第36話 雄一の悩み

 打ち合わせから帰った俺はベッドに倒れ込んだ。眠ろうとするが、気持ちが昂って眠れない。


 川上の言葉が頭に浮かぶ。拳銃で狙われたら避けろ。拳銃を突きつけられて、身体が動くとは思えなかった。


 ヤクザ相手に喧嘩をする。その現実に押しつぶされそうになる。興奮していたから意識してなかったが、汗を大量にかいていた。風呂に入ろうと手をベッドにつく。手に力が入らずベッドに倒れ込んだ。両手が震えていた。死ぬかもしれない。その現実が今になって、俺を苦しめていた。


 綾女を助けたいと口では言っても、結局は自分が一番なのだ。綾女を置いて逃げてしまいそうで怖かった。死ぬことがあっても、綾女を見捨てたりはしない。目を瞑り何度も反芻した。


 時間は23時を回っていたが、綾女の声が聞きたくて、電話をした。金曜日に仕事の打ち合わせがある綾女に電話をするのは、常識外れな行動だと思う。それでも、苦しみを癒やしてくれるのは綾女の声しかないと思った。数回の呼び出し音の後、綾女の声がした。


「綾女ちょっと話せないかな。声聞いたら、切るからさ」

 

 俺は綾女の優しさにすがろうとした。声を聞いたら、少しは楽になるはずだ。話の内容によっては、楽しい気分に浸れるかもしれない。


「大丈夫だよ、わたしは雄一となら、何時になってもいい。雄一が今思ってること話して」


「綾女、ごめんな。さっきから怖くて震えが止まらないんだ。綾女を置いて逃げてしまいそうで、それもたまらなく怖い」


「雄一、ごめん、あなたを巻き込んじゃって、後悔してる。震えるのは当たり前だよ、雄一は普通の男の子だから。それとね、もしもの時はわたしを置いて逃げて。雄一が置いて逃げても絶対恨まないよ。むしろ、雄一だけでも逃げてくれたら、わたし幸せだよ」


「逃げたくないんだ。綾女の力になりたい。でも、震えが止まらないんだよ」


「大丈夫だよ、ゆっくりと息を吸って吐いて、落ち着いてきたかな。あぁ、雄一が一人暮らしなら、私が行って慰めるのに」


 俺も今は綾女とひとつになりたいと強く思った。怖くて仕方がなかった。


 綾女とは出会いから今までの話や、その時どう思っていたのかを詳しく説明してくれた。最初出会った時から好きだったと聞いて驚いた。


「気づかなかったでしょ。わたしはずっと片想いだったから、初めて会った時本当に嬉しかったんだ。裕二くんにもらったお金はね。実は置いてあるんだよ。勿体無くて使えないから。憧れの雄一に会わせてくれたのに、お金もらうわけには行かないと、何度も思った。今はそのお金で雄一の服を買おうと思ってるんだよ。雄一をもっとイケメンにする計画だから、気にせずにもらってくれていいんだからね」


 2時間くらい取り止めもない話をして、電話を切った。本当はお互いもっと話したかったけれど、明日のことを考えたら限界だと俺が伝えた。綾女の話を聞いて、少し救われた。それと共に明後日の撮影が気になり出す。

 

 綾女は本当に男優とエ○チをするのだろうか。俺の前で裸になり、男のモノを咥えたり、入れたりするのだろうか。光景を思い浮かべると、強い嫉妬と奪われていく姿に興奮するNTR的な感情が渦巻いていくのを感じた。


 ネットを調べて分かったのだが、寝取られて興奮するのは生存本能らしい。奪われる恐怖を麻痺させるため興奮する。彼女が奪われると言う耐え難い苦しみを緩和させるためだ。


 この興奮がそれならば俺は綾女が目の前で犯される苦しみを中和させようとしていたのか。利己的で綾女の苦しみを理解しようとしない興奮だと感じた。本番で変な興奮をしないよう。そして、絶望しないように慣らす必要がある、と感じた。



―――


 昨日は綾女と遅くまで話してしまったが、夜3時には寝ることができた。

 睡眠が少なく二度寝をしたため、今の時間は14時。最後の授業は出れそうだが、大学を休むことにした。綾女のことが気になって仕方がなかった。今頃、綾女は明日の打ち合わせをしているのだろう。


 抱かれ方とかレクチャーを受けてるのかもしれない。予行演習として実際、男優のモノを挿入している可能性も否定できなかった。いかん、悪い方にばかり考えてしまう。考えたところで避けられないにも関わらず。


 いっそうのこと俺を選ぶのか仕事を選ぶのかどっちかにしてくれと叫びたかった。それでは綾女の将来を壊してしまう。頭の中では綾女を自分だけのものにしたい気持ちと、綾女の意思を尊重したい気持ちが同時に湧きあがっては消えていく。足を引っ張ることくらいしかできなくて歯痒さを覚えた。時間の経過に耐えられなくなった俺は、裕二を呼んだ。何かしていないと変な想像ばかりしてしまう。


「そんなに嫌なら見なきゃいいだろ」


「でも、明日はこれよりもよっぽど……」


「行かなきゃいいじゃねえかよ」


 DVDをつけては消し、消しては初めからを繰り返す俺に剛を煮やした裕二が文句を言ってくる。


「そう言うわけには行くかよ、綾女と約束したんだから。それにいかない方が苦しい。俺の知らないところで誰かとエ○チをしている姿を想像すると耐えらない」


「なら、覚悟を決めて見るしかないだろう。明日、綾女ちゃんの行為を見て逃げ出したりしたら、その方が恥ずかしいだろ」


「分かってるよ、分かってるけども、苦しいんだよ。ちょっと休ませてくれよ」


「いったい、いつまで休めば気がすむんだよ。もうすぐ愛ちゃんも帰ってくるぜ。こんなDVD見てたら、何を言われるか分かったもんじゃ」


「いや、愛には、もうバレたんだ」


「はあ? そんな話聞いてないぞ」


「聖人が、俺の家の前にDVD置いていきやがったから……」


「あいつ、愛ちゃんにまで接近してたのか恐ろしい男だな」


「愛は家から一歩も出なかったけどな」


「で、どうなってるのよ。完全に口聞いてくれないとかか?」


「それなら、いいんだけどさ。愛にライバル宣言された」


「意味がわからないんだけど。ライバル宣言ってどう言うことなんだよ」


「綾女と別れさせるために、俺と付き合おうとしてるらしい」


「でもさ、お前と愛ちゃんって実の兄妹だよな」


「だからおかしいだろ。実の妹なのにありえないよな」


「俺、帰るわ」


「なんでだよ、ここまで聞いてなぜ帰ろうとするんだよ」


「そら帰るだろ。俺なんて誰も付き合ったことないのに、お前ばかりよ、なんでモテるんだよ。里帆に綾女に愛ちゃんまでよ。俺なんかずっとフリーだぜ」


 裕二は怒りながら持ってきたDVDを無造作にカバンに詰めこむ。急ぎ部屋から出て行こうとした。


「ちょっと待てよ、なあ、考え直せって」


「お前に俺の気持ちがわかるかよ」


 裕二の気持ちは痛いほど分かる。裕二の方が俺よりマメだ。女の子にだって、ずっと優しい。俺は決してマメでも優しくもなかった。


 里帆は裕二がいなかったから、俺が助けたのだ。惚れられた理由が理由だから、本来は謝罪すべきだったのだろう。綾女は俺の境遇への同情もあったのだろう。そこから恋愛感情が芽生えたのだ。愛は綾女への嫉妬だろう。考えれてみれば里帆が全ての発端になっていた。里帆を裕二が助けていたら全てが変わっていたのだ。


 必ずしもモテまくっていたわけではないことは、今までの流れから見ると間違いなかった。


「なあ、頼むよ、しばらくいてくれよ」


「じゃあ、3人誰でもいいからさ、俺と付き合わせてくれよ」


「そんなこと言ったって、俺だってこの状況を自由にできないんだよ」


「仕方がねえな。俺の方が泣きたくなるよ。泣くなよ、情けねえな。じゃあさ綾女ちゃんに言えよ。今日男にして欲しいってさ。状況が状況だからよ、きっとしてくれるよ」


「いや、でも家には愛が……」


「別に家である必要ねえだろ」


「今どこにいるのかわかんねえよ」


「LINEでもいいじゃん」


 俺は裕二の言うようにLINEに思いの丈を送った。


(綾女、忙しい時にごめん、明日のこと考えると苦しい。今日、綾女とひとつになりたい、会えないか?)


(ちょ、ちょちょちょっと、それここで言わないでよーっ。言うなら個人ラインで……)


(雄一、グループラインで凄いカミングアウトしてくるじゃん。びっくりしたよ)


(お前、ふざけんなよ。今日綾女は忙しいんだ。クソみたいなライン送ってくるんだったら、ひとりで泣いとけ)


(川上! やめてよ。雄一が折角わたしのこと愛してくれる決心をしてくれたのに。ここからは個人ラインで話そう)


(話させねえよ。今日は綾女は忙しいから行けねえんだよ。とっとと寝て、明日日比谷公園に来い)


(あーぁ、川上怒らせちゃった。まあ、そう言うわけだから綾女は行かないから。自分で立ち直ってねえ)


(ちょっとー川上さん!)


 俺は送る場所を間違えていたらしい。グループラインにすごいカミングアウトを書き込んでしまった。


「お前馬鹿かよ。完全に会えなくなるパターンじゃねえかよ。電話しろ、電話な」


 俺は慌て、電話をした。数回のコールの後、川上が出た。


「どーせお前のことだから、かけてくると思った。今日、綾女は忙しいんだ。かけてくんな」


 後ろから綾女の声が聞こえてくる。


「川上さん、ちょっと私のスマホ返してよーっ」


 玲奈の笑い声も聞こえてくる。


「いいっていいって、一晩悩ませたらいいんだって。たまには平和ボケしてる雄一にも、悩ませるべきだって」


 その声の後、スマホは切られてしまい、何度鳴らしても出ることはなかった。きっと電源を落とされてしまったのだろう。


「自分が蒔いた種とは言え、みんな冷たいよな。これだけ苦しんでるなら、会わせてやればいいのにな」


 綾女とひとつになれなかった俺は、裕二を誘って居酒屋で飲みまくった。苦しさを緩和しようと何杯も飲んで帰った時には泥酔しきっていた。


 飲んでる時、知らない番号の電話から何度かかかっていた。誰かわからなかったので出なかったら、いつのまにか電話が切れていた。


 千鳥足で家に帰り、玄関で倒れる。愛の声が聞こえた。


「お兄ちゃん、なんでこんなに飲んでんのよ。ほら、部屋まで行ってよ。酒臭いなあ、こんなとこで寝たら風邪ひいちゃうって」


 俺はなんとか階段を上がり自分の部屋に入って倒れ込んだ。結局、いくら飲んでも苦しさから解放されることはなかった。それにしてもあの電話はなんだったのだろう。薄れていく記憶の中に、愛の言葉が届く。


「知らない番号から掛かってたけど、気になったら出た。綾女さんだった。お兄ちゃんの事聞かれたから、留守と言ったらそうですかと切れた。綾女さんと何かあったの?」


 しまった、もしかしたら公衆電話からかけてきたのか。着歴を見てかけ直したが、何度かけても綾女は出ることはなかった。


 そのうちに急速に眠気が襲ってきて、やがて意識が途切れた。



遅くなりすみません。

次回は撮影会だと思います。


よろしくお願いします。

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