第31話 事務所

「綾女、雄一くん連れてきちゃったの?」


「わたしの彼氏だからいいよね」


「まあ、いいとは思うけどね。あいつらがどう言うだろうね」


 玲奈が俺をじっと見てくる。俺に全てを話すのは、早いのではないか、と言ってるように見えた。


「俺、お邪魔だったかな。帰るよ」


「ちょっと待って。雄一にはいて欲しい。雄一はわたしの彼氏なんだから気にしないでいいいんだよ」


「綾女ぇ、そんなに雄一のこと好き?」


「大好き、どんなことがあっても離さないよ」


「惚気ているねえ。わたしはいいけどね。雄一くんいい子だし、でもさ、川上とかどうなんだろうね」


 綾女は俺の方を向いて、見つめてくる。瞳が揺れていた。腕を組んで胸を押し付けてくる。いや、凄く柔らかいんですけど。


「大丈夫だよ、絶対に守る」


 自然、綾女の匂いが漂ってきた。いい匂いだよな、と思う。接近していると香水の匂いなのか柑橘系の香りが鼻に入ってくる。


「綾女の匂い、いいよな」


「わたしのシャンプーの香りなのかな? あまり意識してないけども、あらためて言われるとちょっと照れるね」


 照れて俯いた。可愛いよな、あらためて近くで見て思う。切れ長の大きな二重の瞳、整った鼻と口。肩までのショートヘアの髪型が似合っている。至近距離で見ていると意識してしまう。艶っぽい唇。キスしてしまいそうな距離に唇があった。こんな人前でキスできるわけがないけれども、柔らかかったな、と思う。


 川上が事務所に入ってきた。颯爽と言う言葉がこれだけ似合う男はいるのだろうか。


「なぜ、雄一がいるんだよ」


 事務所に入って、俺を見て嫌そうな顔をする。そう言えば前回の自己紹介の時からまともに彼とは話していなかった。


「だって、わたしの彼氏だもん」


「こいつは部外者だろ」


「違うよ、彼氏が部外者とかおかしいでしょう」


 ふたりは俺のことで争っていた。川上は俺のことが嫌いなのだろうか。玲奈が間に挟まり右往左往している。


「気にしないでね。いつもこの2人こんなんだから。仲が悪いわけじゃないんだよ。ただ、雄一くんのことは、お互いに意見が合わないみたいなのね」


「この件に関しては、わたしのプライベートだから話し合う必要なんてないんですけども」


「だから、前から言ってるだろう。こいつには無理だって!」


「あの川上さん、僕が彼氏にふさわしくないと言うことですか?」


「あぁ、違うんだよ。お前が普通の大学生で綾女もそうなら俺は文句なんて言わない。でもよ、違うじゃん」


 川上は机に手を置いた。目の前の綾女を睨みつけている。綾女も負けじと睨みつけた。


「わたしが好きな男と付き合ったらダメなの?」


「綾女、お前分かって言ってるだろう」


「だから、何? そんなあるかないか分からない不確定な未来の話をされて、雄一くんと別れろとかおかしいからね」


「順序立てて言うぞ。まず綾女、お前アイドルに戻りたいんだよな」


「そりゃそうだよ。そのために一度バラバラになったこのメンバー集めたんじゃない」


「じゃあ、なぜ別れることが前提になりそうな男と恋愛する?」


「それはわからないよ」


「わかるだろ、いやむしろわかれよ」


「そんなことわからないじゃない。グラドルだって付き合ったりするよね」


「お前さあ、顔割れるんだよ。今は隠してるかもしれないけどさ。そうなったら、付き合ってる男隠さないとダメだろ」


「明らかにしちゃダメなの?」


「お前が人気でたら、当然にマスコミが彼の元に行くぞ。で、あることないこと書かれるんだぜ」


 川上は頭を抱えていた。アイドルになる、とはじめて聞いた。アダルト女優からアイドルに返り咲いたケースは多くある。ただ、顔を隠すことはできない。その時に起こることを予想して、悩んでいるんだ。


 元アダルト女優は隠すことはできない。明らかにして、這い上がっていくのだ。普通の女優よりも男性関係に話がいくことが予想された。


 ゴシップが好きそうな三流記事は、肉体関係を書くだろう。そこに俺の話が載ることは容易に予想できた。


「ねえ、確認のために聞くけども、愛ちゃんに何か言った?」


「言ったよ。彼女は知りたがったからな。そうだ、雄一。お前、愛ちゃんはどうなんだ」


「どうって、実の妹ですが」


「そうじゃない、そうじゃないんだな。女性としてどう思う?」


「ちょっと、何言ってるのか分かってるの? 実の妹とは結婚できないのに、あなた何を考えてるの?」


 綾女が焦った表情で言う。愛は俺が好きだ。間違いようのない事実だ。川上が今のようなことを愛に言ったのであれば、川上は俺と愛をくっつけようとしてるのだろうか。実の妹なのに、何考えてるんだよ。俺は川上という人間がよく分からない。ただ、一つ言えることは……。


「俺は他の誰でもなく綾女のことが好きなんです。今は認めてくれないかもしれない。でも、この気持ちは本物です」


「雄一くん、ありがとう」


 目の前の綾女は目に手を当てていた。瞳が少し潤んでいる。


「じゃあ、とりあえず土曜日だな。逃げるんじゃないぞ」


 川上はそれだけ言うと事務所から出ていった。


「ごめんね、雄一くん。普通の彼女ならこんなこと考えなくていいのにね」


 俺は目の前の綾女の頬に手を当てる。絶対手放したりはしない。


「何があっても逃げないから」


「うん、ありがとう」


 俺はじっと綾女を見つめる。綾女の潤んだ瞳も俺をじっと見つめていた。


 俺は綾女の唇に自分の唇を重ね、ようと唇を近づけた。


「取込み中悪いんですけども、コーヒーここに置いときますよ」


「あっ……」


 玲奈のことを忘れていた。俺は頬が紅潮するのを感じた。綾女も同じ気持ちだったのだろう、顔を赤らめて俯いていた。


「玲奈ちゃん、今日はその、帰ってもいいよ」


「綾女、これから打ち合わせあるでしょ。何考えてるのよ」


 綾女はもじもじしながら俯いて、俺の手をにぎにぎしていた。


「さぁ、部外者は帰って帰って」


「雄一は……」


「ダメダメ、この件は言えないでしょ」  


 だめー、と何度か玲奈に訴えかけるが、玲奈は聞く耳を持たなかった。何度かそのやり取りを続けた後、綾女は残念そうに呟いた。


「だよねえ、仕方ないかぁ、どーせすぐにわかるしね。今日はごめん。明日はいつもより早く迎えにいくからね」


 綾女の言葉を聞いて俺は焦る。これ以上早く来られたら寝る時間がやばい。慌てて訂正した。


「いや、そこはいつもと一緒でいいから」


「ちぇっ」


 綾女は少し残念そうに口を窄めていた。秘密の話し合いが何かわからないが、きっと土曜日の撮影のことだろう。今から知りたいとも思わなかった。俺は事務所から出て家に向かった。


「まぢかー、もう夏になるんだぞ」


 雪が降っていた。季節外れのスノーホワイトな色の雪だった。


――――


色々とありますね。


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