第2話 想定外

「私は、40年前まで心から愛していた女性がいました......」

「お、恋バナじゃん」

「しー」

ログが口持ちに人差し指を運び言うと、レコはチャックを閉めるように口を閉ざした。

「彼女もまた私を愛していて、相思相愛だったのですがそれを周囲は認めてくれませんでした。募りに募ったその不満を負ったある日、本当に些細な喧嘩別れで私たちは別れることになってしまいました」

卓の瞳はかつての彼女を思い出しているのか、生気の宿った光を醸し出していたがどうも嫌な不気味さも感じる。

「私たちは本当に愛し合っていたんです! 周囲の邪魔さえなければ今頃!」

卓は過去を思い返しヒートアップしており徐々に口調を早め、語気を荒げていく。ドムのくわえた葉巻はいつの間にか親指サイズまで燃え切り、それを察してかログが机に灰皿を置く。葉巻を灰皿に押し付け、再び背をソファに預けるとドムが口を開いた。

「それで? いくら払えるんですか?」

「え?」

「あなたの言い分になってこちらさんは一切興味がない。生憎こちらさんも慈善活動してるわけじゃないんでね。働くからには金をもらわないと」

「いや、お金は既に払って」

そう言うとドムは深くため息をこぼし、次の葉巻を口へ運ぶ。

「あのねえ、それは手付金の話でしょぉ? 俺さんちゃんと資料に書いてたじゃん。人生をやり直すには別料金が掛かりますって」

ログとレコに卓を追い出すように腕を上げたが、卓は勢いよく自分のポケットをまさぐった。

「よ、預金帳……! 50万は入ってるから、それにもうすぐ年金だって……!」

ドムは差し出された預金帳を獲るとすぐにページをめくり出す。上げられた腕はそのままでログとレコもドムの様子をうかがっている。

「ま、ギリギリってとこか」

ドムが腕を下げるとログとレコは定位置へと戻っていく。

「それじゃあ契約成立という事で、人生が変わるのをお楽しみください」

あからさまに作った笑顔を卓に浮かべると、一枚の契約書を差し出してきた。



――卓が帰るとドムはソファに横になりながら、預金帳をお手玉のように投げていた。

「んじゃ、仕事は頼んだぞ」

「相変わらず無責任だなー、オーナーは。何が働くからはお金をもらわないとだ。働いてるのは私らだけじゃん」

レコはふくれながら紅茶の零れた机をタオルで拭きながら、ドムを半目で睨みつける。

「ガタガタ言わないでねぇ、こちらさんは身寄りのないお前らを引き取って飯と住処を与えてやってんだからWin_Winでしょうが」

「その飯と住処は私らが働くおかげだし」

再び預金帳を上に投げるとそれが落ちてくることはなかった。灰皿を片付け戻ってきたログが預金帳をキャッチしていたのだ。そして、そのままドムの寝転ぶソファの隙間に座り込み口を開く。

「ま、オーナーは一種のパイプ役だから仕方ないね。それに”僕らの力”がないと『人生やり直し屋』なんて大層な仕事できないしさ」

ログとレコには特殊な力がある。それは――時空を越える力。

それは過去であったり、未来であったり。こちらが決めた情報の時代に転移する。だから既に情報のある過去に行くことがほとんどで、未来に行くのは元の時代から以下の出来事に限られる。

当然ながらこの力にもリスクはある。彼らが時を越える力を有しているとは言ったが、実際に時を越えるには『時のレコーダー』を使わなければいけない。時のレコーダーに何の音声データのないレコードを再生し、その際に行きたい時代についての情報を口頭で伝えることで時を越えることが出来る。

時のレコードは特殊で使えるレコードも限られ、ドム達はたったの一枚しかレコードを所持していない。

そして一度時代を転移すれば数日間時のレコーダーは使用できなくなる。普通に暮らすなら大して問題はない事だろうが、彼らにとっては一大事なのだ。

何故ならば。

「あれ、でもオーナーって私たちが来る前から人生やり直し屋でやってなかったっけ?」

「オーナーの先々々……先祖からだね」

ドレディク家は末代まで続く詐欺を生業にした一族で、『人生やり直し屋』もその詐欺の一つに過ぎなかった。

だが、ある時代のドレディクがへまをやらかした。それは世界でもトップクラスのマフィアのボスに『人生やり直し屋』の話を持ち掛けてしまったのだ。

当然詐欺なので人生をやり直すことなどできない。資金をふんだくるだけふんだくってとんずらをこいたのだ。

それに激高したマフィアのボスは未来永劫ドレディクの血筋を根絶やしにすると決心し、その飛び火が今のドム=ドレディクにまで及んでいるというわけだ。このアジトもいつバレるかわからない。緊急逃走手段としても時間転移の力は必須というわけだ。

「フンッ、良いから黙っていけ」

ログから預金帳を奪い取ると出かける床に脱ぎ捨てられたコートを羽織る。

「どこ行くの?」

「パチンコ」

「パチンカス」

「どうとでも言ーえ」

そう言い、ドムが玄関へ続く扉のノブを握った瞬間。


『おい!! 出てこいや!!』

けたたましい怒号が部屋に届き、まるでその振動が伝わるかのように三人の身体がはねた。

「ま、まさか……」

続きの言葉が出てくる前にその答えが怒号となってまた鳴り響く。

『ここにドレディク家がいることはわかってんだぞ! さっさと出てこいや!』

噂をすれば何とやらだ。まさかこのタイミングでマフィアにここが鍵つけられるとは……!

「じょ、冗談じゃない!! お、おい、今すぐレコードを起動してこい! 俺さんはここでバリケード作っとくから!」

「行くったって何処の情報を入力すれば……」

「さっきのハゲからの情報があんだろ! さっさと行け!」

二人はうなずくとレコードのある部屋へと向かった。


部屋に着くなり、二人たちはレコードの前へと向かい合う。

「名前は馬場 卓ばば すぐる。時代は今から40年前の、彼女である浦原 琴美うらはら ことみと喧嘩別れした4月1日の昼下がりに設定……」

『正当な情報を確認:”システム認証キー”をお持ちの方は実行プロセスを口頭でお伝えください』

レコーダーから無機質な音声が鳴ると同時に、何の音声データもないはずのレコードから別の音声が出て来る。

『どうして、裏切ったんだ!? このビッチめ!!』

それは忌むような、怒るような、狂気じみた声。二人はそれに一切たじろぐことなく、言葉を合わせ続ける。

「「時よ時よ、起こしませ。刻まれた時を再び戻しに、その罪を贖い給え――」」

言葉を最後まで告げると、レコーダーからはまばゆい光を放ちながら部屋を揺らすほどの振動が起こる。時を越える手順は済んだ、後は完全に起動するのを待つだけなのだが……

「にゃあー」

膝にふにっとした感触と温かみに気付き、レコはふと目をそらす。そこには白と黒のぶちをした猫の”カイル”が。

「あ、オーナーの猫。こんなところにいたのー?」

「あっ、レコ……! 私語は……!」

そのログの声が彼女に届くことはなく、光が部屋を完全に支配した。

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