うつつ世奇怪談

belu

散歩

 近くの小学校からガヤガヤと聞こえてくる子供達の声に、俺はふと目を覚ました。時計の針は午後3時を指している。


 ベッドから体を起こし、大きく伸びをした。


「少し寝過ぎたな」


 高校2年の夏休み。両親と妹は父方の実家に帰省中で、この家にいるのは俺1人だ。となれば、生活が自堕落を極めるのは想像に難くない。


 自室を出て1階に降りる。それから顔を洗って歯を磨き、リビングで昼飯代わりにカップ麺を食らう。


 さて、ゲームでもやるか。


 そんな時トントンと、リビングと庭を隔てるの掃き出し窓を叩く音がした。


 庭にいるタロウが、散歩の催促をしているのだろう。そして両親も妹もいない以上、自然と散歩の役割は俺に回ってくる事になる。


 とはいえ時間はまだ3時、散歩にはまだ早い。


「散歩なら日が暮れてからで良いだろ。また後でな」


 窓を開け、タロウにそう言い聞かせる。が、タロウは俺の言葉にヴーと唸って答えた。


 こんなにクソ暑い中散歩に出るなんて勘弁だ。


「お前だってデカイし毛むくじゃらなんだから、夕方の方が涼しくて良いだろ」


 そう言って窓を閉めるが、すぐにまたトントンと音が聞こえてくる。

 俺が無視して二階に上がっても、ゲームを始めても、その音は家に響き続けた。


 結局折れたのは、俺の方だった。


 こんなんじゃ、ゲームに集中出来やしない。


 ゲーム機の電源を切り、部屋着から着替えて1階に降りる。


 時間は4時半前、さっきよりかは多少暑さもマシになっただろう…というか、なっていることを願う。


 ペットボトル2本をバッグに詰めて、今度は玄関から庭に出る。ムワッとした風が夏独特の青い匂いを運んで来た。タロウが駆け寄ってきて、ジッとこちらを見上げる。

 残念ながら、暑さは相変わらずのままだ。


「ハァ……」


 俺はため息を1つ吐いてから、タロウにリードを付け、玄関の扉に鍵を掛けた。

 道路に出てタロウに引っ張られるように、歩き出す。


 俺は普段の散歩道は知らないので、散歩はタロウが行きたがる方に進んで行く事にした。


 最悪迷ったとしても、スマホの地図を見れば良い。それにしても…暑い。


 散歩を始めて10分、早くも俺は散歩に出た事を後悔し始めていた。とはいえ、今から帰って、夜にもう一度出るのもそれはそれで面倒くさい。


 俺は惰性のまま、タロウに引っ張られるように歩き続ける。

 そのうち、だんだん周りの景色が見覚えのないものになってきた。


 産まれてからずっとこの街に住んでるけど、普段決まった道しか通らないから意外と知らない場所が多いな。


 住宅街を抜け、川の横の土手を通り、立ち並ぶ工場を横目に、また住宅街へ入る。


 そんなこんなで、散歩を始めて40分が経った。散歩は1時間から1時間半ほどが目安だと言うし、そろそろ引き返しても良い頃合いだろう。

 目の前の住宅街が丘になっていて、その坂道を上るのが嫌だから、という訳ではない。


「タロウ、そろそろ帰るぞ」


 俺はそう言ってリードを引っ張るが、タロウはその場から動こうとしない。


「タロウ!」


 今度は強めにそう呼ぶが、タロウは動かないどころか、グイグイと凄い力で進もうとする。


「おい、何処行くんだよ」


 タロウは、丘に建ち並ぶ住宅の隣、緑地のような公園が気になっている様だった。


 公園か。ならベンチもあるし、木陰だし……


「分かった、分かった。あの公園な」


 横断歩道を渡り、坂道の前で左へ曲がる。そして公園に足を踏み入れた。


 ここ、木陰ってだけにしては奇妙なくらいに涼しいな。近くに川が通ってるからか?まぁ良いや、少し休もう。


 俺は近くの自動販売機で缶ジュースを買って、ベンチに座る。持って来たペットボトルはただの水だし、何よりもうぬるくなっていた。


 公園は住宅街の横、丘を覆うように作られている。道路に併設した丘の下は遊具や砂場があり、斜面には木々が鬱蒼と生えいた。その木々の間に、丘の上へと続く木の階段が設置されている。


 タロウはジッと、その階段の方を見ている。


 涼しい中、冷たいジュースを飲み休んで、気が緩んでいたのだろう。

 突然走り出したタロウに、リードが俺の手からすり抜けた。


「お、おいっ。ちょっと待て、タロウ!」


 タッタッタッと、木の階段を駆け上がっていくタロウを急いで追いかける。


 息を切らして階段を上りきった丘の上には、何処かレトロな雰囲気の、昭和めいた住宅街が広がっていた。


 少し先の方でタロウがこちらを一度振り返って、脇道へと姿を消した。


「待てって!」


 150センチほどの高さのブロック塀に、薄汚れた白い壁と瓦屋根の家々。

 錆びだらけの外階段の横に、白梅荘と書かれた札がかかる木造アパート。


 街は何処か現代ではないような異界感、気味悪さを漂わせている。特に人気ひとけの無さが、街の不気味さに拍車を掛けていた。


 場所を確認しようとスマホを取り出すが、何故か画面が真っ暗なままで、何をしても起動しない。


「クソッ、何でっ」


 絶対に変だ。ここ、本当に……


 暑さだけが理由ではない気持ち悪い汗が吹き出し、ドクリドクリと心臓が早鐘を打つ。


 俺は嫌な思考を振り払い、足早にタロウの姿が消えた脇道へと向かう。

 脇道を曲がった奥の塀をくぐったその先、タロウがこっちを向いて立ち止まっている。そこは、古く手入れされていないであろう、ボロボロの墓地だった。


 俺は塀をくぐってタロウに駆け寄り、必死にリードを掴む。


「さっさと戻るぞ!」


 墓地に足を踏み入れた瞬間、俺はやはりここがあり得ない、あってはいけない空間である事を確信していた。


 墓地の中は、何処までも何処までも、それこそ地平線が見えないほど先まで墓石が並んでいたのだ。


 こんな場所が、存在する訳がない。今すぐこの場を離れたい。


 そんな俺の思考とは相反して、いくらリードを引っ張ってもタロウは動かない。


 俺はこいつの我が儘に付き合って、こんな場所に来てしまったのに、こいつは俺の言うことなんて何一つ聞きやしない!


 俺の恐怖が怒りへと変わるのに、そう時間は掛からなかった。


「ふざけんなよっ。もう知らないからな!」


 思わずリードを地面に叩きつけ、そう叫んで振り替える。


「は?」


 そこで俺は唖然とした。


 墓地の塀が、50メートル程後ろにあったのだ。俺は墓地に踏み入れてから、数歩しか歩いていないのだから、そんなに進んでいる訳がない。


 出れなくなるっ!


 今まで感じた事がない程の恐怖と焦りに苛まれ、俺は無我夢中で駆け出した。


 墓石の間を走って塀をくぐり、人気ひとけの無い街を駆け抜け、あの公園の階段を転げるように降りる。

 そうして丘の下まで戻った俺は、公園の前を車が通り過ぎたのを見て、思わずへたりこんだ。


 取り出したペットボトルの水を飲み、なんとか気持ちを落ち着かせる。


 タロウは……


 しばらくそこで階段の様子を伺い続けるが、タロウが戻ってくる様子はない。


 いや、知ったことか。俺は何度も連れて帰ろうとしたのに、聞かなかったのはあいつだ。


 俺には、もう一度あの階段を上る勇気はなかった。


 いつの間に日は沈み、空は暗くなっている。スマホを取り出すと、今度はしっかり画面がついた。時間は午後10時と表示されている。


 俺は、何処か後ろめたい気持ちを抱えたまま、未だあまり力の入らない体をフラフラと引き摺るように、帰路についた。


 這う這うの体で家に帰った俺は、シャワーを浴び、夕飯に冷凍のパスタをレンジで温めて食べる。


 しかし、パスタはあまり喉を通らなかった。我が家に帰り安心した事で、今になってタロウへの心配と、あの場所に置いてきた罪悪感に襲われたのだ。


 俺はリビングから庭の門を見続けた。タロウが1人でも帰ってくるのではないかと。

 そうしている内に夜が更け、俺はいつの間にか机に突っ伏して眠っていた。


 翌日の昼頃に目を覚ます。


「…あ、タロウはっ?!」


 思わずそう言葉に出した瞬間、俺はある重大な事に気付いた。


 あれ?俺…よな。


 頭が混乱する。俺の家にペットはいない。それどころか母がアレルギーを持つため、今まで一度も動物など飼ったことがない。


 じゃあ昨日の、タロウは……


 そこまで考えて、俺の全身に鳥肌が立った。


 思い出せない。タロウの姿形が何一つ。俺は確かに昨日、タロウの散歩をした。その中で、この世のものでないだろう場所にも迷い混んだ。あの風景も恐怖も、鮮明に記憶に刻まれている。


 だが、散歩させていたあのの姿が、一切合切、思い出せなかったのだ。




 俺は何故、あの得体の知れない何かを家族にも等しい大切なペットだと、そんな勘違いしたのだろう。何故タロウという名前だと、認識したのだろう。そして一体は、俺を何処へ連れて行こうとしていたのだろう。


 それはあれから数年が経った今も、何1つ分からない。


 ただ家に1人でいると、トントンと窓を叩く音がするのではないか。俺はまたに何処かへ連れていかれるのではないか。

 時折、そんな恐怖に襲われるのだ。

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