第54話 勾留?
「綾女、帰れ」
「なんで、わたし彼女なんだよ」
「分かってる。だから帰れ、雄一をプロにしたいのならば、練習同行は許さない」
綾女は悔しそうな表情で俺を見た。唇を噛み締める。恐る恐る俺を見た後、振り返り走って出ていった。追いかけようとする俺を川上は止める。
「女の尻追いかけてる暇があったら練習しろ。お前今のままじゃ、プロになれないぞ」
勝ち誇った雪奈は、嬉しそうに俺に密着しようとする。
「お前、ふざけるのなら帰れ。娼婦の真似事がしたいなら、他でやってくれ。俺が教える」
「ごめんなさい。雄一に彼女がいると知って、手放したくないと思ったの」
「そんなことは
「そんな、無理よ。時間がなさすぎる」
「無理なら俺が教える。雅人は出来ると言ったから来てもらったんだ」
「分かった。雄一がドラムを演奏できるようになるまで真剣に教えるよ。ごめん」
八月のライブまで1ヶ月も無かった。本当に一曲弾けるようになるのか。全く自信がない。
雪奈が一曲弾いて、教えてくれる。繰り返し何度も練習をした。先ほどのように俺を誘惑するようなことは一切無かった。練習が終わると川上が駅まで送ってやれ、と言う。家を出ると前を歩く雪奈が呟いた。
「あーぁ、彼女いるなんて聞いてないよ」
「つきあえないと思っていたから言わなかった」
「雄一のことずっと好きだったんだ。でも、事務所に黙って、つきあうわけにはいかない。うちのグループ、恋愛禁止だったんだよ。告白された時は本当に嬉しくてね。応えられない自分に思い切り泣いたよ。せっかく告白してくれたのに、本当のこと言えないなんてね」
少し前を歩く雪奈。考えごとをしながら歩いていた。振り返って覚悟を決めた表情で言う。
「雄一、つきあえる可能性ないのかな。無いのなら、わたしはもう来ない」
俺は唾を飲み込んだ。ここで無いと言えばいいだけだ。しかし、そう言えなかった。
「ドラム、雪奈が教えて欲しい」
「わたしの言ったことわかってる? 期待するよ。いいの? 彼女と別れてくれるの?」
「わからない。綾女は好きだ。でも、雪奈も好きだ。どちらも手放したく無い」
雪奈が近づいてきた。俺の唇に自分の唇を重ねる。俺は近づいてくる唇を避けることができなかった。
「避けないのね。まだ、可能性あるのかな、雄一のこと大好きだよ」
それだけ言うと雪奈は走って改札を通った。ちょうど止まっていた電車に乗り込む。走り出した車窓からこちらを向いて手を振った。
――――――
どうしたらいいんだろう。ふたりのどちらかなんて選べない。もうどうしたらいいか分からなかった。自宅に戻り愛が用意したご飯を食べる。自室に入り、ベッドに横になった。少しすると扉を叩く音がする。ベッドから飛び起き、ドアを開けると綾女が緊張した面持ちで立っていた。
「雄一、ちょっと時間あるかな?」
「うん、大丈夫だよ」
綾女は外に出たいと言ってきた。遅い時間だが、明日も休みなので問題ない。俺たちは庭にでた。
風が吹くと黒の部屋着が揺れ、白のブラジャーが見えた。綿のような薄い生地の半袖に緩い短パン。外で話すにはかなりエッチな格好だった。綾女は下を向いて、じっと考え込んでいるようだった。
「あのさ、雄一は、雪奈ちゃんのこと好き?」
悲しそうに笑いながら、こちらを見る。
「そんなことは、ないよ」
「本当のことを言って欲しい」
俺は雪奈が好きだった。過去形ではなく、現在形であることがハッキリと分かる。ひとときの恋ではなく、出会った時から変わらず好きだった。
「俺は雪奈のことが好きだよ、でもさ……」
綾女はその後の言葉がわかったのだろう。俺の口を指で軽く押さえた。ゆっくりと首を振り、微笑む。
「わたしね。雄一のこと好きよ。ずっと一緒にいたいんだ」
「俺も好きだよ。綾女と一緒にいたい」
「だよね。登下校でつまらない話に笑ったりゲームセンターつきあってもらったり、たまには恋人みたいなことしてキスとか。そのうちエッチとかしてね」
「そうだよ、休みの日に買い物とか付き合って、服とかファッションショーみたいに、どれがいいって選んだりしてさ」
「将来、子供とか生まれちゃってね。わたしは男の子でも女の子でもいいな。男の子なら雄一似のかっこいい男の子だろうし、女の子ならわたしに似た、かわいい女の子だろうね。もちろんAVなんか絶対させないよ」
「いいよな。綾女と一緒なら子育てとかきっと楽しいよ」
「だよね、そんな日常がずっと続けば良かった」
なんで過去形なんだよ、綾女との当たり前の日常が壊れていくのを感じた。
視線の先に光るものがあった。綾女は俺から視線を外し、後ろを向く。
「わたし、弱いんだ。顔を見たら決心が揺らぐから、こっちを向いて話すね。わたしね」
綾女は一旦ここで話しを切った。
「雄一に助けられて好きになった。でもさ、本当に好きな人がいるのなら、応援したい。彼女じゃなくてもいい」
「俺は綾女のこと……」
「だめ、それ聞いたら心が揺らいでしまう。今のわたしは、愛される資格なんてなかったんだ。わかってた、いつかこういう日が来ることは……」
綾女が何を言おうとしてるのか気づいてしまった。俺はそれを否定しようと話しだす。
「話さないで! 聞いて欲しい」
綾女は後ろを向いているので、どんな表情をしているのか分からない。でも、小刻みに肩が震えていた。
「あなたに好きと言ってもらう資格なんてなかったんだ。なのに好きと言ってもらえた。抱きついたら、ぎゅっと力を入れて抱いてくれた」
言葉が震えていた。嗚咽が言葉に混じる。綾女は今、全てを終わらせようとしていた。
「待ってくれ。俺の話を聞いてくれ」
綾女はゆっくりと首を振る。
「雄一、優しいからわたしが望んだことを言ってくれると思う。本気にしちゃうよ」
俺は綾女が好きだ、言おうとしてるのに何故か言葉に詰まった。このままじゃ、何もかも終わってしまう。
「雄一、楽しかったよ、雪奈さんとお幸せにね。さよなら!! これまでのこと忘れないから!!」
それだけ言うと、こちらを振り向く。瞳から雫がとめどなく溢れ、顔は濡れていた。
「今までありがとう」
自宅の方に向かって走る。嫌だ、絶対失いたくない。自然と足が動いた。俺は後から追う。
「ついて来ないで」
「嫌だ!」
家に帰してしまえば終わる。必死になって追いかけた。綾女は速いが、俺も必死だ。絶対に帰しちゃダメだ。
「ついてきちゃ駄目!」
「絶対、帰さない」
「そこの人止まりなさい!」
「だから、ついてきちゃダメだって」
「綾女に追いついて絶対抱いてやる。もう離さない」
「無視するのなら、逮捕しますよ」
俺たちの話に誰かが割り込んでるのに気がついた。後ろを振り返ると警官が凄い形相で追いかけて来た。
「うそ!」
「やべえ」
客観的に見ればパジャマ同然の格好で逃げる女の子と追いかける変質者だ。逃げるわけにいかないので、立ち止まると手錠をかけられた。生まれて初めての経験だった。
「雄一、ごめん」
涙でいっぱいの綾女がいた。
――――――
淡い想いに応えてくれた雪奈。
好きだから告白した綾女。
主人公はどちらかなんて選べません。
取捨択一できるのなら、苦労しないわけですね。それにしても、警察に捕まるなんて予想外。さすがに勾留はないですよね。
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