第12話 本の虫

 フィオナとの楽しいお茶会が終わり、リチャードの部屋へと戻ったカインは紅茶の缶を手に取りながら思い返していた。


 フィオナが持っていないピンクのくまのぬいぐるみ。

 いつもカバンにつけていたと言った。

 そしてエルメは話している途中で忘れてしまった。

 まるで記憶を消されたかのように。


 記憶が消せるのは『本の虫』。

 本の文字を消すことができるのは本の虫だけだ。

 蜘蛛は消すことができない。


 フィオナはカバンを持っていない。

 王女が荷物を持ち歩く必要はないからだ。

 では、ピンクのくまがついたカバンをいつも持っていたのは誰なのか。


「カイン、手が止まっているぞ」

 紅茶の缶を持ったまま止まっているカインをリチャードが笑うと、カインは申し訳ありませんと苦笑した。


「珍しいな、カインがぼーっとするとは」

「えぇ。フィーが可愛すぎて困っています」

 カインが惚気るとリチャードはますます笑った。


「フィーを幸せにしてくれ」

「えぇ。必ず」

 カインはグッと紅茶の缶を握りながら頷いた。



 ルダー国からの連絡は前回よりもかなり早く届いた。

 前回はフィオナが十七歳になる三ヶ月前、今回は十五歳だ。


「えっ? ルダー国の王子?」

 もうカインと結婚する準備が始まっているのに、こんなことを言う国王陛下の言葉にフィオナは耳を疑った。


「あぁ、ルダー国の第一王子がフィオナを妻にしたいと」

「私はカインと結婚します」

 また塔から突き落とされるのはイヤだ。

 今度こそカインと結婚し十七歳を迎えたい。


「フィオナ、お前は王女。国のために我慢してくれ」

「イヤです! 絶対にイヤ!」

 フィオナは首を横に振った。


『誰かが操られる可能性があります』


 父も操られているのだろうか?

 カインと結婚の準備が進んでいるのに、このタイミングで別の国に嫁げと言うだろうか?


 前回はこの部屋から逃げた。

 でもこのあと兄リチャードがここへ来るはずだ。


「父上、お呼びでしょうか」

「お兄様!」

 フィオナは兄リチャードに駆け寄った。

 リチャードの隣はもちろんカインがいる。


「フィー? どうしてここに?」

「お兄様! お父様がルダー国に嫁に行けと言うのです。私はカインと結婚したいのに」

 助けてくださいとリチャードにしがみつくフィオナ。

 リチャードは驚いた顔で父を見た。


「ルダー国の王子の方が国としては有益。カイン、国のためだ。身を引いてくれ」

「陛下、発言をお許し頂けますか?」

「あぁ」

「私はレイトン公爵家ですが、祖母は世界一の大国の王女です。もちろん大国とは今でも親交があります。私自身も」

 カインの言葉に国王陛下の眉が片方上がる。


「ルダー国よりも世界一の大国との繋がりの方が有益ではございませんか?」

 前回ルダー国の王子が求婚したとき、ただの公爵嫡男のカインではどうすることもできなかった。


 だから今回は経歴を書き換えておいた。

 カインの祖母を世界一の大国の王女に。

 そしてカイン自身も大国と定期的に連絡を取り、親交を深めておいたのだ。


「カインはリチャードの補佐。フィオナの件がなくとも大国との益はついてくる」

「王女との婚約を破棄されたら、恥ずかしくてもうこの国にはいられません」

 補佐官も続ける自信がありませんので辞めさせて頂き、私自身は大国へ移住しますとカインは再びお辞儀した。


「カイン! 困るぞ、カインがいないと困る!」

 リチャードが慌ててカインを引き止めるが、カインは国王陛下にニッコリ微笑んだまま動く様子はなかった。


 交易相手のルダー国と世界一の大国。

 天秤にかけるまでもない。

 先に沈黙の時間に耐えられなくなったのは国王陛下だった。


「……わかった。ルダー国は断る」

 溜息をつきながら宰相へ指示を出す国王陛下。


「ありがとうございます、陛下」

 カインが深々とお辞儀をする姿を見ながら、リチャードはフィオナに良かったなと微笑んだ。


 謁見の間を出たリチャードはカインに「絶対一人になるな」と忠告した。


「……お兄様?」

「カインが事故でいなくなればフィーはルダーに嫁げる」

 何もわかっていないフィオナに小声で告げると、フィオナの喉がヒュッと鳴った。


「大丈夫ですよ」

 心配しないでと微笑むカイン。


 フィオナは泣きそうな顔でカインの腕にしがみついた。

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