告解する。
「俺のせいで――殺されたんだ!!!」
ユウキは、遂に堪え切れずに――つうと、一筋の涙を流す。
誰よりも、己を許せないと――己を憎悪する、その姿に。
己を燃やすように呪う――義兄の、姿に。
「こんな……
不気味に蒼く燃える、己の両手に。
どれだけ燃やそうとしても、もう――己の身体を燃やすことも出来ない、その蒼い炎に。
「……何が――勇者だ……ッ!!」
己の最も大事なものを救えなかった少年は。
己の最も大事なものを燃やし尽くすことで完成した、その呪いの結晶が如き蒼き炎を憎悪しながら――ユウヤは問う。
「……なのに――どうして、テメェは……その女を守る?」
どうして――勇者になんてほざけるんだよッッ!! と、蒼い炎を膨れ上がらせながら、激昂しながら問い詰める義兄に。
「――――惚れたからだよ」
涙の跡をくっきりと残しながら、それでも義弟は、微笑みを向ける。
蒼き炎が噴き上がる王城から、無様に吹き飛ばされた、今にも死んでしまいそうだった自分を。
その小さな身体で助けてくれた――黄金色に輝く髪の幼き女の子を思い出しながら。
かつて、失敗作の烙印を押された少年は言う。
「惚れた女を守る為に。俺は勇者になると誓ったんだ」
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