猿島
超新星 小石
第1話 職場
オフィスで本を読んでいると佐藤さんがコーヒーを差し入れしてくれた。
「ありがとう」
「いえいえ。なにを読んでらっしゃるんですか?」
「江戸川乱歩の人間椅子だよ」
「ああ、あの短編ホラーの。わたしの実験で使った物ですね」
「本業はミステリー作家だけどね」
「でもホラー要素がかなり強いと思いますよ。その本も目羅博士のお話はぞくっとしちゃいましたもん。この仕事をしていると、特に」
「まだそこまで読んでないな……どんな話なんだ?」
「それは読んでからのお楽しみです」
別にいいのに、と思ったがそれが彼女の流儀ならばとやかくいうこともない。
「ところで葉山主任。相談があるんですが……」
「相談? なんだい?」
ちらりと佐藤さんを見ると、明るくて社交的な彼女にしては珍しく落ち込んでいる様子だった。
「このオフィスの臭いってどうにかならないんですか?」
「臭い?」
「なんていうか、獣臭いじゃないですか」
「ああ……それは仕方ないよ。彼らの部屋とここは換気ダクトがつながっているんだ。君はまだ配属されて二週間くらいだからなれていないだけだよ」
「うーん、わかりました。それと、もう一つあるんですけど……」
「いってごらん」
「あの、林先輩って、前からああなんですか……?」
そういわれてオフィスの隅のデスクに座っている林に目を向けた。
彼はボサボサに伸び散らかした髪を掻きむしりながらぶつぶつと独り言を呟いている。
「あー……いやなに、誰だって気分が落ち込むことくらいあるさ。閉鎖的な職場だしね」
「そうはいっても……ちょっと怖いですよ……」
「俺のほうから休暇をとるようにいっておくよ。ここ最近働きづめだし、本島にもどってリフレッシュすればすぐに良くなるさ」
「でも……」
「君も有給は積極的に使いなさい。ここはそれほど厳しい職場じゃないから、気兼ねなくいこう。いいね?」
「……はい。ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をする佐藤さん。礼儀正しいいい子だ。実際彼女は新人の中でもトップクラスの成績で入社し、いきなり我がゲノミニクス社の新規開発事業部であるこの研究所に配属された将来有望なニューフェイス。
辞められでもしたら上からどやされるのは俺だし、なるべく真摯に対応しなければならない。
「っと、そろそろ時間だな」
本にしおりを挟んでデスクに置き、立ち上がる。
「わたしが行きましょうか?」
「いや、今日の当番は俺だからね。上司とはいえ職務を全うするのは社会人として当然の義務だろう」
「へへ……わたし、初めての上司が主任で良かったです」
佐藤さんはほがらかに笑った。
なにかとストレスが多い職場であることは間違いないし、部下のメンタルに気を使うのも上司の仕事だ。
「それじゃあいってくるよ」
俺は椅子の背もたれにかけてあった白衣に袖を通し、オフィスをでていった。
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