二周目勇者と二代目勇者

鶴賀桐生

序章 王都編

第1話 旅立ちの日


 裂帛の気合と共に、黒い木刀が振るわれる。


 最短距離で己の側頭部に迫った剣閃を、男は右拳の甲で軽々と受け止め、剣を振るった少年を容易く弾き返した。


「―――ぐっ!」


 朝陽が昇る。

 地平線から漏れ出した黄金こがね色の光が、小高い山の頂で仕合う男と少年を照らし出した。


「――お見事。これで全ての型をマスターしたな、ユウキ」


 尻餅を着きながらも黒い木刀を手放さない少年を見下ろしながら、男は少年――ユウキへと快活に笑い掛ける。


 ユウキは、仰向けの状態から上体を起こしつつ、「はぁ……ッ……はぁ……っ……あ、ありがとう……ございます」と、袖で汗を拭きながら言葉を返した。


「だが、慢心はするなよ。初めに言ったが、俺は剣術に関してはあくまで門外漢だ。ゆくゆくは本職に改めて稽古つけてもらえ」

「はいっ!」


 ユウキの素直で力強い返事に、男は改めて笑顔を浮かべる。

 そして、少年に向かって手を伸ばしてそのまま引き上げながら、眩しいくらいに自分達を照らす朝陽の方を向いて「……何とか間に合ったか」と呟いた。


 するとその時、山の裾野に広がる森の中から、金色の光柱が突如として立ち昇る。


「あれは――!」

「どうやらお姫様の方も合格を貰えたみたいだな」


 金色の光柱に目を奪われるユウキを余所に、男は「にしてもまあド派手に……自重ってもんを知らねぇのかよアイツは」と呆れながらも、ふと思いついたようにユウキの方へと改めて向き直って――小さく、口元に微笑みを浮かべながら言った。


「――よし。ならば俺も、旅立つ愛弟子へ、最後のプレゼントを贈ろうじゃないか」


 そんな言葉が聞こえて、ユウキは師の方へと目線を向けると――己の目に強烈な光が襲い掛かったことで、思わず呻き声をあげる。


「――――ッ!」


 


 地平線から顔を出した朝陽と――至近距離から己を照らす、もう一つの、小さな太陽。


 何時の間にか、師の手の上に、煌々と燃える光球が生み出されていた。


「今のお前なら、


 混乱するユウキは、何も見えない視界の中から届いた、その――師の言葉に。


「―――っ!」


 覚悟を決めたように表情を引き締め、黒い木刀を握る両手に力を入れる。


 一晩中、全力で木刀を振るい続けたユウキの身体は既に悲鳴を上げていた。握力なんて殆ど残っていない。


 それでも、目の前で輝く、全ての生物へ死を齎さんばかりのはげしい光を放つ球体――太陽が如き灼熱の矛先が、真っ直ぐに己に向けられているという恐ろしき現実に対し。


 生物として、戦士として――伝説を継ぐ者として。


 無抵抗で、いられる筈もなかった。


「…………っ!」


 こんなにも熱いのに、冷たい汗が、ユウキの額を伝う。


 師は弟子に――満面の笑みを持って、それを贈った。


「我が弟子よ。これが俺からお前への、最後の卒業試験だ」


 勇者の弟子に――小さな太陽が、容赦なく強烈に襲い掛かった。






◆ ◆ ◆






「――やりすぎよ。バカ」


 真っ黒焦げのユウキを背負って現れた男を、女はそんな風に呆れながら出迎えた。


 ここは先程まで金色の光柱が立ち昇っていた場所だ。

 件の光の柱の根本ねもとたる空間には、簡素な小屋が一つだけポツンと建っていて。


 その近くには、一人の女と、一人の少女がいた。


「あなたは本当にいつまで経っても加減と常識ってものを備えないわね。いい歳して恥ずかしくないの、ホムラ」


 額を指で押さえながら首を振り、己がホムラと呼んだ男へと小言を漏らす女に。


「歳に関してはお前にだけは言われたくねぇよ、オルビア。それに、お前こそなんだよ、あの光の柱は。魔族に見つけてくださいって言ってるようなもんじゃねぇか」


 ホムラは、女をオルビアと呼びながら、そう白けた目を向けつつ反論した。


 オルビアは「……別にいいのよ。どうせこの場所は今日にも引き払うんだから」と、露骨に顔を逸らしながら言う。


 ホムラは溜息を吐きながらも、オルビアが目を逸らした方向へ――黒焦げだったユウキに、回復魔術の淡い光を当てる少女へと自身も目を向けた。


「――全く。先が思いやられる有様ね。いえ、無様ね」

「はは。……面目ない。ありがとう、アリサ」


 苦笑いを浮かべるユウキの頭を膝に乗せながら、自身の金色の髪で少年の顔を包むように、ユウキへと顔を近づけて覗き込みながら、アリサと呼ばれた少女は囁く。


「しっかりしてよ。私の勇者様」

「分かっているよ。僕の御姫様」


 ユウキは、己を見下ろすアリサの整った顔を見上げながら、そっとその頬に手を当てる。


 アリサは、己の頬に触れるユウキの手に己の手を添えながら――二人は、真っ直ぐに見つめ合った。


 それは、何かを無言で確かめ合うようで――オルビアとホムラは、そんな己の弟子たちを眺めながら、言葉を交わす。


「……もう、この隠れ家ばしょの役目は終わり。……私達の役目は、これで果たし終えた――私達があの子達にしてあげられることは、もうないのよ」

「――ああ。爺婆おれたちの時代は終わった」


 これからは、新時代コイツらの番だ――そう呟きながら、ホムラは少年少女へと歩み寄り。


 パン、と、その両手を叩く。


「イチャついている最中に悪いが、ご両人――」


 旅立ちの時だ――そう、ホムラはニヤリと笑いながら言う。


 ユウキとアリサはすぐさま立ち上がり、ホムラにまっすぐに向き直った。


「俺とコイツがやり過ぎたせいで、この場所にもすぐに魔族がやってくるだろう。そいつらは責任もって俺らが引き付けるが――ゆっくりしている時間はない」


 名残惜しいが、お別れの時間だと、ホムラは少年少女に言った。


「徹夜明けでしんどいだろうが、なあに、お前らは俺らと違って――若え。気力と体力と、可能性に満ちてる。一徹や二徹くらいどうってことないだろう」


 早速、第一の『迷宮ダンジョン』へ向かってくれ――そんなホムラの言葉に、アリサが神妙に頷きながら返した。


「一つ目の『迷宮ダンジョン』……【樹海】の『迷宮ダンジョン』ですね」

「ああ、ここから一番近い――そして、『魔界』にも最も近い『迷宮ダンジョン』だ。は最後の最後でようやく攻略できた最難関の迷宮ダンジョンだったが、それは偏に、あの時は四天王クラスにバカ強え『迷宮の主ダンジョンマスター』がいたからだ」


 内部構造的な難易度で言えばむしろ易しい、新米勇者ニュービーへのチュートリアルにはうってつけの迷宮ダンジョンだと宣いながら、ホムラは更にこう続ける。


「そんな『迷宮ダンジョン』が、今なら『家主マスター』不在のだってんだから、狙わねぇ理由がねぇだろ」


 口元を手で覆いながらもくつくつという笑みを隠そうとしないホムラに向かって、アリサは「それは前に聞きましたけど……」と怪訝そうな表情を向けながら問う。


「本当なんですか? 『魔界』に最も近い『迷宮ダンジョン』の『マスター』が、その、そんなに頻繁に『迷宮』を留守にするなんて」

「本当なんだな、これが」


 ホムラ曰く、『魔界』最寄りの『迷宮ダンジョン』を任されるだけあって、最強の番人と言われる件の迷宮の主ダンジョンマスターは、『魔王』にとっても最も信の篤い片腕とも呼べる部下らしい。


 しかし、それ故に『魔王』は頻繁にその男を呼び出す為、その度に男は持ち場たる『樹海の迷宮』を部下に預けては、本社たる『魔界』――つまりは『魔王城』へ登城しているという――。


「そんなんでいいの?」

「いいわけねぇよなぁ。だが、そんな状態がすっかりまかり通っちまってる」


 ホムラは――突如として笑みを消して。


「――つまりは、だ。心底嘗められてんだよ、人間テメェらは」


 空間を歪ませるような威圧を放ちながら、侮蔑するように吐き捨てた。


「――――っ!!」

「――――ッ!!」


 ユウキとアリサが呼吸を忘れて硬直するのも構わず、ホムラは覇気を放ち続けながら言う。


――『初代勇者』が『魔王』に無様に負けたあの日から、百年間だ。その間、、八つもある『迷宮ダンジョン』を踏破クリア出来なかった。そんな情けねぇ人間テメェらを、魔族ヤツらは分かり易く嘗め腐ってるってことだ。分かるか?」


 ビリビリと己らの肌を痛めつける空気を感じながらも――それでも。


「――――っ!」

「――――ッ!」


 ユウキとアリサは――


 伝説と呼ばれる男の、空間を歪めるような威圧を。


 数々の魔族を恐怖に落とした――勇者の殺気を。


 手加減無しで放つホムラから、少年少女は――真っ直ぐに、目を逸らさなかった。


「…………」


 その、本当に最後の卒業試験の結果に、ニヤリと満足気な笑みを浮かばせながら。


「――だからこそ。お前らが、変えて来い」


 殺気を消し、少年ユウキ少女アリサの頭に手を乗せながら、ホムラは言う。


「嘗め腐ってる奴等が欠伸を掻いている間に、最難関の『迷宮ダンジョン』をあっさりと踏破クリアして、世界中まとめて呆け面に変えて来い」


 百年間、誰も変えられなかった歴史を。


 人間を嘗め切っている魔族共の傲慢を。

 人間を見限り始めている人間共の諦観を。


 そして、この世の全てを見下す、世界で最も高い場所でふんぞり返っているであろう――魔王の野望を。


 人間は魔族に敵わない――そんな、この世界にいつの間にか、すっかり出来上がってしまった、常識ってやつを。


 全部纏めて、新時代おまえたちが、ぶち壊してこいと――ホムラ・フジカワは。


 伝説たる、『初代勇者』は――激励する。


「『二代目勇者』の、最高のお披露目舞台だ。盛大にぶちかましてこい」


 憧憬の英雄の――伝説の勇者の、熱く篤い、その期待に。


「「――――はいッ!」」


 ユウキとアリサは、強く、真っ直ぐに答える。


 その初々しくも頼もしい気合の篭った返事に、ホムラが頷くと。


 彼の横から前に歩み出たオルビアが、ゆっくりとアリサの前に歩み寄り、その身体を抱き締めた。


「お、お師匠様――?」


 アリサは戸惑いながらもその抱擁を受け止める。

 オルビアは、そんな弟子の耳元で――囁くように言った。


「……あなた達は、これからとても過酷な旅路を歩むでしょう」


 目を瞑りながら――オルビアは。

 初代勇者と共に旅立ち、その旅路の全てを供にした伝説の魔術師は――かつて自分達が歩んだそれを思い返す。


 世界を救う冒険の旅。

 そんな果てしない重圧を背負いながらの旅路を。

 広く大きな世界を己の足で旅した日々を思い出す。


 跳梁跋扈の魔族、難攻不落の迷宮、強大無比な迷宮の主ダンジョンマスターと四天王。

 そして――絶対強者たる魔王。


 数々の困難が待ち構えていた、余りにも過酷な旅路だった。

 曲がりなりにも乗り越えられたのは、今思い返しても奇跡でしかないと断言できる。


 そんな旅に――今、この少年少女は歩み出そうとしている。


 そんな旅に――今、こんな子供達を送り出そうとしているのだ。


「あなた達の世代に、このような負債を残してしまったのは――何もかもが全て、力が足りなかった先代われわれの責任です」


 余りにも重たい借金を、未来へと引き継がせてしまった。


 そんな罪の意識を、氷のような無表情の奥から滲ませながら、オルビアは更に強くアリサを抱き締める。


「どうか許して下さい。いいえ、許さなくてもいい。耐えられなかったら逃げてもいい。辛くなったら投げ出してもいい」


 だから、どうか――と。


 まるで神に願うように――かつて女神と呼ばれた女は、その想いを紡いだ。


「生きて、帰って来て」


 死地へと送り出すには余りにも厚顔無恥な台詞だろう。

 自分たちが残した負債を背負わせながら宣うには、余りにも無責任な言葉だろう。


 それでも――オルビアの、その言葉に、一かけらの嘘も、欺瞞も、存在せず。


 故に、アリサは、師の抱擁を受けながら、とても嬉しそうに微笑んで。


「ありがとうございます。でも、心配ご無用ですよ、お師匠様。だって、私には」


 頼りないけど、心の底から信じられる勇者ナイト様と――そう言って、ユウキに向かってウインクをした後。


 ぎゅっと、決して大きいとはいえない、自分の腕の中にすらすっぽりと収まってしまう――愛しい師匠の身体を抱き返しながら言う。


「頼りになるけど、すっごくかわいい――偉大な女神様の御加護がついてますから!」


 そんな、長大なる己の生涯においてもたったひとりの弟子の――愛の抱擁に。


 オルビアは眉尻を下げながら、少しだけ無表情を崩して、微笑みを浮かべると。


「――そうだな。お前たちが、なにも世界の全てなんて背負い込む必要はねぇ」


 ホムラは、そんなオルビアの頭に手を乗せて、ユウキとアリサを見遣りながら。


「確かに、お前達がこれから始める旅は過酷なもんだ。世界を救うなんて使命は重くて仕方ねぇだろう」


 だからこそ、と。ホムラは言う。


 身を潰すような重い荷物は――誰かと分け合って運ぶもんだと。


「仲間を集めろ。世界の命運なんてクソ重いもんを、共に背負ってくれる――頼もしい仲間バカどもを、お前たちは集めなくちゃならねぇ」

「……仲間」


 そうだ、と、ホムラはユウキの呟きに返す。


 世界を救う――そんなとんでもない重圧を背負いながら歩むことになる、過酷極まる冒険の旅路に。


 と思えるような。

 果てしない旅の道連れにしたいと思えるような。


 そんな最高の仲間パーティメンバーを集めろと、初代勇者は、新米勇者へと教授アドバイスする。


「勇者だなんだと持ち上げられたりもしたこともあったが、俺なんか一人じゃ何にも出来ねぇクソ野郎だった。そんな俺でも、世界を救うなんて理不尽極まりない無理難題を、一緒に乗り越えようとしてくる奴等がいたから」


 一緒に背負ってくれる、一緒に旅をしてくれる――最高の仲間がいてくれたから。


 俺は、世界を一周すまわることが出来たんだと、オルビアを片手で抱き寄せながら。


 ホムラ・フジカワは――綺麗に笑う。


「俺は――勇者になれたんだ」


 そう、真っ直ぐに、新米勇者候補ユウキを優しく見詰めながら語る、初代勇者ホムラの言葉に。


 ユウキは、隣のアリサと目を合わせて、そしてふたりは再び、真っ直ぐに――伝説の勇者を見上げる。


「こんな俺に付き合ってくれた、最高の奴らだった。そんな仲間バカどもとの旅路は、それはもう――最高に楽しかったぜ」


 だから、お前達も楽しめと――ホムラは言う。


 と。


 世界を救う冒険の旅を。

 途轍もない重圧と、果てしない苦難が待ち受ける旅路を――楽しめと、かつて勇者と呼ばれた男は言う。


「お前達はこれから、誰も見たこともない景色を目にする。誰も味わったこともない体験をする。それは、この世界で、勇者パーティおまえたちだけが得られる報酬だ」


 世界を救う――冒険の旅。

 それはこの世界で、勇者とその仲間だけが歩める日々――紡ぐことが出来る、たったひとつの物語だと。


「世界を救えなんていう無茶ブリをこなすんだ。そんくらいのご褒美があっていい」


 たっぷりと冒険を楽しめ。そのついでに――世界を救えと。


 ユウキとアリサは。

 未来を担う新時代は――世界を託された、少年少女は。


 そんな勇者の激励と、女神の微笑に。何よりも強く背中を押されて、力強く、真っ直ぐに駆け出した。


「「いってきます!」」


 旅立つ子供達を見送る先代おとなは、ふたり寄り添い合いながら、遠ざかっていく背中に向けて、小さく手を振って。


「「――いってらっしゃい」」


 頑張れも、頼むも、ごめんも、無理をしないでも――全部、呑み込んで。


 たった一言、その一言に、全部を詰め込んで――未来を信じて、送り出した。






◆ ◆ ◆






「……泣いているの? アリサ」

「――泣いてないわよ」


 目にゴミが入っただけと強がる少女に、少年はそれ以上何も言わなかった。


 師匠たちの言葉を背に受けた勢いのまま、ユウキとアリサは走り続けて――十年もの間、四人で暮らしたあの森の隠れ家がすっかり見えなくなった頃。


 隣を走る少女の目から、横に涙が流れるのに気付いたユウキは、そんな風にアリサに問い掛けた。


 案の定、アリサは素直に認めなかったが、ユウキはそんな彼女の顔をこれ以上見ないようにしてあげながら「……でも、間に合ってよかった」と話題を変えた。


「……そうね。今日、お師匠様たちから合格を貰って、旅立つことが出来て……本当によかった」


 アリサはユウキのそんな気遣いを感じながら、涙を拭って言葉を返す。


 十年間――ホムラとオルビアから、次なる勇者候補として指導を受けていた二人だが、万全を期すならばもっと長い期間を修行に費やしてもよかった筈なのだ。


 それこそ、少年少女が大人になるのを待ってもよかった。

 否、本来ならば、その方が正しい予定表プログラムの筈なのだ。


 子供を命懸けの冒険に送り出すことなんかよりも――よっぽど正しい筈なのだ。


 それでも、僅か十年のみの修行期間で切り上げ、十代後半の少年少女を勇者として送り出すことになった――その理由としては、単純に、それがタイムリミットだったからだ。


「――百年。師匠たちが稼いでくれた時間。それが終わろうとしている今……魔王はきっと、再び動き出す」


 今日という日から、ちょうど百年前。

 初代勇者たるホムラ・フジカワは、八つの迷宮を踏破し手に入れた宝具を携え、魔王城へと乗り込み、世界を支配する魔王に戦いを挑んで――そして、敗れた。


 だが、勇者が与えた傷は、魔王にも大きなダメージを与え――この百年間、魔王が下界に、人間界に姿を現すことはなかった。


 つまり、初代勇者は、魔王の侵攻をおよそ百年に渡って防ぐことに成功したのだ。


 だが――それも、もう終わる。

 伝説の勇者が身命を賭して稼いだ百年もの時間。

 それを人間たちは何の成果もなく浪費し――初代勇者の『一周目』は、全くの無駄死にで終わろうとしていた。


 そんな結果になることを、ユウキとアリサが受け容れられる筈もなかった。


 何処にでもいる死に掛けの子供であった自分たちを、見付け、見出し、見守ってくれた先代勇者たちの冒険が、そんな結末になることを受け入れられる訳もなかった。


 だからこそ、傷が癒えたからと言って魔王がすぐに侵攻を再開してくるとは限らない、仮にしてきたとしても自分達が再び時間を稼いで見せるから焦らずに強くなれといったホムラとオルビアの言葉に対して首を横に振り続けた。


 今日という日、初代勇者たちが稼いだ百年の時間が終わる今日というこの日までに強くなって――独り立ちして、旅立つことを決めていた。


 初代勇者とその仲間たちが稼いだ百年は、決して無駄ではないのだと。


 偉大なる彼らが稼いだ百年の間に、自分たちという『二代目未来』が生まれたのだと、示したかったのだ。


 所詮は自己満足に過ぎないことは分かっている。

 旅立つだけでは何の意味もないのだ。結果を残さなくてはならない立場である以上、そんな立場を継ごうという以上――『勇者』という、その大きすぎる肩書を背負うと、誓った以上。


 それを名乗るに相応しい実力を付けるまで、子供らしく大人に甘えるのが正しいことは分かっている。大人を名乗れるようになるまで、大人の背中に守られているべきなのは分かっている。


 それでも――示したかった。


 初代勇者の――師匠たちの戦いは、決して無駄じゃなかったと。

 

 師匠たちの戦いは、まだ終わってなんかいないと。

 師匠たちは――まだ負けてなんかいないと。


――今度は、いえ、今度こそ。


 新時代じぶんたちが証明してみせる。


 勇者と女神の弟子である自分たちが、勇者と女神のその力と意思を継いで――その誇り高き戦いを、引き継いで。


 伝説を――継いで。


 今度こそ。


 魔王を倒し、世界を救うのだと。


 百年後の続きを、今、ここから始めるのだと。


「――行こう!」

「――ええ!」


 少年と少女は、後ろを振り向かず、走り続けるその足を加速させる。


 これは、そんな――『二代目勇者ニューゲーム』の物語だ。






◆ ◆ ◆






「――行ったな」

「……ええ」


 ユウキとアリサが旅立ってから少し経った後。


 見えなくなった背中を見つめ続けていたオルビアは、ふと現実に帰るように、あるいは現実を受け入れるように、そんな風に呟きを漏らした。


 本音を言えば――もっと一緒に居たかった。

 もっと本心を言わせてもらえるのならば、旅立ってなど、欲しくはなかった。


 戦ってなど欲しくはないのだ。

 剣など持たず、魔術など覚えず、どこか長閑で平和な場所で、健やかに穏やかに過ごして欲しかった。


 だが、この世界には、本当の意味で平和な場所など存在しない。


 魔族の気分次第では――魔王の気紛れ次第では、どんな街や村や都市も、次の瞬間には火の海になり、次の朝には廃墟となってしまってもおかしくはないのだ。


 だからこそ――この世界には、『勇者』が必要だった。


 今度こそ、魔王を倒せる、本物の――『二代目勇者』が。


「――アイツらは、本当によく頑張った」


 そんな風に思考しながら、いつの間にか俯いていたオルビアの肩を、強く抱き寄せながらホムラは言う。


 オルビアは、自分の身体と心を暖めるようなホムラの体温を感じながら、彼の言葉を口の中で小さく反芻する。


「……そうね。あの子たちは、本当にすごく……頑張ったわ」


 思い出すのは、今から十年前のこと。


 九十年もの間――まるで自分たちが救えなかった世界から目を逸らすように、俗世との関わりを断ち切り、この大陸の外れの小さな森の中に隠れ家を作って潜んでいたオルビアの元に。


 今にも死んでしまいそうなボロボロの少年と少女が駆け込んできた。


 助けてくださいと。

 自分の身体と同じくらいの背丈の意識のない少年を背負いながら、決して大きくない森とはいえ、小さな子供からすれば迷宮に等しい森の中を抜けてきたであろう、強き少女の言葉に。


 オルビアは魅入られ――突き付けられた。


 膝が震え、全身に火傷を負いながらも、我が身よりも己の背に負う少年の命を優先する少女の心に。

 

 そして、そんな状況でも、決して何も諦めていない、少女の黄金に輝く瞳に。


 オルビアは希望を見た。オルビアは可能性を見た。


 オルビアは――少女に、未来を見て。


 そして――アリサという少女に、魅入られたのだ。


 同時に、突き付けられた。

 世界は変わっていないということを。まるで救われていないままだということを。


 世界を救えなかった自分は、世界を投げ出してはいけないのだということを。


 戦いは――まだ、終わってなど、いないのだということを。


(だから私は、あの子たちを育てた。……だから、私は――)


 あの子たちを――『二代目勇者』に育てようと、決めたのだ。


 アリサとユウキという少年少女の願いを聞いてしまったから。

 彼らの眩い輝きに――再び、魅入られてしまったから。


 かつて、ホムラ・フジカワという少年に出逢った、あの時のように。


 だから――オルビアは、ホムラという初代勇者を【再召喚】した。


 十年前。

 つまり、初代勇者が魔王に敗れた、その日から九十年後。


 それは――ホムラを始めとする『百人の異世界人』が、『勇者候補』として女神オルビアによってこの世界に拉致召喚されたその日から、ちょうど百年目の日付だった。


「……ごめんなさい」


 オルビアは、十年前のその日のことを思い返し、ホムラの胸に顔を埋める。


「あなたを――また、私の身勝手な願いに巻き込んだ」


 百年前。

 オルビアは、自身が召喚した百人の異世界人の末路を、その目でしかと見届けている。


 自身が『異能』を与え、『勇者候補』として、この世界に召喚した『百人の日本人』たちは。


 ひとり、またひとりと魔族に殺され――そして、女神に呪いを残していった。

 この世界に自身を『拉致召喚』した張本人たる女神に、呪いの言葉を遺して、逝った。


 そして、女神自身もまた、その光景と怨嗟に、自身の行いの罪深さを知ったのだ。


 私は、なんてことを、してしまったのだろう――と。


 にも関わらず――百年で回復した『神秘』の力を持って、再び、同じ罪を、新たな罪を、重ねてしまった。


 ごめんなさい、ごめんなさいと、己の胸で謝り続ける女に――元、女神に。


「――いいさ。まぁ、初めは何を考えているのかって思ったがな」


 例え、魔王ラスボス戦後の状態からの再召喚――いわば強くてニューゲーム状態による『二周目』とはいえ、それでも、だが、しかし。


 

 それは、あの最終決戦にして頂上決戦の場に同席していたオルビアは痛感している筈のことだ。


 ホムラ・フジカワという勇者を何度召喚した所で意味がないと分かっている筈なのに、どうして再召喚などしたのかと、当時のホムラは混乱を隠せなかった。


「だからこそ、『二周目』としての勇者でなく、『二代目』の師匠を求められた時は納得がいったよ。俺としても――失敗した勇者前任者としても、自分の不始末の後始末を未来後任者に丸投げするのは気が引けたからな。ありがたいくらいだ」


 だから気にするなと、わしわしとオルビアの髪を掻き交ぜて――そして。


 己の胸に顔を押し付けるオルビアの頭を、グッと強く抱き締める。


「――何より、また、お前に逢えた」


 それだけで、感謝してもしきれねぇさと、ホムラは囁く。


 己の胸に涙を染み込ませる――自分にだけは涙を見せてくれる、かつて女神だった女に、かつて勇者と呼ばれた男は言う。


「――俺は期待に応えられなった。だから後は、俺たちの新しい勇者に期待しようぜ」


 そんな男の言葉に、女は何も言わず――ただ、その逞しい胸に、強く己の顔を押し付ける。


 可愛らしい元女神に微笑みながらも、元勇者は、ゆっくりと頭上を見上げる。


 そこには、既に無数の魔族が飛んでいた。


 オルビアとホムラが、アリサとユウキに卒業試験として伝授した奥義によって生じた隠し切れやしない規模の痕跡に、今更ながらに引き寄せられるようにやってきた魔族を見上げながら、ホムラはまるで動じずに言う。


「――さて。これからどうすっかね」


 未来たる弟子たちは既に送り出した。

 過去たる自分たちには、もうこの世界において課せられた役割はない。


 勇者ホムラの物語は、女神オルビアの物語は、既に百年前に幕を閉じている。


 勇者になれなかった男は、女神ではなくなった女に、物語のエピローグの、その後について語った。


「せっかくの『二周目』だ。百年後の世界を見て回るのも一興か。懐かしい顔にも、会えるもんなら会いてぇしな」


 どうだ、オルビア――と、飛来してくる魔族から目を離して、己の腕の中から見上げる、元女神の濡れた瞳だけを見詰める。


「『二代目アイツら』の旅路を見守りながら、俺と世界二周目の旅デートと洒落込まないか?」


 付き合ってくれないか、俺の女神。お払い箱になった元勇者の二周目の人生セカンドライフに――と、ホムラは笑うと。

 

 涙に塗れた顔で、オルビアは「――それは最高に素敵なお誘いね」と、嬉しそうに微笑みながら。


 その濡れた顔を――ゆっくりとホムラに近付ける。




――ごめんな。俺は、お前の勇者にはなれなかった。




 かつて、そんな言葉を遺しながら、自分の元から消えていった男を。


 今度こそ――絶対に逃がさないとばかりに、女はその顔を掴んで、その唇に、己のそれを喰らうように重ねた。


「どこまでも――御供するわ。私の勇者」


 男と女は目を瞑り、互いの感触だけを味わう。


 ホムラは手を上空に掲げて、襲い掛かってきた魔族を目を向けることもなく迎撃し。


 オルビアは男に抱き締められながら――ただ、真摯に。


 もし、未だ――この世界に、神という存在がいるのならば。


(今度は――今度こそは。私の命は――あなたと共に)


 そう、かがやく炎が世界を塗り潰す中で、女神だった女は、勇者だった男に抱かれながら祈っていた。

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