第37話 日比谷公園

 日比谷公園に向かって歩いていた。集合場所は中央の音楽堂だった。集まって目的の場所に向かうのだろうか。詳しくは聞いていないが、公園で行えるわけがない。恐らく近くの雑居ビルに移動するのだろう。


 気が乗らない。好きな女が目の前で抱かれるのだ。考えただけで鬱になりそうだ。俺は何もできなかったことを悔やむ。せめて、綾女を抱いておけば良かった。抱いたところで、何も解決しないが、強い絆により目の前で抱かれていても、少しは我慢できるような気がした。


 愛のことで、抱けなかったことを後悔していた。格好をつけていただけだ。本当はひとつになりたいと、こんなにも強く思っていたのか。ここに来て気づかされる。川上も玲奈も冷たいと思う。なぜ、俺の気持ちを分かってくれないのか。


 日比谷公園大音楽堂が正式名称らしかった。本日はライブが行われるらしく、多くの観客が音楽堂に集まっていた。これだけ人がいれば、綾女の姿を探すだけでも大変だ。待ち合わせ場所がアバウトすぎるのだ。


 目の前で演奏が始まった。間奏曲が流れ出す。女性ボーカルか。透き通るような歌声だった。上原れなのカバーか。


「孤独な〜、ふりをしてる〜の」

「なぜだろう〜気になっていた」


 この曲はアニメのテーマソングだ。切ない恋の物語だった。そして、歌声も俺は知っていた。ほんの数日前も聞いた。イメージDVDで何度も聞いた鈴の音のような歌声だった。間違えるわけがない。俺は中央で歌っている少女を見た。観客が多く簡単に近くには行けない。人混みを掻き分けて前に進む。


「届かな〜い、恋を〜していても〜」


 目の前、10メートルまで近づいた。


「ぼやけた答えが〜、見え始めるまでは〜、今もこの恋は〜、動き出せない」


「綾女、心配させんなよな。撮影会じゃなかったのかよ」


 俺は目の前の少女を見た。涙が溢れてくる。素晴らしい歌声だった。聞いた瞬間、目の前の暗闇が晴れ渡った。撮影会だと思ってた。苦しかった。辛かった。ライブなら先に言って欲しかった。もっとこんな格好じゃなくて、ファンだと誰にでもわかる姿で応援したかった。


「ほんと、水くさいよ。みんなさ」


 いつの間にか横に玲奈が立っていた。一緒にライブを見ていた。隣の玲奈を見ると俺と同じように泣いていた。


「新生綾女の誕生だよ、これから大きく変わるんだよ。覚悟しとけよ、彼氏さん」


 思い切り俺の肩を叩かれる。


「痛いって、何で言ってくれなかったんだよ。撮影会なんて俺をみんなして苦しめて」


「綾女がね。真っ先に聞いて欲しいけど、今は秘密にしとくって言ってたのよ」


 なんとなく分かる気がした。目の前の綾女は輝いていた。今までとは明らかに違っていた。アイドルからバンドボーカルへ。川上がギター、圭一はベースだった。ドラムは俺の知らない人だった。みんなプロだった。うまいなんてもんじゃない。テレビで流れてるアーティストが陳腐に感じるほど完璧だった。


「凄いでしょ。伝説のバンドの復活よ」

「川上さんって、もしかしてあの?」


 俺は川上という名前を聞いて思い出した。川上啓介、霞圭一といえば人気バンド、紅のメインギターリストとベーシストだ。日本人ならこの2人を知らない人などいるわけがない。


 突然の解散宣言から一年。まさか、こんな形で再会するとは思わなかった。


「あの二人はね。綾女の歌声に惚れ込んでたんだ。AV落ちしてどん底だった綾女をボーカルに誘ったのも彼らよ。彼らにとっては肩書きなんてどうでも良かったのね。ただ、実力だけだった」


 周りにいた人たちが口々に言い合う声が聞こえた。


「すげえよ、伝説のバンド復活だよ」

「あのボーカル、初めて見たけど無茶苦茶可愛いじゃん」

「顔より歌声がすげえよ。うまい、さすが2人が連れてきただけはあるわ」


 周りに集まっていた人たちが口々に言う。みんな目を輝かせて、目の前の光景を興奮して見守っていた。


「玲奈さん、凄いじゃないですか。これヒット間違いないですよ」


「でしょ、わかった? あのふたりが人気前提で話す理由が……」


「はい、分かりました。そのボーカルの女の子と付き合うということがどんなに大変かと言うことも……」


 目の前では、歌が続いていた。今度の歌はオリジナルソングだった。綾女の今を表しているような曲だった。素晴らしかった。涙が溢れて止まらなかった。苦しさから解放された涙だった。嬉しかった。人のことでこんなに幸せな気持ちになるなんて、初めて知った。


「しっかりしなさいよ、彼氏さん!」


「俺、綾女の彼氏でいいんですか」


「当たり前でしょ! 川上だって内心言わないけど、あんたと綾女のことを応援してるんだよ。どんなことがこれからあるか、わからない。でもさ、綾女にとってあなたが唯一、代わりがいない恋人なんだよ、だからね」


 玲奈は、言葉を切って、俺を目の前で見てくる。ニッコリと笑った。


「しっかりしなさいよ、それとさ」


 ファンの声が広がる。綾女コールが続いていた。みんな目の前の綾女に興奮していた。


「これから忙しくなるわよ。あなたにも手伝ってもらうからね。頑張りなさいよ、『伝説のボーカリスト綾女の彼氏さん』」


 綾女、お前マジですごいよ。俺は目の前で歌っている綾女を前よりも、もっと大好きになった。

 

――――


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