第39話 突然の波乱、そして

「お兄ちゃん、ふたりきりで出かけようね」


 愛の部屋をノックすると嬉しそうに俺に近づいて来る。今日は赤を基調としたワンピースだった。スカート丈もかなり短い。俺は思わず太ももを見て唾を飲み込んだ。


「ふたりきりじゃなく、綾女と一緒に行こうよ」


「なに、それ?」


 明らかに敵意剥き出しの視線で俺を睨んでくる。瞳からは絶対に、ふたりで行くのだと言う強い意志が感じられた。


「あんな、いやらしい女にまだ固執するの」

「ちょっと待ってくれ。それがそうじゃないんだ。この映像を見てくれないか」


 俺は慌てて、ポケットからスマホを取り出してYouTubeにアクセスした。昨日、撮影されたライブを再生する。映像が流れ出した。アクセス数は昨日だけで、10万再生を超えていた。凄いな、と数字を見ただけで感動させられる。

 

「これは、なに?」


「昨日、日比谷大音楽堂で演奏された映像なんだ」


「ボーカルは、綾女……さん?」


「そうだよ。ちなみに川上はもと紅の伝説のギターリスト」


「それで見たことあったんだ。何か引っ掛かってたんだよね」


「凄くない? 伝説のギタリストとベーシスト、そして綾女のボーカル」


 目の前の愛は大きな瞳を見開いて、ライブ映像をじっと見つめた。食い入るように音に全神経を集中させていた。ライブの音と息づかいの音だけが、部屋に広がる。俺は唾を飲み込む。


 目の前の愛は数分の間、完全に停止しているように動かなかった。時が止まったかのように。瞳が瞬きをするため、生きてる事はわかる。動画にただならぬものを感じているようだった。暫くして愛の止まっていた時間は動き出す。興奮したように喋りかけた。


「凄いよ、わたし音楽はお兄ちゃんより詳しいよね。ギターだって一時期少し触ってたでしょ」


 中学の一時期熱病のように友達と演奏してたっけ。自分には才能がないと辞めてしまったけど。


「本物だよ。上手いなんてもんじゃない。今、テレビに出てても、いや違う。出てないのがおかしいんだよ」


「コメント欄もそんな内容が溢れてるよ」


「だよね、この演奏はオリジナルを超えてる。歌も凄く上手い。カラオケでよく歌うけど、そんなレベルじゃない。きっと綾女さんが歌ったら、誰も次に入れられなくなる。これはプロの歌声だよ」


「そうだろ、だからさ綾女と仲直りしろよ」


「伝説のボーカリストになる人とお近づきになれるのか。わたし幸せだね。嬉しいはずだよ、普通なら……ね」


「だろ、綾女は凄いよ。俺も少しは上手いとは知っていたけどな。こんなに上手いとは思わなかったよ」


 俺は綾女を誉められて嬉しくなった。これで全てうまく行くと思った。目の前の愛が最後に言った言葉に気づがないほどに。目の前の愛は小刻みに震えていた。


「どうした愛、嬉しく……ないのか?」


「嬉しいよ、お姉ちゃんが人気者で嬉しくないわけないよ」


「でもよ、それにしては愛、おまえ……」


「嬉しいって言ってるでしょ、それ以外に何があるのよ」


 何かがおかしかった。嬉しいのに明らかに震えていた。何かを我慢しているようだった。


「愛、おまえ……泣いて」


「見ないで!」


「なんで?」


 突然、崩れた。今まで隠してきた本音が溢れ出す。


「一緒に行けない。お姉ちゃんとも仲良くできない。お兄ちゃんのこと大好きだもん。これじゃ勝てないよ。わたし、完全にピエロだよ。川上さん、分かってたよね、なんで……」


 俺に抱きつく。手に力が入った。


「酷いよ、川上さん。うわぁーっ」


 目の前で俺の方に崩れる。

 涙が地面に落ちて来た。抱きついた手に力がこもった。俺に目を合わせる。


「実は期待してた。お姉ちゃんがAV女優と知って、お兄ちゃん振り向かせられると思った。なのにね、これは反則だよ。勝てるわけ、……ないじゃん」


 目が真っ赤になり涙腺から溢れ出す、なんどもなんども両手で拭った。拭っても、嗚咽は止まらない。俺は手を伸ばして助けようと思った。


「触らないでっ!」


「愛、おまえ……」


「わたしの彼氏じゃないなら、優しくしないでよ」


「冷静に話そう、な……」


「出て行って。大丈夫だよ。綾女は凄い娘だよ。わたしに構わずに会いに行っていいよ! 少しでも好きでいてくれるなら、ここにいないで、お願い!」


「愛、おまえ。そんなに俺のこと……」


「うるさい、出て行け」


 俺は愛の部屋から追い出された。後ろから、愛の泣き声が響いた。強い苦しみを吐き出すように何度も何度も嗚咽を繰り返していた。


「川上さん、あんまりだよ、これはさ」


 外に出ると綾女が心配そうに俺を見た。


「愛ちゃんの声だよね……、酷いよね、ごめんね」


「綾女が謝ることじゃない。実の兄妹は、超えちゃいけないんだ」


「無責任に焚きつけた川上のせいね」


「無責任かは分からないけども、そうかもな」


「わたし、川上に謝らせるよ」


「それこそ残酷だよ。謝られてもきっと悔しさが大きくなるだけだよ」


 綾女は少し考えているようだった。青のワンピースが風に揺れていた。スカート丈が少し長い大人しい服だった。きっと愛に気を使っていたのだろう。


「かもね」


「笑えるようになるまで、愛をひとりにさせてあげたい。きっと時間が解決してくれるよ。それしか解決する方法はないんだよ」


「だよねえ。それにしても罪作りな男だよね」


「川上は俺らのことを考えて最善の行動をした。それは愛のためには最悪の行動だったんだよ。だから、これは誰も悪くはないよ」


「うーん、愛ちゃんのこと考えると辛いよ」


「きっと分かりあえるよ、それまで待とう」


「じゃあ、今日はどうしよか。デートやめとく?」


「いや、ふたりでデートしよう。きっと中途半端な方が苦しむよ。だからさ」


「分かった、雄一がデートしてくれるなら、わたしはどこでもついていくよ。ホテルでも、ね」


 綾女は嬉しそうにウインクしてくる。


「だから、なんでホテル限定なんだよー」


「だってさ、考えてみてよ。恋愛関係にあるかないかの違いってさ」


「とりあえず、今は嫌だ」


「えー、ってこれ逆だよね」


「俺は草食男子だからさ」


「すけべなところは、肉食なんだけどねえ」


「うるさいなあ、いいだろ」


「うん、わたしはね。ガツガツ行かない雄一が大好きなんだけどね」


 嬉しそうに俺を見ていた。完全に綾女に揶揶揄われていた。目の前の表情が何も言わなくても、そうハッキリと語っているのが分かった。


 久しぶりの綾女とのデートを楽しもうと思った。それが少しでも愛への優しさになるとも。デート中、時間だけは気をつけないといけない。川上の計画を綾女は知らない。知られちゃいけないのだ。


 待ち合わせは余裕を持だないといけない。今回は愛もいるから理由などは、何とでもなる。時間だけは気をつけないと、心の中で反芻しながら綾女と歩く。目的地は家からそんなに遠くはないところにあった。


―――――


次は綾女ちゃんとのデートです。

愛ちゃんは辛いよね、でも仕方がないと思うんだよね。


応援今後もよろしくお願いします。

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