第2話 滅びた都
師匠たちから『卒業』し、世界を救うべく旅立ったあの日から――三日が経った頃。
ユウキとアリサは『郊外の森』を抜けて、最初の目的地へと辿り着いていた。
そこは、二人にとっての、始まりの街。
全ての始まりの場所にして――既に終わってしまった場所。
「――着いたね」
「――戻って、きたわね」
ユウキとアリサは、その街を小高い丘の上から眺めながら、静かに呟く。
そこはかつて、この世界を一つに纏め上げた、偉大なる国家の首都であった都市。
この世界で最後まで魔王に抵抗した――人間たちの対魔族の最前線にして最終拠点であった場所。
百年前――女神によって異世界から誘われた勇者が、初めてその足を付けた土地でもあるそこは。
「王都――ガラム」
ロマド王国――王都ガラム。
偉大なる国家の中心地として栄えた筈の土地に、今現在、広がるのは――破壊の限りを尽くされた一面の廃墟だった。
王侯貴族が暮らした王城も、民が息づいていた商店街も、平穏なる暮らしを守るべく築いた筈の外壁も。
かつて栄華を誇った人間たちの都は、全てが平らに等しく均されていた。
世界を一つに纏め上げた偉大なる王国の、無残なる終焉。
人間という種族が作り上げたものが、徹底的に蹂躙され尽くした、その哀れなる成れの果ての姿に。
「……アリサ」
表情を無くし、唇を噛み締め、掌に爪が食い込まんばかりに拳を握り締めて立ち尽くす少女の。
その能面のような横顔に――ユウキは、何も言うことが出来なくて。
まるで、そんな自分の不甲斐なさから目を逸らすように、少女から目線を――彼方に聳える山へと向けた少年は。
西の平野の向こうに堂々と、その黒く禍々しい姿を晒す美しき独立峰を、ただ睨むように見据えることしか出来なかった。
◆ ◆ ◆
王都ガラム。
かつて世界を一つに纏め上げたロマド王国の首都であり――十年前まで、対魔王戦線の最前線にして最終拠点であった場所。
ガラムは、魔王がおわす城――魔王城が存在する、この世界で最も高い山であり独立峰である『
魔界と王都の間には、まるで城における堀のように、死の森と呼ばれる樹海が広がっていて――難易度最上級たる最難関迷宮、【樹海の迷宮】は、その死の樹海の中に存在している。
だが、流石は人間界と魔界を隔てる死の樹海というべきか、そこはおよそ人間界には存在しないような強力な魔物がそこら中に跋扈していた。
魔王が現れる以前から、世界の中心地たる不死山の麓の樹海は、この世界において最も強力な怪物たちの生息地であったが――魔王が現れ、不死山が魔界の発生源となってからは、魔界から漏れ出す黒魔力に犯されることにより『黒化』して、ただでさえ強力な怪物が、魔族に忠実な魔物へと変化してしまっている。
ユウキとアリサも、十年に渡る修行期間の中で、それなりの強さの怪物や低級のはぐれ魔物などの討伐経験は何度かあるが――流石に世界最高峰の強さを誇る樹海の魔物を、何の策もなく相手にしたくはない。
「ホムラさんは簡単に言ってくれたけど、そもそも最高難易度の『
「でも、
新米勇者には随分と難易度が高すぎるチュートリアルだと思ったが――それでも、やるしかないと、ユウキとアリサはやはり小高い丘の上から死の樹海を見渡しつつ表情を引き締める。
そもそも
つまりは、魔王サイドに最大限に警戒される中、最難関たる【樹海の迷宮】を見事に踏破してみせたのだ。
それに比べて、自分達は未だまるで警戒されていない――そもそも存在すら知られていない透明人間状態だ。
更には有難いことに、肝心な『
鬱蒼と不気味に広がる死の樹海、美しき黒い独立峰の麓に広がる樹海の中でも、抜け出して禍々しい存在感を放っている――真っ黒な一本の大樹。
あの大樹こそが――最上級にして最難関たる【樹海の迷宮】である。
新米勇者パーティが成し遂げるべき
「ここまで来るのに三日も掛かってしまった。いつ
「……かといって、何の準備も策もなく、夜の樹海に突入するのは自殺行為だわ。とりあえずは……あそこで、夜を明かしましょう」
そう言って、アリサは再び表情を消して――滅びた都ガラムの方へと目を向けた。
「…………」
ユウキは、ゆっくりと歩き出すアリサの後へと続く。
死の樹海。滅びた王都。
ここから、二代目勇者の冒険譚の一頁目が始まる。
◆ ◆ ◆
王都ガラムが滅亡したのは、今からおよそ十年前のことだ。
初代勇者が魔王に敗れたその日から、世界中に点在するロマド王国の主要都市は、次々と魔族へと恭順し、その支配を受け入れていった。
だが、世界中に裏切られて尚、それでもガラムだけは、断じて魔族の支配を受け入れなかった。
魔族もその見苦しい悪足掻きを面白がっていたようで――本気で世界を最速で支配下に置くつもりなら、とっくの昔に力尽くで実現出来ていたであろう――時折ちょっかいをかけるように刺客を送り込むだけで、本気でガラムを滅ぼそうとはしなかった。
しかし、十年前、突如として魔族はその方針を変更し――ガラムに大規模な軍勢を送り込んで、一夜にしてガラムを死の街へと変えた。
人間たちは、その殆どが殺されるか、魔族の手によって何処かへと拉致されていった。
そして、その傷は――致命傷は、十年が経った今でも、まるで癒えることはなく。
かつて隆盛を極めた王都ガラムは、今や人っ子一人見当たらない――文字通りのゴーストタウンといった、無残な有様だった。
「…………」
「…………」
アリサとユウキは、瓦礫まみれの道を進む。
ゴーストタウン――街の幽霊。都市の幽霊。
まるで自分が死んだことすら理解出来ない都が、いつまでも現世を彷徨っているかのような光景だった。
「…………」
じゃり、と、不快な足音を立てる度に――蘇る、かつての光景。
じゃり――友達と走り回った、活気に溢れた商店街。
じゃり――綺麗な噴水に目を輝かせた、馬車が行き交う広場。
じゃり――魔物を狩りに向かう騎士を見送った、舗装された大通り。
「…………」
誰もいない。何も残っていない。
まるでここは、何もかも知らない別世界――異世界のようだった。
「……これじゃあ装備を整えて準備するどころじゃないね。……取り敢えず、寝られる場所だけでも探そうか」
郊外の森には死の樹海ほどの強力な魔物はいないけれど、それでも低級の魔物や怪物は存在している。
その為、旅を始めてからのこの三日間、アリサとユウキは交代で仮眠を取っていただけで、良質な睡眠が取れているとは言い難い状態だ。
「一晩だけでも、横になって寝られれば違うはずだ。例えコンディションだけだろうと、整えられるものは整えておこう」
どんどんと足取りが重くなるアリサを気遣うように、ユウキはそう言って彼女の前に立って方針を決めると。
「あ、あそこにしようか。比較的に損壊は少なそうだ」
ユウキは、周囲の建物が全壊している中、屋根や壁を何とか残している家屋を発見して指をさす。
俯いていたアリサが顔を上げると――そこは、少女の記憶に残っていた場所だった。
(―――あ)
かつて、厳しい稽古を抜け出してはこっそりと顔を出し、その度に、優しい笑顔で焼き立てのパンを分けてくれた知り合いのおばさんの店だった。
暖かい空気で満ちていたその場所は――やはり、まるで知らない場所のように、冷たい空気が充満していて。
思わず足が止まるアリサに気付かず、ユウキは扉が壊されたその家の中に足を踏み込んでは奥へと進んでいく。
「扉が残っている部屋があったよ。中にはベッドもあったから、アリサは今日はそこで寝て――ん?」
どうしたの、アリサ――と、ユウキは立ち止まるアリサへ顔を近づける。
アリサは思わず後ずさった。
じゃりと、その足音で、ハッと眠りから覚めるように、少女は目を見開く。
「……ん~ん。何でもないわ。ありがとう、ユウキ。お言葉に甘えさせてもらうわね」
そう言って、ユウキの横を通り過ぎて――くるっと一度だけ振り返り、少年の顔を下から覗き込むようにして、アリサは笑って言う。
「一緒に寝る?」
「一緒に寝ません」
ざ~んねん、と、アリサはそのまま奥の部屋に入って、扉を閉めた。
バタンと、扉が閉まると同時に――ユウキは表情を消し、その店内をゆっくりと見渡す。
破壊され尽くしているが、恐らくは何らかの商品を売っていた場所であったことが伺える。
棚があり、テーブルがあり――そこには確かに、面影があった。
かつて人が住んでいたであろう、かつて人が暮らしていたであろう――名残があった。
そして、そこにはきっといたのだろう――ユウキの知らない、かつてのアリサが。
ここには、きっとあったのだろう――この街で、この王都ガラムで、かつてのアリサが、過ごしていたであろう暖かい日々が。
過ぎ去った――過去の、風景。
「………………」
ユウキは、アリサが入っていた部屋の扉に背を着けて、腰を下ろし、廃墟となった店内を見渡しながら。
「……………」
黒い木刀を立てて、ゆっくりと――目を、瞑る。
◆ ◆ ◆
そして、黒い木刀の柄を握り締めながら――勢い良く、目を、開けた。
「――――誰だ」
アリサがベッドに入ってから、どれだけ経ったのか。
未だ夜は明けておらず、ますます深く、濃くなってきた頃であろう時間帯だ。
結局、ユウキは郊外の森の時と同様に、座り込んで目を瞑るだけの状態で見張りを続けていた。
例え魔物や怪物が棲息する森を抜けても、人っ子一人いないゴーストタウンであろうと――ここは魔界に最も近い都市である。廃都である。
アリサが眠る部屋の前で、ユウキが無警戒でいる筈もなかった。
「そこにいるんだろう?」
ユウキの
すると、黒い闇の中から――黒い影が飛び出してきた。
「――――っ!」
暗闇からの突然の襲撃を、ユウキは黒い木刀で受け止める。
(――鋭い。……そして、重いな)
黒い木刀を持つユウキの右手に衝撃が走る。
「―――ッ!」
対して、襲い掛かった黒い影もまた、暗闇の中から突如として繰り出した攻撃を受け止められたことに息を吞んでいた。
互いに得物を押し合い、鍔迫り合いの状態になる。
すると、そこに、窓から月明りが差し込んだ。
淡い光は――襲撃者の正体を照らし出す。
(……黒い――妖精?)
露わになった黒い影の正体は――アリサやユウキと同い年くらいの、
「――――子供!?」
ダークエルフの叫びと同時に、互いに攻撃を弾き、一定の距離を取る。
ユウキは黒い木刀を、ダークエルフの少女はナイフのような短刀を構えてはいるが、二人とも直ぐに再び距離を詰めようとはしなかった。
(……相手は
つまり、師匠のその言葉が正しければ、目の前のダークエルフは、未だ完全な成熟には至ってはいないであろう肢体の黒い妖精は、やはり――自分たちと同じ、十代の、子供ということになる。
自分たちと、同じ――子供。
「あなた……人間?」
警戒を解かないまま考え込んでいると、先にダークエルフの少女が口を開く。
実際には彼女は顔の半分を隠しており、その紫色の瞳と僅かな褐色の肌だけが見えるような装いをしているので、少女の口が開いたのを目視出来たわけではないが、目の前の彼女が発した声だということは明らかだった。
それでも、ユウキは周囲に注意を払いながら、「……ああ。見ての通り、人間だよ」と、彼女を煽るように言葉を返す。
案の定、お前と違ってという、言葉にされなかった言葉をしっかりと感じ取ったダークエルフの少女は、眉根を寄せながら「人間が……何故、今更、この街にいる?」と、より強い語調でユウキに問う。
「――魔族の、手先か?」
「……その台詞、そのまま返すよ――『
ユウキの冷たく発した言葉に、今度こそ、ダークエルフの少女は熱い怒りに目を見開く。
魔族にその身を委ねた、堕ちた妖精。
黒く染まった妖精――ダークエルフ。
少女が断じて看過することの出来ないその蔑みに、彼女は短刀をユウキへと放り投げ――懐から小さな木の枝のような杖を取り出す。
そして、その先端を、己目掛けて投擲された短刀を黒い木刀で弾き飛ばしたユウキへと向けた。
黒い妖精の少女が構える杖のその先端に、黒い風が集まり――。
「――――やめろ、レベッカ」
ダークエルフの少女が何かを放とうとしていたその時、彼女をレベッカと呼ぶ男の声が割り込んだ。
レベッカの後ろから現れたその男が、彼女の隣――月明りの下に現れた時、ユウキは僅かに息を吞む。
男もまた、人間ではなかった。
彼は牙を持っていた。耳は頭の上から生え、その全身は獣毛に覆われていた。
そして、その獣毛は、やはり闇に溶け込むかのように――黒い。
(――獣人。それも
師匠から事前に習ってはいたが、初めて目にする『黒い種族』に対し――ユウキは目を細めながら観察を続ける。
「何故、止める――ライ?」
「分からないか? ――奴の後ろだ」
己がライと呼ぶ男の言葉を受け、頭に血が昇っていたレベッカは、この時ようやくユウキの背後の扉に注意を向けた。
「――ッ!」
そこで、レベッカは初めて気付いた。そして、向こうも気付かれたことに気付いたのか――このタイミングで、誰もが分かる程に急激に、歴然と、その気配を膨れ上がらせる。
閉じられた扉の隙間から漏れ出す――その眩い、白き光に。
黒き獣人――ライは、感嘆の声を漏らす。
「凄まじい白魔力だ。これほどの力の気配をあそこまで見事に隠れさせるとは……魔力操作の練度も素晴らしい」
そして、気配を消しての不意打ちを未然に気付かれた時点で、すぐさま魔力を今度は逆に威圧するように発して――分かり易く銃口を見せつけることで脅迫する方向へと切り替えている。
「分かるか? お前がその魔術を放っていれば、間違いなく殺されていたのはお前の方だ」
「…………そんなの分からないじゃない」
そう言いながらもレベッカは、黒い風を集めていた杖を仕舞い込んだ。
ライは、そんな彼女の前に立ちながら「そして、凄まじいのは君もだ、少年剣士」と、未だ警戒と観察を続けるユウキへと目を向ける。
「君も、最初から気付いていたな。レベッカだけでなく、俺の存在にも」
「――ええ。そして――」
そこにいるもう一人のお仲間にも――と、ユウキは目線だけを向けて言った。
その言葉に、窓の向こう側に隠れていた小さな影は身を震わせ、レベッカは目を瞠り、ライも笑みを消して――ユウキに問う。
「……俺からも聞かせてもらおう。……君は――君たちは何者だ?」
「しがない旅の者ですよ。ここには観光に来たんです」
ユウキの言葉に、ライはぶはと噴き出す。
「旅? こんな時代に――こんな世界でか?」
「こちらからも聞かせてください」
あなたたちは、何者ですかと、今度はユウキの方から、黒い木刀の切っ先を向けながら問うた。
ユウキの背後の扉の向こうから膨れ上がる白い魔力も、どんどんとその大きさを増している。
「…………ライ」
どうするの、とダークエルフの少女は問う。
しばしの沈黙が、月明りだけが光源の冷たい店内に流れる。
ライは笑みのまま、ユウキとアリサが放つ殺気を受け続けていたが――やがて、ゆっくりと、その口を開いて言葉を紡いだ。
「――我々は、この街を根城にしている、とある組織に属する者だ」
ライが発した言葉に、窓の向こうに身を隠している者とレベッカが驚きを示す。
「ちょっと、ライ!?」
「分かるだろ、レベッカ。コイツ等は只者じゃない」
そして、『黒く犯された種族』であるレベッカとライを、魔族の手先ではないかと本気で警戒している。
「それに、あれほどの白魔力を扱える者が、魔族に与するものである筈がない」
ライのその言葉に、黒い魔力の風が渦巻く己の右手を強く握り、ユウキと、その背後――扉の向こうを睨み据えるレベッカ。
そんなレベッカの前に出るように、ライは一歩を前に踏み出しながら。
「――つまり、コイツ等も、魔族に敵対するものであり」
そして――子供だと、そう言いながら、未だ木刀の切っ先を向け続けるユウキへと近付いていく。
「なら、コイツ等は、俺達の仲間になる資格を有している。素質もある。だったら、後の判断はリーダーに任せるべきだ」
そうだろ? と言うライに、レベッカは渋々ながら従うようで、肩を竦めて溜息を吐いた。
ユウキもまた、この場でこれ以上の戦闘展開はないと判断し、木刀を下ろしながらライに問う。
「……リーダー?」
「ああ。俺達はその男の元に集まった――
そしてライは、ユウキに向かって――その組織の名を口にする。
「俺たちのチームの名は――『反勇者連合』」
ライのその言葉に、二代目勇者の名を背負うと決めた少年は、眉一つ動かさず――ピクリと、その指先だけを、かすかに反応させた。
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