第59話 綾女と雪奈、再び
「里帆、ごめんな。守ってやれなくて……」
「そんなことないよ。充分すぎるほど、守ってくれたよ。もし、川上さんと助けに来てくれなかったら、撮影されてたら、死ぬほど後悔した。自殺を考えてもおかしくなかった。それと私の方こそごめん。雄一と別れるべきじゃなかったんだよ」
「俺が大切にしすぎて、分からなくなってたんだよ。本当は一歩進まなくてはならなかったのに臆病から、それができなかった」
俺はギリギリのところで助けられて良かったと思う反面、寂しを感じた。永遠の別れでないにしても、もう二度とつき合うことはないのだ。失った時間は戻ることはない。日本の諺で言えば覆水盆に帰らずだ。
「じゃあ、ここで」
里帆の家の前で、俺は手を振る、
「うん、じゃあね」
里帆も合わせて手を振った。裁判は続くが、俺たちの関係は終わったと言って良かった。しばらく家の前で里帆の足音を聞いていた。里帆の家の内装は手に取るようにわかる。二階に上がって布団に入って泣いているのだろう。俺は振り返り家に向かう。もう振り返ったりはしない。
家に入ると待っていたのか雪奈が、嬉しそうに走ってきた。
「今日も練習するよね。行こうよ!」
午前中に裁判が終わったため、今からでも充分時間がある。練習時間は1分でも必要だ。タイムリミットになる前に上手く叩けるやようにならない。俺は綾女に行ってくるよと告げて、スタジオに向かった。
「で、さ。なんで、あなたもいるの?」
綾女が笑顔で誤魔化しながら、雪奈の方を見る。綾女が心配するのはわかる。俺だって男だから、勢いで抱いてしまうことだってあるかもしれない。雪奈は有名人で綾女は元AV嬢。ライバルとして戦うにはかなり厳しい。
「いちゃダメ、かな?」
雪奈に睨まれて慌てて俺に視線を向ける。じっと俺を見つめる視線は色っぽかった。
「あのさー、雄一さん。ここどこでしたっけ」
「ここはスタジオで雪奈は俺の先生だろ」
「正解。じゃあさ、目の前の綾女ちゃんはどうすればいいかな?」
練習のことだけを考えたら、帰ってもらうのが一番だ。男女関係を抜きにすれば、二人で集中する方が効果が上がる。ただ、綾女の気持ちもわかる。綾女が意識するのは、俺が男で雪奈は女だと言うことだ。
男女関係を考えたら、綾女にいてもらった方がいいだろう。お互いにその気がなくても、場合によっては性的な関係になることは充分にある。特に雪奈の場合、それを狙っている気がするので、いてもらいたいと強く思った。
「綾女には俺の成長度合いを客観的な立場から見ておいて欲しいんだよ」
「私じゃダメなのかな」
「雪奈は先生として俺の技術的な評価は出来ると思うけど、主観性は残ると思うんだ」
少し強引だとは思う。あくまで先生の雪奈に対しては、このように話を持って行った方がいいだろう。男女関係に発展させないためにいてもらっているとは、口が裂けても言えない。
綾女と雪奈はライバル関係にある。俺が綾女にいて欲しいと言うことは、雪奈よりも綾女が大切と解釈されかねないのだ。
「まぁ、いいわよ。綾女がいても、いなくても関係ないし……」
俺は雪奈の方に目を向ける。妖艶の笑みを浮かべて、俺を見ていた。これは非常にまずいと感じる。雪奈は練習という理由をつけて、俺に迫ろうとしている。
「ここは、こうすると良いよ」
やはり来たかと感じる。雪奈は俺に近づいて、俺の手を取ってドラムを叩いた。川上に注意されたくらいでは、辞めないとは思っていたが、今回はあえて綾女に見せつけているのだろう。
目の前の綾女が怒った表情で、じっと雪奈を見ていた。フェアじゃ無いといいたげだ。雪奈はその顔に笑みを浮かべ、やり過ごす。そちらの方こそ、わたしに抜け駆けして奪っておいて何様のつもりよ、と言っているような気がした。
練習中、ふたりは全く会話をしていなかった。視線が絡まりあいお互いに無言のまま攻撃しあっているのだ。仲良くなってくれればいいのだが、と思っていたがやはり無理なことだった。
どちらかが口を開けば、きっと口論に発展するだろう。雪奈からは、練習の内容が伝えられ、普通に練習が行われているために、前回のように練習が出来ないことはない。ないのだが、前回よりもお互いに強いライバル意識が芽生えたのか、強い対抗意識を感じた。
一曲を通して教えてくれて、ゆっくりではあるが叩けるようになった。
「凄い雄一うまいよ。初めて数週間とは思えないよ」
「ありがとう。まだまだ、これからだけどな」
俺は尊敬の眼差しで見ている綾女に、素直に礼を言った。綾女ほどの腕前のアーティストに褒めてもらうのは嬉しい。練習は苦痛じゃないし、ドラムという楽器に合っているのかもしれない。
「ちょっと待ってよ! 確かに上手くはなってきたけども、まだまだよ。それに上手くなってのは、わたしのおかげでもあるのよ」
雪奈は教えるのが上手だと思う。難易度の難しい箇所も先に理論的に教えてくれるため、間違いが起こりにくい。変な癖がつかないため、上達に繋がっているのだと分かる。わたしが教えたから、今のように叩けるのよ、と言わなければ、もっと評価されるのにな。今の綾女に上手くなったのは、自分のおかげと言うことは逆効果だ。火に油を注いでいることは、目の前の綾女の視線を見れば一目瞭然だった。
「わたしだって、このくらいなら教えられるんだけどな」
対抗意欲を燃やして、一言言ってしまう。いつ揉めてもおかしくない、ギリギリの状態であったため、綾女の一言で完全に怒らせてしまった。
「綾女さん、そんなに教えたいなら、あなたが教えたらいいでしょ。抱き合った仲だからきっと雄一もその方が嬉しいでしょうし……」
「わたしだって、その方がいいと思ってるんだから。川上が呼んだから今まで我慢してたけどもね」
完全にだめなやつだ。ふたりとも睨み合ったまま一歩も引かない。俺は二人の仲を取り持つことは無理と判断し、川上にラインを打った。また怒られるな。やはり、このふたりは一緒にさせてはだめなのだ。
――――――
雄一も大変ですね。
裁判から打って変わって今回は女の戦いです。
妥協点が見えて来ないと難しいですね。
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