第64話 学園長との話し合い
「おや、大勢で来られたのですね」
大学の事務員の男性は俺たちを見ると、明らかに面倒くさそうな顔をした。綾女だけで来ると思っていたのだろう。事務室には学園長から指示を受けた事務員の男女が数人いた。
「少々お待ちください。あの私たちは綾女さんにだけお話があるのですが……」
「わたしは彼女の弁護士の河野と言います」
河野は事務員の男に名刺を差し出すと、明らかに嫌そうな顔をした。弁護士の同行を拒否することはできない。一人の男が慌てて、学園長室に走っていくのが見えた。
「馬鹿なやつだ。綾女一人で来させるわけがないだろう」
川上は俺にだけ聞こえるよう小さな声で呟いた。俺、綾女、川上、弁護士の河野が大学事務室の受付のところで待つことになる。
暫くすると事務員の男が戻ってきた、俺たちに声をかけてくる。
「学園長がお呼びですので、こちらにお越しください。それと出来れば綾女さんだけで……」
「噂になっている話の真意を問うのでしたら、場合によっては綾女さんの今後の大学生活に不利な決定がなされる可能性があります。わたしは綾女さんの弁護士ですので、同行させていただきたいと思います。法的知識がないと判断もつきませんので……」
弁護士が同行するのならば、俺たちはいてもいなくても、結果的には思惑通りには進まないと思ったのだろう。俺も川上も親や兄弟代わりと説明をすると同行を許された。
学園長室は立派な置物が飾られ、贅沢なソファが机の前に置かれている。俺たちはそこに座ると事務員の女性がコーヒーを出してくれた。
学園長がこちらを振り返ると面倒そうな顔を隠すこともせずに、対面のソファに座る。
「呼ばれたのは、噂の真偽についてなんだ」
「噂と言うのは、女優業についてですか」
綾女が言うより先に河野が学園長をじっと見ながら言う。弁護士の名刺を見ながら、学園長はコーヒーを飲んだ。
「弁護士同行ですか。驚きましたな、別に綾女さんにお話をお伺いしたいだけでしたので……」
「学校と生徒であれば対等に話ができません。また、綾女さんは法的な知識がありませんので、不当な決定をされても争うことができません。後手に回ると場合によっては裁判が長引き、その間に不利になるかもしれませんので……」
河野は学園長をじっと睨んだ。裁判と言う言葉は、何かあったら法廷闘争も辞さないと言う決意の現れである。学校側も裁判となると世間体もあるから、戦いたくもないのだろう、本来は自主退学を促したかったのだろうが、裁判と言う言葉が出たことで、自主退学の道はないと思ったのだろう。学園長は非常に嫌そうな顔をした。
「綾女さんに直接お話だけを伺いたかったのです。学園としてはその風紀がありますからな」
「過去、裁判にもなってませんが、有名私立大学在学中にアダルト女優業をしていた例は数件ありますが、自主退学になった例はありません。綾女さんは現在活動を辞めており、もし退学にするとおっしゃるのならば不当な退学処分になると思いますが、いかがでしょうか」
流石は弁護士と言うだけはある。裁判においては法律と同じく判例が重視される。法廷闘争にさえ発展したことがないために、判例はないがもし退学処分になれば、他の事例と照らし合わせて不当に厳しい処分になる。大学の退学処分の要項にも恐らくそのような記載はないはずだ。
例え風紀などの校則があったとしても、自主退学を促されても、退学する必要はない。
「なるほど、おっしゃられることは分かりました。私どもは最近、ネットを通じて綾女さんの過去の女優業のことが話題になっており、事実確認をしたかったのです。現在のところ、それをもって、すぐに自主退学を促すと言うつもりもありません」
「分かりました。彼女が以前、女優業をしていた事実は私どもも確認しております。現在は辞めており、再開するつもりもないとのことです。そちらを考慮頂き、今後の大学生活に不利益な判断をされないようにお願いいたします」
河野の言葉に学園長は、分かりましたと返事をする。恐らく弁護士同席で自主退学にも応じない、と言われた時点で学園長としては、何もできないと判断したのだろう。学園長は綾女の方に顔を向けて、柔らかい表情に変えて話した。
「綾女さんが学業優秀なのは、わたしも知ってます。入った時も一番でしたね。その綾女さんがそのような仕事をされていたのを驚いたのです」
「ごめんなさい。わたし、母親の借金がありまして、返さないと、と必死でした。今は借金も完済し、別の未来に向かって歩き出しています」
「なるほど、そちらは川上さんですか。気になっていたのですが、あの川上さんですか」
学園長が詰問の姿勢を崩したのを見て、隣に座る川上も柔らかな表情を学園長に向けた。
「はい、元紅の川上です。綾女さんは音楽の才能があります。今後はわたしのバンドのボーカルとしてデビューしてもらいます。そのため、出来ればこの話を学園の方でもあまり大きくならないようにしていただけると大変ありがたいのですが」
「分かりました。学園の方でもそのような事でしたら、尽力を尽くしますよ。それより、学園祭にきていただけましたら、私も大変ありがたいのですが、いかがでしょうか」
流石は川上さんだ、と思う。すでに綾女の話は有名無実化してしまい、今はバンドの学園祭出演の話になっていた。
「ありがとうございます。デビューもしてないのに、大変嬉しく思います。わたしのグループは二つのグループになります。秋の学園祭、両グループ共に出演しますので、よろしくお願いします」
学園長と川上は固く握手をした。出演前に学園祭出演が決まった。川上がいなければ、こんな話にならなかっただろう。そう思うと凄い男だと感じた。
結局、話はバンド活動が中心になり、川上と綾女は学園長と楽しそうに話し合っていた。学園長の奥さんは紅の大ファンだったらしく、サイン色紙を数枚書いてくれと頼まれていた。気さくに数枚書くと学園長は本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。
「さて、こっちの思惑通り進んだが、聖人の父親がどう動いてくるか、だな」
川上は俺にだけ聞こえる小さな声で、囁いた。聖人の父親は芸能関係者だ。何らかの圧力をかけてくる可能性は否定できない。今後、ぶつかる事は避けられないのだろう。俺はそんなことを考えながら、大学を後にした。
帰り道、綾女は凄く嬉しそうだった。綾女がぎゅっと腕を組むと胸が押しつけられる。綾女を見ると嬉しそうにはにかんだ表情をする。良かった、本当に良かったと俺は思った。
いつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
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