第4話 黒瀬式交渉術

「で、誰が最初に打つよ?」


 灰人は、一塁側にあるベンチの付近に集まった木戸以外の部員の顔をぐるりと眺めた。

 同時に2本の手が挙がった。若狭と国本。ある程度は想像していたが、やはりこの2人だ。


「は? 最初は言い出しっぺの俺に決まってんだろうが」


「あ? 1年生の中であいつの球が打てそうなのなんて、黒瀬以外に俺しかいねぇだろうが」


「うぬぼれんじゃねぇよ。県大会ベスト8だか何だか知らないけどよ、最近硬球に触り始めたばっかのヒヨっ子だろうが」


「そんなもん関係ねえだろうが。バッティングやってる暇があったら一球でも生きた打球を受けやがれ。お前が俺の代わりにショートに入ると思うと、安心してピッチャーの練習ができねえんだよ」


 2人して額に青筋を立て、言い合いを始めてしまった。これもある程度想定通り。元から負けず嫌いで血の気の多い2人は、同じポジションを守ることがあるのも相まって、普段から細かい諍いが絶えない。

 まあ、本気で殴り合いの喧嘩を始めるわけでもない。可愛いものだ。

 数回言葉の応酬を交わした後、結局向かい合って握り拳を突き出した。じゃんけんで雌雄を決することにしたらしい。


「「最初はグー、じゃんけん、ポン!」」


「よっしゃ!」


 国本が天高くチョキを突き出すのと、木戸がベンチ前に戻ってきたのはほぼ同時だった。


「許可取れたよ。葉山先生、最初は認めたくなさそうだったけど、中野くんの担当教員に、生徒のチャレンジを邪魔しないで欲しいって言われちゃって、仕方なくって感じみたい」


 木戸は僅かに弾んだ息を整えながら言った。それを合図に、バットを選定している国本を置いて、他の部員たちが守備につく。


「あ、ちょっと待て」


 広馬はマウンドに向かう灰人を呼び止めた。


「そういえば、変化球はあるか? カーブとか、スライダーとか」


「カーブ? スライダー?」


 知らない人の名前を言われたときのような反応。なるほど、変化球はなさそうだ。


「オッケー、分かった」


 それにしても、あれだけの球が投げられるのに変化球は知らないのか。どんな野球人生を歩めば、どんな思考回路をしていれば、こんな歪な投手ができあがるのだろうか。

 まあ、あれだけのストレートをコントロールできるなら、変化球がなくてもやりようはある。


「ああ、そうそう黒瀬くん」


 ベンチ脇に置いてあったグローブを掴み、センターに向かいかけた木戸が駆け寄ってきた。


「葉山先生から伝言。絶対に、ぜっったいに怪我させるなってさ」


「まあ、そりゃ当然だわな」 


 葉山先生は気弱な新任の男性教師で、広馬のクラスの担任をやっている。赴任2ヵ月で問題を起こすのは嫌だろう。


「聞いてたか中野。おい、中野?」


 振り返ると、先程までそこにいたはずの灰人が右打席に入っている国本の前に立っていた。


「はあ? お前何言ってるんだよ」


 国本が素振りの手を止め、困惑の表情を浮かべる。


「おい、どうしたんだよ?」


 広馬が駆け寄ると、国本は灰人を指差した。


「こいつが、急にバッターを代われって言うんだよ」


 当の灰人は指を差されても涼しい顔をしている。広馬は灰人を強引に振り向かせ、小声で話しかけた。


「おい、なんでそんなこと言うんだよ」


「だって、彼は右打者だよ。僕は左打者と勝負したいんだ」


 広馬は思わず言葉を失った。

 確かに、灰人であれば左打者とは有利に勝負できるだろう。背中側から切りこんでくるボールに対応するのは至難の業だ。実際にプロ野球の舞台でも左サイドスローの投手が左キラーとしてワンポイント起用される場面は多々ある。

 だが、変化球を知らない灰人がそんな知識を持っているとは思えない。

 そもそも、投手の方から右打席に入るのが気に入らないから代われ、などと指示できるわけがない。


「そんなわがまま聞けるわけないだろう。考え直せ」


「無理だよ」


「なんでそんなに頑ななんだ」


「どうしても必要なことなんだ。とにかく、バッターを左打者に代えてくれないかな?」


 だったら帰れ、と言えたらどれだけ楽だっただろうか。

 しかし、先程の球を見てしまった以上、灰人には何としてでも部に入ってもらう必要がある。


「やってみよう」


 絞り出すように言うと、灰人の頬が綻んだ。


「ありがとう! よろしくねー」


 あいつ、やっぱりおかしい奴だ。意気揚々とマウンドに向かって歩いていく灰人の背中を呆れながら見送った。


 さて、どうやって交渉するべきか、と思案しながら国本が待つホームに戻る。


「ちゃんと説得できたか?」


「あー、申し訳ないんだが。バッターを代わってくれないか?」


「はあ? なんでこっちが折れなきゃいけないんだよ」


 一応自分たちがホストで、灰人は客だから。代わらなきゃ投げてくれないから。そんな理由では、国本は納得しないだろう。

 こういうタイプを相手にするなら、下手に出るのが得策だ。


「さっきのボール見ただろ?」


「ああ。えぐい角度のついたストレートだろ」


「あいつさ、あのボールを右打者に投げるのが怖いらしくて」


「怖い?」


「そうそう」


 広馬は大きく頷き、申し訳なさそうに目を伏せた。


「さっきはたまたまコントロールできてたけど、少しずれたらどうなるか、分かるだろ?」


 国本が小さく息を呑んだ。左投手のクロスファイヤーは右打者の内角を抉る。少しでもずれれば威力満点のストレートが身体にズドンだ。リトルリーグ出身の国本なら、硬式球で食らうデッドボールの痛みには覚えがあるだろう。


「実際に右打者が打席に入っているのを見たらブルっちゃったらしくてさ。ほんと悪いんだけど、一旦別の奴に譲ってくんね? 慣れてきて大丈夫そうだった絶対声かけるからさ」


「お、おう。そういうことなら仕方ねえな。一旦身を引いてやるよ」


 国本は満足そうに打席から退くと、そそくさとヘルメットを外し、速足でグローブを取りに行った。


 ちょろいな、と思わずにはいられなかった。


 さて、当面の問題は去った。次は誰を打席に入れるかだが、これはもう決まっている。


「若狭! 突然で悪いけど打席入って!」


「オッケ、了解!」


 国本と入れ替わる形で、若狭がショートの定位置から戻ってくる。セカンド板橋の病欠で空いた穴を本来はレフトの村山が埋め、残りの外野手2人でそれぞれ右中間・左中間をカバーする変則スタイルだ。


「やっぱり、最初は強打者の俺じゃなきゃいけないと思い直したか?」  


 軽口を叩きながら、若狭が左打席に入る。


「まあ、そんなところだ」


 左打者だからという理由だけで若狭を選んだわけではない。『強打者』です、とは言い切れないが、広馬を除いた1年生の中で一番の『巧打者』は間違いなく若狭だろう。強いチームでレギュラーを張っていただけあって、速球、変化球ともに対応が上手く、左右に打ち分ける能力にも長けている。

 板橋先輩を相手にバッティング練習をしたとき、3打席で3安打を放った実績もある。


 若狭を完璧に抑えることができるなら、少なくともこのグラウンドにいる広馬以外の打者に勝機はないだろう。今日の明興高校が中野灰人に用意できる最良の対戦相手だ。


 だから、一番元気なうちに勝負するために、そして最終下校時刻によるタイムアップで対戦できなくなるのを絶対に回避するために、若狭を指名したのだ。


 マスクを被り、腰を落とす。ミットを構える位置は当然、外角低め。

 灰人がゆっくりとセットポジションに入る。

 さあ、勝負の始まりだ。

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