第4話 異世界に召喚された日

 時は、十年と――半年前に遡る。


 そこは、田舎にぽつんと建てられた、とある教会だった。


 この教会では様々な事情で親と共にいられない、あるいは親がいない孤児たちを集めて、修道女シスターたちが親代わりに世話をしていた。


「おら! 早く来いよ、ユウト! ユウキ! 今日はドッジボールやろうぜ!」

「はいはい。全く、いつも何処から湧いて出てくるんだよ、その元気は」

「ま、待ってよ二人とも! 僕、まだごはん食べ終わってなくて」


 赤い服の少年が一目散にボールを持って庭へと飛び出して行き、その後ろに緑色の服の少年が続いて、その二人を青色の少年が追いかけていく。


 続いて女の子が、また別の男の子が教会から飛び出した。

 やがて、合計十名の子供たちが、青空の下で無邪気に遊び回ることになる。


 その様を、妙齢のシスターたちは微笑ましげに眺めていた。


「……よかったですね。子供たちに笑顔が戻って」

「――ええ。本当に」


 ここに集まった当初は、誰一人として笑顔を浮かべることなど出来なかった。


 親を知らない子供。親に捨てられた子供。親に殴られ続けてきた子供。

 誰も彼もが、その幼く柔らかい心に大きな傷を負っており――笑顔の作り方すらまるで知らない、絶望に染まった瞳で大人を睨み付けるだけの子供たちだった。


 敬虔なるシスターたちは、それを長い年月を掛けて、ゆっくりと解きほぐしていった。


 努力の結果などと驕るつもりはないが、それでも自分たちが、あの子たちと共に過ごしてきた日々が、積み重ねてきた時間が、あの眩しい笑顔に繋がったのだと思うと、少しだけ誇らしい気持ちになる。


「一番年上のユウヤくんたちも十才ですか。……月日が経つのは早いですねぇ」

「……いつか、あの子たちがここを旅立つ日も来るのでしょうか」


 シスターたちは、しみじみと子供たちを眺めながら呟く。


 いつまでも、こんな日が続いたらと――そう思わずにはいられないけれど。 

 それでもいつか、この子たちを見守れなくなる日は、きっと来る。


 願わくは――と、シスターの一人が、両手を組んで青空を仰ごうと上を向いた時。


「――――え?」


 思わず、己の目を疑う。


 ぽっかりと、空にあなが開いていた。


 雲一つない青空の中で、まるでかれたように――そこだけ、まるで別の世界かのように、真っ黒な虚が開いていた。


 思わず周囲を伺う。

 誰も気付いていないだろうかと。己の目の錯覚なのではないかと。


 すると、自分と同じように、空の黒い虚を眺めていた――子供たちがいた。


 十人の子供たちの中でも、中心的な年長少年たち。

 赤い服の少年と、緑色の服の少年と、青い服の少年が、呆然と空を――虚を、見詰めている。


 誰ともなく、呟く。


「――――なんだ、あれ?」


 すると――途端。

 世界を揺るがすように、勢い良く地面が揺れ出した。


「きゃああああああ!!」

「な、何!? 何!?」


 子供たちの悲鳴が上がる。


「こ、これは――」

「狼狽えないで! とにかく子供たちを――!?」

 

 大人のシスターたちも立っていられない程の大きな地震に混乱するが、何を置いてもまず子供たちの安全をと駆け寄ろうとして――。



 空に開いた黒い虚から――白い光の柱が降り注いだ。



「な、なんだというの――ッ!?」


 目を開けていることすら困難な暴虐的な光の奔流。


 それでも、まるで闇の中に手を伸ばすように、何も見えない光の中へ手を伸ばすが――子供たちが遊んでいた場所を真っ直ぐに貫いた光には、まるで手が届かなくて。


 やがて、何もかもが嘘であったかのように、光の柱が消え去った後には――何も残っていなかった。


 十人の子供たちは、誰一人としてそこにはおらず――世界の何処からも消え去ってしまっていた。


 まるで、神に――隠されたように。



 



 ◆ ◆ ◆






 目を開けたら、そこは――知らない場所だった。


 見たこともない――世界だった。


「…………なんだ、これ…………?」


 赤い少年は呟いた。


 暗い場所だった。

 先程まで注いでいた眩い太陽の光もない。青空も広がっていない。


 閉ざされた密室。

 何本かの蝋燭だけが光源の、怪しい空間。


「…………儀式場?」


 今度は緑色の服の少年が呟く。


 その言葉に、青い服の少年は、恐る恐る辺りを見渡した。


「…………知らない……人、たち……」


 自分たちはローブを身に纏った不気味な大人たちに囲まれていた。

 大人たちは、「おぉ……っ!」と感嘆の声を漏らしながら――迷い込んだ子供たちを、瞠目しながら見詰めている。


「……現れた――やった! やりました! 儀式は成功です!」


 十人の子供たちは、訳も分からずに戸惑うばかり。

 涙を浮かべる年少の子を、年長の子供たちが抱きかかえるように守りながら、ただ目の前の状況に困惑するばかりだった。


 そんな子供たちを他所に、熱に浮かされたように、大人たちは叫ぶ。


「成功しました! 伝説の――勇者召喚の儀に! 異世界からの勇者の召喚! 女神だけが成し遂げた! 奇跡の術式を! 我々は、遂に――――え?」


 大人の狂喜は――子供の泣き声で塞き止められた。


 最も年少の子供――未だ五歳に満たない幼子は、とっくの昔に限界だった。


「ここどこぉ? なぁに? なんなのぉ? しすたぁはどこぉぉおお!!」


 幼子のそれを皮切りに、次々と、幼い順に子供たちは泣き出していく。


 暗い儀式場に、輪唱のように響き出す――子供の泣き声。


 やがては年長の女の子も涙ぐみ――泣いていないのは、三人の少年だけになっていた。


 赤い少年は睨み付け、緑色の少年は観察し、青い少年は――ただ、呆然と立ち尽くす。


「………………子供?」


 ローブを着た大人のひとりが、ようやく気付いたとばかりに、そんな言葉を漏らした。


 子供――十人の、子供。


 勇者召喚の儀とやらで――異世界から召喚した、百年ぶりの勇者候補が。


 ひとりの大人も含まない――だという、目の前の現実に。


 ざわざわと大人たちが騒めく中で――ユウヤとユウト、そしてユウキの三名は。


 赤い少年と、緑色の少年と、青い少年は――それに気付いた。


 己らを囲むローブの大人たちの中で、一際に大きく狼狽える、だくだくの汗を流す眼鏡を掛けた痩せ細った男――その隣に。


 この場にいる他の誰よりも眩く輝く白色のローブを深く被った、ゾッとするほどに――美しい、金髪の美女がいた。


 彼女は、混乱する大人たちの中で――ただひとり。


 ユウヤを。ユウトを。そして、ユウキを。

 十人の、異世界から召喚した――拉致誘拐した、怯える子供たちを見ながら。


 妖しく――美しく。


 恐ろしい――微笑みを浮かべていた。






 ◆ ◆ ◆






 そして、場面は十年と半年後に戻る。


「……………生きてたんだね、ユウヤ」


 ユウキは、半年ぶりの再会に――生き別れたと思っていた、義兄との再会に。


 どんな表情をしたらいいのか分からないといった顔で、そう静かに呟く。


 対してユウヤは、相変わらずくつくつとした笑みを浮かべながら。


「それはこっちの台詞だぜ、ユウキ! まさかお前が生きていたとはな! いっつも俺とユウトの後ろに隠れるだけの……情けねぇ……弱虫だったお前が!」


 やがて大笑いするように天を仰ぎ、そして、そのまま腹を抱えるようにして――下を向いて。


「本当に……よく生きてやがったな……ったくよ」


 そう、吐き出すように――小さく、呟く。


「……………」


 そんな二人の再会の光景を、アリサは、そしてライやレベッカたちは何も言わずに、ただ眺めていた。


 この広場にはユウヤの他にも、大勢の反勇者連合のメンバーたちがたむろしていたが、その誰もが呆然としていて、何の言葉も発することが出来なかった。


「………ねぇ、ユウ――」


 張りつめたような沈黙が満ちる中で、ユウキがユウヤに声を掛けようと、意を決したように一歩を踏み出すと。


 それを制するように――下を向いたままだったユウヤの口から。


 昏く――冷たい、言霊が吐き出される。


「……だがよお。一個だけ――いただけねぇな。感動のハグと行く前に、一つだけ兄ちゃんに教えてくれや……弟よ」


 ゴオッと、蒼い炎が勢いを増した。

 周囲を囲む炎の線が、炎の壁――否、まるで炎の檻のように広がっていく。


 ユウキはとっさにアリサを庇うように背中で守る――が、その様を。


 ユウヤは冷たい眼差しで――目を細めながら、睨み、問う。


「なあ、ユウキ……そいつは――誰だ?」


 来るとは思っていた、だが、未だに返す答えを見つけられていない問い掛けに――ユウキは口ごもり。


「……………ッ」


 アリサは、思わず顔を伏せてしまう。


 周囲の騒めきが大きくなっていく中、ライは遂に、リーダーに向かって問うた。


「……なぁ、リーダー。いい加減、説明してくれないか? この剣士少年は、リーダーの知り合いなのか? それに――」

「感じるんだよ。ここにお前らが入って来た時から。ユウキの気配にも驚いたが……それと同じくらい……ユウキと、この匂いが、一緒にいるってのが信じられなかった」


 ライの言葉に取り合わず、ユウヤはゆらりと立ち上がって、その冷たい眼差しを――真っ直ぐに、フードを被った少女へと向けながら。


「……ずっと、感じるんだよ――テメェから! 忌々しい、をよぉ!!」


 包帯まみれの右手を向けながら、ユウヤは蒼色の火球弾を放つ。


 高速で接近したそれを、ユウキは翠色の水流を纏った黒い木刀で弾き飛ばす――が。


「…………っ!?」


 蒼い炎と翠の水の衝突による余波の爆風によって、ユウキの背後の少女のフードは――成す術なく捲れ上がった。


 その隠された中身が――衆目に晒される。


「――――え!?」

「うそ! あれって――」


 反勇者連合のメンバーたちが騒めく。彼らは、十年前――この王都が健在の頃から、この地に住まう者たちだった。


 彼らの目は――少女の、陽光のように眩い金色の髪に囚われている。


「…………っ!」


 その髪の意味を、この国に住まうものならば――この都に住んでいた者ならば、誰もが知っている。


 輝く金色のそれは――紛れもない、ロマド王国の、王族の証だった。


「……聖女、様?」


 誰かが、ぽつりと呟いた。


 それはこの都市の民だけでなく――世界中の誰もが知っている人物の通称。


 ロマド王国の民の誰もが『聖女』と慕った、かの伝説の王女と――瓜二つの容姿。


「………そうか……やっぱり――テメェが、そうか」


 一度、俯くように顔を下に向けるが――何かを噛み締めるように、そう呟くと。


 ユウヤは、大きく手を広げて「ずっと――会いたかったんだぜ、お姫様!」と、胸を張るようにして。


 伝説の『聖女』の娘に。

 ロマド王国――第一王女の、一人娘たる少女に。


 陽光のような金色の髪を靡かせ、真っ直ぐに己を見据える女に向かって。


 ユウヤは――燃えるような眼差しを向けて、叫ぶ。


「――ようやく会えたな!! アリサ・ゴールディ!!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る