第2話 フィオナ姫

「知らない人がいる」

 柱の影に隠れながらウセキ国王女フィオナは眉間にシワを寄せた。


「絶対おかしい。昨日まであんな人はいなかった」

 黒髪・黒眼の青年は全く見覚えのない人物。


「フィー? どうした?」

 くすくす笑いながら柱を覗き込む兄リチャードの綺麗な金髪がサラッと揺れる。


「ひあっ」

 フィオナは心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。


「フィオナ姫、かくれんぼですか?」

 黒髪のカインが音もたてずにスッとフィオナの横に膝をつくと、フィオナは慌ててリチャードの後ろに隠れた。


「フィー? カインがどうかしたのか?」

 ギュッと背中にしがみつくフィオナにリチャードは首を傾ける。


「嫌われてしまいましたね」

 カインは困った顔で立ち上がった。


「……なんで尾行されているんだ?」

「なぜでしょうね?」

 七歳になったばかりの妹フィオナの奇行を兄リチャードが笑う。

 綺麗な金髪が柱からチラチラ見えていることを確認したカインは小さな姫のあまりの可愛さに笑った。



 今回のウセキ国第一王子リチャードは優しい王子。

 妹のフィオナとも仲が良い。

 二人とも綺麗な金髪に茶色の眼。

 フィオナはまだ七歳だが、将来絶対に美人になるだろう。

 今回は三回目と同じパターンだろうか?

 三回目は未曾有の大災害で二人とも亡くなった。

 カインは災害を事前に防ぐため、第一王子リチャードの補佐官になった。

 修復士に与えられた権限の一つ『物語の書き換え』を利用したのだ。

 子供がいなかった公爵に息子カインを書き加え、第一王子リチャードの補佐官を宰相の息子から自分に書き換えた。


 正しい選択肢に導くために。


 昨日までいなかったことなど誰にもわからないはずなのに、フィオナに観察されているのはなぜだろうか?

 子供だから好奇心が旺盛なのか、子供は誰でもあんな感じなのか。

 なぜか何度も目が合う王子付き騎士のハリウスと、逆に全く目が合わない騎士ルイージも気になる。

 フィオナ付きの侍女エルメも少し様子がおかしいのはフィオナの奇行に困っているだけだろうか?


「カイン、さっきの堤防の話をもう少しわかりやすく教えてくれ」

「はい、リチャード様」

 大災害まであと九年。

 まずは三年後に氾濫するリーネ川の整備からだ。

 今からなら十分準備ができるはず。

 災害を防げばリチャードの評価も上がり、国民に支持された国王になるだろう。

 地図を広げながら堤防の提案をするカイン。

 リチャードは真剣に話を聞き、大臣達に堤防の整備を訴えた。


    ◇


「素晴らしいです。リチャード殿下」

「殿下のお陰で街が救われました」

 フィオナは柱の影から大臣達に褒められる兄リチャードを眺めた。


「フィオナ姫?」

 急に名前を呼ばれたフィオナの肩がビクッと揺れる。


「驚かさないでよ、カイン」

 ゆっくり振り返りながらフィオナは苦笑した。

 カインに初めて会ってから三年。

 兄リチャードとカインは十六歳、フィオナは十歳になった。


「なぜお兄様は堤防を提案したの?」

「リーネ川が氾濫しないようにですよ」

 想定外の豪雨が三日間も続いたが、兄リチャードが提案した堤防のお陰で川の氾濫を防ぐことができた。

 以前経験したパターンはリーネ川が氾濫し、復興する前にまた豪雨。

 度重なる豪雨で木が倒れ、山が崩れ、数年後に大洪水に王都が飲み込まれるというものだった。

 でも今回は氾濫しなかったのだ。


「なぜ氾濫すると思ったの?」

「他国で氾濫があったからですよ」

 フィオナの質問にカインはニッコリ微笑む。

 他国で氾濫があったと聞いても、自国の河川のどこにどのくらい堤防を作るまで計算できるものなのだろうか?


「どうしてルッソ地区だけ堤防が高いの?」

「川の蛇行具合から地形的に危ないと思ったからですよ」

 リーネ川は国で一番長くて幅の広い川。

 その川全てに堤防を作るのは数十年かかるだろう。

 氾濫が起こる場所だけ優先的に整備されているのはおかしい。

 どうしてルッソ地区が氾濫するとわかったのか聞きたいのにフィオナはうまく聞き出せなかった。


「そう」

 フィオナは肩をすくめると廊下を引き返す。

 長い綺麗な金髪がふわっと揺れるフィオナの後ろ姿をカインは無言で見送った。


 部屋に戻ったフィオナはソファーに座り、溜息をついた。

 氾濫は起きなかった。

 なぜかわからないが、いつも十六歳までしか生きられない。

 病気で死んだのは十歳。

 魔女だと言われ処刑されたのは十六歳。

 他国の王子と結婚するため移動中だった馬車が崖から落ちたのも十六歳。

 階段から落ちたのは何歳だっただろうか。

 餓死したこともある。

 兄リチャードに殺されたこともあるし、山が崩れて生き埋めになったこともある。

 他国との戦争で死んだのも確か十六歳だ。

 優しい兄、怖い兄、何度も繰り返す日々。

 またやり直しかと思っていたら、ある日見知らぬカインが急に現れた。


 一体何者なのだろうか。

 今度こそ生き延びたい。

 フィオナはソファーに座りながら窓の外の景色を眺めた。


 フィオナが十六歳になるまでに何度か豪雨はあったが、大災害は起きなかった。

 リチャードは宰相の娘と来年結婚する予定だ。

 堤防を作り、災害を防いだリチャードは国民からの支持も貴族からの支援も基盤も十分。

 順風満帆。

 だからやっと、今度こそ長生きできると思っていたのに。


「……なぜ?」

 自分の胸に刺さるナイフを確認したフィオナはあまりの痛さに崩れ落ちた。


「フィー!」

 駆け寄る兄リチャードの真っ青な顔と、信じられないと目を見開いたカインの姿、悲鳴をあげる侍女エルメ、鬼のような形相でナイフを持つ兄の婚約者。

 そして騎士ハリウスとワイズが兄の婚約者を拘束する姿。

 フィオナにはすべてがスローモーションのように見えた。


「あんたがいけないのよ!」

 リチャードは婚約者である自分よりも妹フィオナの方が好きなのだと、会話はいつもフィオナのことばかりだと兄の婚約者は泣きながら叫んだ。


 婚約者とは仲が良かったのではないのか。

 なぜ私が刺されなくてはならないのか。

 やっぱり十六歳までしか生きられないのか。

 苦しい表情を浮かべたままフィオナはゆっくりと目を閉じ、二度と目覚めることはなかった。



 大切な妹フィオナを殺されたリチャードは人が変わったように冷酷になった。

 婚約者だった宰相の娘はその場で処刑。

 宰相はもちろん、フィオナを守れなかった騎士も侍女も全員処罰の対象に。

 そして元宰相の息子セドリックの策に嵌り、リチャードは二十八年で生涯を閉じた。


 世界は再び真っ白に。

 物語は白紙に戻った—―。



「なかなか苦戦しているね」

 物語修復士カインの師匠ローレルは『修復中』のウセキ国物語をじっと眺めた。

 カインが修復を始めてから一時間。

 通常、分岐点となる一ヶ所を正しい方向に導けば、物語は修復される。

 だが、この物語はおかしい。

 数々の修復をしてきた自分でさえ経験した事がない作業に、ローレルは眉間にシワを寄せた。

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