第3話 反勇者連合


 反勇者連合。

 それが、黒い獣人のライ、黒い妖精のレベッカが所属する組織の名称らしい。 


「――ああ。みんな略してALUAnti Legend Unionって呼んでる」


 ライがユウキたちを『リーダー』の元へ案内するということで、ユウキとアリサは今夜の寝床と予定していた店を出て、再び瓦礫まみれの夜道を歩いていた。


 すると何時の間にか、先導するライ、それに続くレベッカの更に後を歩いていたユウキの隣に、ユウキよりも頭一つ分くらい背丈の低い少年が並んでいた。


 どうやら彼が、あの時、窓の向こうに隠れていた、ライたちのもう一人の仲間であるらしい。


「…………」


 ユウキは、この一行の最後尾を歩く、フードを被ったアリサと一瞬だけ目を合わせる。


 彼女は、彼らに為、深くフードを被ることで、その特徴的な金髪を隠していた。


(――特に、このガラムでは、アリサの正体は気付かれる可能性が高いからね)


 少なくとも、反勇者連合などと名乗るものたちにアリサの正体が露見して得なことなど一つもないだろうと、アリサと頷きあった後、ユウキは隣を歩く少年に再び話し掛けようとするが。


 そんなユウキの口が開く前に、少年がユウキを見上げながら言った。


「ウィンキーでいいぜ。ライもレベッカも名前を教えたんだしな。これから後輩になるかもしれないんだ。聞きたいことは何でも聞いてくれ。そういえば、お前の名前は?」


 ウィンキーという名前らしい少年は、そんな風に気安く言う。


 ライはともかくレベッカは未だこちらに対し敵意たっぷりという感じだし、しかも二人ともあくまでお互いが呼び合う名前を聞いただけで自分から教えたわけではないのだが、ウィンキーはまるで今にも肩に手を回しそうな人懐っこい笑顔で言う。


 しかし、ユウキはそんな彼に「そうか。ありがとう、ウィンキー」と笑みも作らずに言い、その上で「なら聞かせて欲しいんだけど」と、自分の名前は普通に教えずにウィンキーに問うた。


「君たちは、どういうチームなの? 魔族に対抗すべく様々な種族が寄り集まった同盟組織?」


 ユウキの問いに答えたのは、ウィンキーではなく先頭を歩くライだった。


 ライは、顔だけユウキの方に振り返りながら言う。


「……反勇者連合は――十年前に、この王都が崩壊した時に取り残された、孤児たちの集まりだ」


 少なくとも、始まりはそうだったと、ライは再び前を向きながら言う。


――俺達は、行き場のない子供たちストリートチルドレンなんだ。


 先程のライのそんな言葉を思い出したユウキは、ちらりと背後を振り返る。


「…………」


 最後尾を歩くアリサは、ギュッと、唇を小さく噛み締めて、自らの正体を隠す外套を強く握っていた。






 ◆ ◆ ◆






 十年前。

 魔族の大規模侵攻を突如として受けた王都ガラムは成す術なく崩壊し、一夜にして滅びの都となった。


 魔族は王都の民の殆どを虐殺した。

 王族は勿論、一般市民も徹底的に殺された。

 魔族に生きたまま連れ去られた者もいたが、それらは今、どこでどうしているのかは誰も分からない。


 そして、夜が明けて、死んだ街ゴーストタウンと化した王都――旧王都に取り残されていたのは、今にも死んでしまいそうな弱り切った子供たちだった。


 どこにも居場所のない、どこにも行き場所がない、捨てられた子供たちストリートチルドレンだけだった。


「――空が明るくなっても、俺らの視界は真っ暗なままだったよ。これからどうすればいいのか全く分からない……絶望で、目の前がいつまでも真っ黒だった」


 そう語るのは、ライでもレベッカでもなく、ユウキの隣を歩く背の低い少年――ウィンキーだった。


 彼は、十年前の始まりから、十年前の終わりから――全てを見てきた、反勇者連合の初期メンバーだという。


「……君たちは、逃げなかったのか? 大人を失った、何もかも失った……このガラムから。この、死んだ街ゴーストタウンから――」

「何処に逃げろっていうんだ?」


 ユウキの問いを、ウィンキーは感情の籠らない言葉で一蹴する。


「…………」


 しかし、ユウキは、それ以上の言葉を続けなかった。

 言うまでもなく、言われるまでもなく、ユウキもまた、理解していたからだ。


 王都ガラムは、ロマド王国の建国の地ということで王都となった都市だが――決して交通の要所としては恵まれた土地ではない。


 まず、北と南を森で挟まれている。

 北側の森は古来から妖精エルフが棲みかとしている由緒正しき巨大な森であり、南側の郊外の森はエルフの森ほど深くも大きくもないが、例え森を抜けてもその先には街はなく海しかないとされている。


 東側は小高い山に塞がれている。

 列車が通れるトンネルは開通してはいるが、線路の先が繋がっている都――『新都』が魔族の手に落ちてから、列車がこのトンネルを通り抜けることはなくなった。


 西側はいわずもがな。

 死の樹海と、不死の山――魔王軍の総本山があるばかりだ。人間などひとりも住んでいない。


「つまり、例え死んだ街だろうと、終わった場所だろうと、ガラムから子供が……子供だけで外に出ても――待っているのは魔物か怪物の餌になる未来だけだってことだ」


 森で死ぬか、山で死ぬか、海で死ぬか――樹海で死ぬか。

 

 選べるのは、ただそれだけの未来だったと、ウィンキーは言う。


「…………」

「…………」


 ユウキとアリサは、その言葉に何も返さない。


 ただ十年前を、十年前の自分を、僅かに思い返すばかりだ。


「死ぬよりましだと、魔族に降伏を願い出るってパターンもあったか。あの夜には、実際にそうした大人もいたけれど――魔族は、人間なんかよりも、よっぽど賢いからな」


 それは、これまで明るく気安い態度ばかりみせていたウィンキーの、初めて見る昏い笑みだった。


 それが魔族への嗤いなのか、短絡的な愚かな人間への嗤いなのか――どちらせよ、笑みに込められた感情は、明らかな蔑みだった。


「魔族が生きて連れて行く人間は、奴等が何らかの価値を見出した『才能』の持ち主だけだ。奴等が興味を示すに値しなかった、我が身可愛さだけで縋りついてきた大人たちを、魔族はそれはそれは楽しそうに殺してたぜ。曲がりなりにも大人でもそうなんだから……痩せ細って今にも死にそうな、奴隷としても使えねぇ浮浪児ガキ共なんかは、奴等にとっては拾う価値すらない――ごみってところだな」


 だからこそ、捨てられた子供おれたちは、何もかもが塵に変えられた、この死んだ街に残るしかなかったのだと、ウィンキーは語る。


 森を抜ける馬車も、海を渡る船も、山を越える列車も持たない、何の価値もない――行き場のない子供たちストリートチルドレン


「……大人は、ひとりも残らなかったのか?」

「……初めの頃は、数人はいたな。王都が滅ぶ前までは、魔族と戦う騎士だったとかいう――素晴らしい大人たちが」


 身寄りのない子供を放っておけないと、ただ死ぬのを待つばかりだった子供を救おうとした――素晴らしい大人。


 この世界も捨てたもんじゃねぇなって思ったよ、一瞬なと、ウィンキーは懐かしき景色を思い起こすように、真っ黒な夜空を眺めて言う。


「だが、この通り、食い物も碌にねぇ廃墟と化した街だ。それに、捨てられた子供たちは十人や二十人じゃなかった。素晴らしい大人が、高潔なる元騎士様とやらが――子供の前から後ろへとポジションチェンジして、子供おれらを守るのではなく使うようになるまで、そう時間は掛からなかったな」


 初めは、命を懸けて近郊の怪物を狩り、その肉を腹を空かした子供に振る舞っていた――立派な騎士様が。

 

 何時の間にか、自分は屋根のある家の中でふんぞり返り、痩せ細った子供たちに木の棒や拙い刃物を無理矢理に持たせて狩りに行かせ、その肉を上納させるようになるようになった。


 一年も掛からなかったんじゃねぇかなと、ウィンキーは嗤う。


「俺達にとっては――大人も、魔族と何も変わらかったさ』


 ただの、奴隷のあるじだったと、ウィンキーは言った。


 ああ、俺たちはやはり死ぬのだと、鞭を打たれながら諦観を抱いた。

 殺されるのが、魔族ではなく――大人になっただけ。


 ならば、どうして――あの夜に、ひと思いに殺してくれなかったと。

 もはや泣き叫ぶことすら、腹が減って出来なくなっていた――そんな時だった。


「殺してくれたんだ。大人という怪物を。リーダーが――その炎で」


 ウィンキーが立ち止まり、暗闇に向けていた瞳に――確かに光を宿しながら、ユウキを見上げる。


「…………俺も、その炎は目撃した」


 ライもまた、ウィンキーに続くように足を止めて、何処かを見上げるように顔を上げながら、かつてのその日に思いを馳せながら呟く。


 ひとりの子供が、己の倍近い体躯の大人の男の顔面を掴んで――容赦なく燃やし尽くした、あの日の光景を思い起こす。


 あの日も、こんな風に暗い夜だったという。


 行き場を無くし、迷い彷徨っていた黒い獣人は、その余りに鮮やかな殺人に吸い寄せられた。


 その、眩い炎に――惹き付けられた。


 幾人もの子供を背後に守りながら、元騎士だという大人を燃やし尽くす炎を放ちつつも――誰よりも冷たい眼差しで、己が燃やした人間を冷たく眺める、幼き少年に。


 彼に守られた子供たちは、そして、行き場を失っていた黒い獣人は。


 その少年の冷たい眼差しと――熱き炎に、魅入られた。


「あの炎を見た瞬間、俺は――俺たちは、『リーダー』に付いて行こうと決めたんだ」


 そのライの言葉に陶酔するような瞳で頷くウィンキー、そして何も言わないレベッカを見て――ユウキは。


(…………炎?)


 彼らの語る『リーダー』像に、そして、その炎という言葉に、どこか引っかかるような感覚を覚えたが、ライは「……こっちだ」と、止めていた足を再び、今度は方向を変えて進める。


 両側から圧迫されていると錯覚するほどに細い路地。

 そこに足を踏み入れながら、ライは続けて語り始める。

 

「ウィンキーたちは、リーダーが焼いたその大人の肉を、分け合って食べていた。まるで同じ罪を背負うように。大人に頼らず、自分たちの力だけで生きていくのだと誓うかのように」


 それが、反勇者連合の始まりだと、その場に混ざって、共に同じ肉を喰らった黒い獣人は語る。


「正直に言うと、あの時、突然に現れた『黒い獣人』であるライのことを、俺たちは恐れてた。それまでは人間の子供だけのグループだったからな。だけどリーダーだけは、あっさりとライを仲間に受け入れたんだ」

「……ああ。今でも、あの時のリーダーの言葉は、そして眼差しは、この心に焼き付いている」


 自分を仲間にしてくれと、同じ年頃だったとはいえ、既に自分を見下ろす程に大きな身体を持っていた黒い獣人に対し。


 リーダーの少年は、怯える同胞を背にしつつ、あの冷たい眼差しを向けながら、たった一言――ライに問うた。


 この世界は嫌いか? ――と。


 その言葉だけで、この男に付いて行こうと決めたことに間違いはなかったと悟った。


「――そして、十年で、俺たちALUは世界中にを広げた。森を抜け、山を越え、海を渡った」


 世界各地の行き場のない子供たちを助け出し、見込みのある者は勧誘して、水面下で組織を大きくしていった。


「レベッカも、その途中でリーダーが連れてきたんだ。もはやALUは王都から逃げられなかった行き場のない子供たちの集まりなんかじゃない。もう世界中が、俺たちの遊び場にわなんだ」

「……なら、なんでまだ――君たちはここにいる?」


 ユウキは、そう、得意顔で語るウィンキーに語り掛けた。


 もはや何処にでも行けるというのなら、世界中が遊び場だというのなら。


 どうしてまだ、こんな所に――この死んだ街に、十年前も前に終わった街に。


 滅びた都――ゴミ捨て場たる、ガラムにいると、ユウキが問うと。


 ライは足を止め、振り返りながら。


「――大きな作戦の為さ」


 この時の為に、十年間、俺たちは力を蓄えてきたんだと、闇に溶け込むような黒い獣人は言う。


「世界を変える――その為の、聖戦だ」


 もうすぐ着くぞ、我がリーダーの元にと、両側から圧迫されるような路地を歩いている道中、ここまで一言も発さなかったアリサが「……最後に、これだけは聞かせて」と列の最後尾から先頭のライに問い掛けた。


「……話を聞かせてもらって、あなたたちが魔族を憎む理由はよく分かったわ。大人を憎む気持ちも。だけど、それならばどうして――あなたたちは、『反勇者連合』なの?」


 反魔族連合でも、反魔王連合でもなく――反勇者連合。


 どうして、そんなに、勇者を憎むの? と、そう問うアリサに。


「それは――」


 ライが何かを答える前に、一行は路地を抜けた。


 廃墟に四方を囲まれた開けた空間に出ると、ライが答えるよりも早く――背後の頭上から、何者かの声が降ってくる。


「勇者なんていうふざけた幻想が、この腐った世界を創った元凶だからさ」


 ユウキとアリサはすぐさま振り返る。


 背後を見上げると、路地の出口の上に見張り台が作られており――その上に、ひとりの男が座っていた。


 そして――飛び降りる。


 男はライたち一行の前方に着地すると、背を向けたまま歩き出し、短い階段を上ると、使い古した粗大ゴミのようなソファに、くるっと回って、背中から座り込んだ。


「――遅かったな。ライ。レベッカ。ウィンキー。大事な作戦の前に何かあったんじゃねぇかって冷や冷やだったぜ」


 ソファの近くには、篝火が焚いてあり、闇夜に紛れて判別出来なかった男の容姿が赤く照らし出された。


 その男は――異様だった。

 上半身は衣服を何も身に付けていないが、顔面も含めて隈なくボロボロの不潔な包帯に覆われている。素肌は殆ど見えないが、乱雑に巻かれた包帯の隙間から覗くそれは――酷い火傷に侵されていた。


「――ッ!」


 思わずアリサは、金色の光を掌に纏わせて駆け出そうとする、が――。


「触るなッ!!」


 瞬間――包帯まみれの男は身を乗り出して、右手の掌を向け、アリサの動きを制した。


 アリサはビクリとして動きを止めて、ユウキは素早くアリサの前に出て、包帯男に黒い木刀の切っ先を向けた。


 張りつめた空気が空間を満たす。


 先に口を開いたのは、伸ばした右手でそのまま己の顔を覆って、再びソファに体重を預けた包帯男だった。


「……ああ、急に大声を出して悪かった。いや、分かるさ。治癒魔法か何かで治そうとしてくれたんだろう? だが、無用だ」


 俺はお前に――触れられたくない、と。


 口調こそ柔らかいが、末尾の言葉と、顔面を覆う右手の指の隙間からアリサへと向ける包帯男の視線は――ゾッとするほど冷たかった。


 アリサは、そんな包帯男に気圧されながらも、ゆっくりと口を開く。


「……あなたが……この人たちの、リーダー……なの?」


 包帯男は、ゆっくりと右手を顔から剥がして、再び身を乗り出すように腰を曲げて、篝火に照らし出されながら、その問いに答えた。


「――ああ。俺が、反勇者連合のリーダーだ」


 炎に照らされるその男と、真っ直ぐに視線を合わせながら。


 アリサを守るように、更に一歩前に出て、ユウキは包帯男に言う。


「――初めまして。俺の名前は……ユウキと言います」


 ユウキはここに来て、初めて己の名を明かした。

 だが、一度だけアリサの方を向きかけて、まだアリサの名前を明かすわけにはいかないかと思案していると。


 くつくつと、小さな噛み殺したような笑い声が――炎の方から聞こえてきて。


「――。俺が、お前の名前を、忘れるわけがねぇだろうが」


 え――と、ユウキは思わず見上げる。


 赤い灯りに照らされる、全身に癒えない火傷を負った包帯まみれの男は。


 おいおい、ここは感動の場面だろうがよと、両手を広げながらユウキに言う。


「まったく……悲しいぜ、ユウキ。それともお前は忘れちまったのかよ。俺の名を――俺の、この顔をよぉ!」


 男はそう言いながら立ち上がり、己の顔を覆う包帯を外す。


 露わになるのは、目を覆いたくなるような、無残な火傷に呑まれた顔で。

 

「こんなクソみたいな世界に――に、一緒に召喚さ《拉致》られた、家族じゃねぇか」


 途端――男の手から噴き出した蒼い炎が、辺り一面を囲うように走った。


 思わず目を取られ、身を固くするアリサだったが――しかし、ユウキは、その男から、その蒼い炎から、目を逸らすことが出来ない。


(まさか………まさか――――まさか)


 異世界。


 召喚――拉致。


 蒼い炎――そして、家族。


 十年という月日と、凄惨なる火傷によって――変わり果てた、無残な素顔。


 だけど、家族だけが感じ取れる――微かな面影が、確かにそこには、ほんの僅かに残っていて。


 ユウキは、頭で確信を得るよりも早く、心が叫んだ、その名前を口にする。


「――――ユウヤ?」


 その――家族の言葉に、変わり果ててしまった男は。


「……久しぶりだな、弟よ」


 痛々しい素顔に、優しい微笑みを浮かべながら。


「生きて会えて――本当に、嬉しい」

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