第11話 蜘蛛

「やはりそうか」

 修復士カインの師匠ローレルは過去の修復記録帳を広げながら眉間にシワを寄せた。


 修復士の名前は『フィオナ』。

 修復日は今から60年前。

 修復した本はウセキ国物語だ。


 記憶があるのはおかしいと、過去の修復記録を調べてみたら思った通りフィオナの名前があった。


 修復士フィオナは『本の虫』に捕まったのだ。

 修復士の間では本から出られなくなることを『囚われる』と言う。


 フィオナは囚われた修復士。

 正規の登場人物ではないため未来がない。

 なぜ当時の修復士は彼女を助けなかったのか?

 

 師匠ローレルはウセキ国物語と修復記録帳を持ち、修復士のトップ、総監グスターに会いに行った。


    ◇


 何か見落としていることはないだろうか。

 カインは今までを思い出し、今後に起きるだろう事件を考えた。


「……カイン?」

 ミルクティーを飲みながらフィオナが首を傾げると、カインはすみませんと謝った。


 結婚が決まってから二人で過ごす時間が増えた。

 といっても一週間に一回、一時間だけだが。

 以前は二ヶ月に一回だったのでかなり増えたと言えるだろう。


「カインはどうして時々しかいないの?」

「えっ?」

「その、怖いお兄様の時とか、その前も、ずっといなかったから」

 他の人はいつも同じなのにと言うフィオナにカインは目を見開いた。


 毎回違う動きをするフィオナ。


 記憶を持ったまま生き延びる方法を探している。

 超えられない十六歳より先の未来。

 それはこの物語に未来が存在しないから……?


 あと気になるのは騎士ハリウス。


 目立たないが彼の行動は少し不思議な時がある。

 何かを考えて動いていそうな違和感。

 「気をつけろ」と言ったのはなぜなのか。

 それに雰囲気が修復士の総監グスターに似ていることも気になる。


 国境の盗賊を倒す時、ハリウスはフィオナのために積極的に討伐に加わった。

 ハリウスが蜘蛛とは思えないが、ただの登場人物にしては少し変だ。


「前回、ルダー国は誰と一緒に行きましたか?」

「エルメとセドリックとルイージかな」

 夜会にもセドリックは参加していたと言うフィオナの言葉にカインは再び考え始めた。


 八回目だっただろうか?

 宰相の息子セドリックの肩に蜘蛛の糸がついていた。

 フィオナを斬った騎士ワイズの肩にも。


 十回目は他国だったので蜘蛛の糸は確認できていないが、フィオナを塔から突き落とした公爵令嬢が蜘蛛に操られていたとしても不思議ではない。


 蜘蛛は自分では手を下さない。

 周りに事件を起こさせ、自分には目が行かないようにうまく隠れる。


 なかなか原因が見つからなかった理由はフィオナ。

 毎回違う行動を取るので、変化がありすぎて複雑になってしまった。


「誰かが操られる可能性があります。気をつけてください」

「えっ? 操られる?」

「私以外は操られる可能性があると思ってください」

 できるだけ側にいますというカインにフィオナは頷いた。


 部屋の扉がノックされ、侍女エルメがお茶会の終了を告げる。


「また来週」

「はい。お待ちしています」

 カインはフィオナの手をゆっくり持ち上げると、手の甲に口づけを落とし微笑んだ。


「姫様、カイン様と婚約して良かったですね」

 あんなイケメンなかなかいないですからねと侍女エルメが揶揄うとフィオナは真っ赤になった。


「……私ってやっぱり子供かな?」

 カインとの年齢差は六歳だ。

 二十一歳のカインから見たら、十五歳の自分はかなり子供っぽいのだろう。


 フィオナは今日カインから貰ったくまのぬいぐるみをギュッと抱きしめた。

 ふわふわで青いリボンをつけていて、フィオナ好みのくまだけれど。

 でもやっぱり子供だから贈り物がくまちゃんなのかなとフィオナは溜息をついた。


「花束とくまだったら、どちらが嬉しかったですか?」

 ティーカップを片付けながら侍女エルメが意地悪な質問をすると、フィオナは小さな声で「くま」と答えた。


「あっ! 子供っぽいと思ったでしょう、エルメ!」

「いいえ。昔からくまが好きでしたね。ピンクのくまのキーホルダーをカバンにいつも……」


 ……いつも?

 途中まで言った後、エルメは止まった。


「ピンクのくまなんて持っていたかな?」

 フィオナが首を傾げると、エルメも首を傾げた。


「ピンクのくま……ですか?」

「えっ? 今、エルメが」

「私、そんなこと言いました?」

 テキパキとテーブルを片付けるエルメ。


 ……エルメが変……?

 フィオナはくまのぬいぐるみをギュッと抱きしめた。


 フィオナは翌週のお茶会でエルメが変だったことをカインに相談した。


「ピンクのくまに心あたりはないのですね?」

「うん。……くまはカインにもらったこの子と、五歳でお父様にもらったあのクマだけ」

 フィオナが指差したのは陶器のシロクマだ。


「……前の世界でも?」

「前はあのクマだけ」

 カインがぬいぐるみを贈っていないので、硬い陶器のシロクマだけだったとフィオナは言う。


「カバンにつけていたって」

 でもカバンなんて一つも持っていないとフィオナは困った顔をした。

 

「それに途中で止まって、そんなこと言いましたか? って」

 ふわふわのくまのぬいぐるみの目の周りの毛を退けると、パッチリした可愛い目が現れ、フィオナは思わず微笑んだ。


 フィオナが可愛すぎる。

 贈ったくまのぬいぐるみで遊んでくれているフィオナが可愛い。


 彼女とはこういうものか。

 幸せすぎる!

 物語を早送りせずにもっと贈り物をすれば良かった。


 真面目な相談をしてくれているのに、気持ちが浮かれてしまって全然考えが纏まらない。


 カインはニヤニヤしてしまいそうな顔を必死で抑えながら「気に入ってくれて良かったです」と微笑んだ。

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