第62話 綾女と雪奈のマンション

「じゃあ、わたし行くね。必要なもの後で取りに来ていいよね」

「雄一、明日も練習するからね」


 綾女と雪奈は、簡単な挨拶だけすると、俺の家から出て行った。三人は今から薫の持つマンションに住むのだ。綾女と雪奈は不安そうに何度か振り返る。


「これで会えなくなるとか、ないよな」


「何を言ってるの。お兄ちゃんはどちらかと付き合うのでしょ」


 そうだ、俺は綾女か雪奈かどちらかを選ばなければならない。


 小学生の時に命懸けで救った綾女。繋がるはずのない遠い日の思い出は、時を超えて繋がった。初恋だったのだろう。ふたりは昨日ひとつになった。


 優しい雪奈。テレビに出ていたアイドルに恋をした。想いが募り堪らずに会いに行った。ひとりのファンから独り占めしたい存在に……。やがて俺は告白する。振られたと思っていた。あれから二年、雪奈は俺のことを好きと告白を受けてくれた。


 どちらも大切で、どちらもかけがえのない女性だ。優劣など付けられる筈がないのだ。


 部屋に戻ると残された綾女の部屋に沢山のぬいぐるみがある。大きな抱き枕のぬいぐるみもあった。短い間だったけれども。ここをノックするのドキドキしたよな。それにしても……。


「あいつ、これがなきゃ寝られないんじゃなかったのかよ」


 抱き枕に顔を埋める。綾女の香りが広がる。綾女を抱いた時の匂いと同じだった。


「綾女、好きだ……」


 俺が再びぬいぐるみに顔を埋めると、後ろから声がした。


「あのさ、取り込み中悪いが、俺はまだいるんだよな」


 俺は抱いていたぬいぐるみを慌ててベッドに戻す。呆れた表情で、川上が俺を見ていた。


「今から薫のマンション見に行くから、お前もついてくるか」


「はい、行きます」


「しばらく会いには行けないだろうけど、ふたりともお前が好きなのだから、知っておいていいと思う。変な不安抱かせても、仕方ないしな」


「わかりました、すぐ用意しますね」


 俺は大きなぬいぐるみの入る袋を用意して、突っ込んだ。それにしてもなんと言うキャラなんだろう。ゆるキャラぽいがあまり有名じゃないのか、このもふもふを俺は知らなかった。


「特に用意とかないので、行きましょう」


 外に出ると家の前にタクシーが横づけけされている。流石にこのぬいぐるみを持って電車に乗るわけにも行かないものな。川上は前に乗り、俺は後部座席にぬいぐるみと共に乗った。


 マンションは自宅から二駅の距離にある。タクシーは国道を走り、10分程度で目的の場所に着いた。タクシーを降りるとちょうど着いたばかりの綾女と雪奈に対面する。


「雄一! 会いたかったよ」


「いや、さっき別れたばかりじゃないか」


 俺に抱きつこうとする綾女を雪奈が止めていた。


「ちょっと待ちなさい。まだ私たちの決着ついてないんだからね」


「えーっ、それはないよ。今までだって……」


 綾女にとって、俺に抱きつくと言う行為は生活習慣のひとつになっているようだ。雪奈がいなければ間違いなく恋人だったのだから。今だって恋人だよな。


「離してよ、離して離して」


 目の前の綾女が必死になって抵抗する。


「綾女さんって、いつもあーなの?」


 川上は薫の疑問に手を顔にあてて、苦悶の表情で呟くように言った。


「いや、これは雄一が来てからだ」


「雄一、大好きだよ♪」


 綾女と雪奈のこれから住むマンションの部屋に入った。ワンルームを想像していたので驚く。2DKの高そうなマンションだった。ダイニング机に薫と川上、雪奈が座る。座席が足りなかったので、俺はダイニングテーブルの横にあるソファに座ったのだが、綾女も隣に座った。俺に抱きつく綾女に周囲の目は厳しい。綾女の髪の毛を撫でてやると、嬉しそうにこちらを見てきた。猫みたいだ。


「ちょっと、綾女さんだけずるくないですか!」


 耐えきれずに雪奈が俺のソファに行こうとするのを薫に止められる。薫にとっては綾女の存在は川上に頼まれたから、というだけに過ぎない。雪奈とは違うのだ。


「やっぱりフェアじゃないと思うんだよ。とりあえず今はくっつくのはやめようか」


「えーっ、嫌だな。わたし恋人だよね?」


 嬉しそうに俺を見つめる。そうか、別に綾女は天然なわけではないのだ。綾女は俺が思っているより、打算的だった。


 それはそうだろう。今まで生きていた状況が違う。アイドルとして生きてきた雪奈とは違い一度、地獄を味わった故の強さなんだ。


「きっと答えを出すから、ちょっと待って」


 俺はゆっくりと綾女から身体を離して、ダイニングの机に座った。こうすれば、綾女は抱きつくことはできない。


「で、どう言うメンバー構成になるのかしら」


 綾女には興味も持たずに薫は、川上の方を向いた。


「一つ目のグループが綾女、俺、雄一のユニットだ。ボーカル、ギター、ドラム。ベースは誰かに頼む。そしてもう一つのグループが、雪奈、愛、圭一、そしてドラムを雅人に頼むつもりでいる」


「愛は大丈夫なのですか? いきなりギターでプロデビューなんて……」


「雄一、俺はお前の方が心配なんだよ。愛は才能がある。もっとも初めはサブギターを入れるかもしれないがな」


 いつの間にか愛はレッスンを受けていたそうだ。同じ場所で練習しなかったのは、俺に下手なところを見せたくないからだった。凝り性だったもんな。そう言えば自宅でピック片手にイヤフォンをして練習をしていたような気がする。


 あまりにも綾女と雪奈のことだけしか見てなかった。頑張っていると聞いて、俺は安心した。


「素人が混じっているけど、大丈夫なの?」


「殆どはプロで構成されてる。素人なのは雄一と愛だけだ。ふたりとも才能はあるよ」


 ニッコリと嬉しそうに笑う川上を見て、俺は嬉しくなった。


 もっと練習しないと、恋愛にうつつを抜かしている場合なんかじゃない。


 そして、遠くない未来にきっとどちらかを選べるようになる。俺はふたりの顔を交互に見ながら、そう感じていた。




――――――


綾女と雪奈の戦いはこれからでしょうか。

次回は試験期間をさっさと終わらせたいところです。


試験前ということ忘れてました?


忘れそうですね。


それでは。


読んでいただきありがとうございます。


応援、星いただいて本当にありがとうございます。今後も変わらぬ応援よろしくお願いします。

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