第4話 神さまの魔法と濡れた股


 ――男は、女をまもってやるもんだ。


 じいちゃんのそんなことばが、頭に浮かんでいた。


 浮かぶと同時に、リシューカの足の下に腕をさしいれ、崖から飛び出ると同時にリシューカを森のほうへ放り投げた。


 空中を舞うリシューカの、おどろいた顔が一瞬目にはいる。

 いままで出したことのない腕力がわき出て、世界の時間が、感じたことのないほどゆっくりになった。


 木々のゆたかな葉のなかに、くるりと空中で半回転したリシューカのからだが包み込まれるようにうもれていく。

 そして、自分のからだが、ファラノルーカごと空を飛んでいくかのように宙に投げ出された。


 さっき、神さまの向こうに見た青空。

 けわしく切り立った崖と、遠くに小さく見える村の家々。


 ――飛んでる?


 重力から解放された浮遊感に、万能感のようなものがまじっていたのはごく一瞬で、上昇がとまって落下をはじめたとたん目をそむけていた恐怖が無限に分裂していて自分の頭を占めていく。


 ――やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、


 際限のない、ことばにならない拒否が、頭を埋めつくす。

 ことばで、感情で、どんなに拒絶しても、落ちていくからだをとめることができない。


 むりやり横だおしにこければよかったんじゃ?

 いや森につっこんだ時点で、リシューカを抱いて横からころがり落ちてしまえばよかったんだ。

 でも、でも、こわしたら先生に怒られてしまうかもしれないし……


 とっさの状況で、ぐずぐずと判断ができず、しかも判断をまちがえつづける自分の愚鈍さがいやでいやでしかたない。


 近づいていく地面が、血をたれながして、手足をもぎられた虫のように地面にへばりつく自分をいやおうなく想像させる――


「いやだ!」


 涙がにじんでひときわ強くさけんだ瞬間、ピタリと落下がとまり、強くやさしいだいだいの光がジュシュをつつんだ。


 水のなかのあぶくのような球体になり、ジュシュのからだごとフヨフヨとゆっくり空中をのぼっていく。


 ――人が死ぬとこうなるのか? それとも、まさか、おれのかくされたちからが……?


 ジュシュが混乱しつつもされるがままになっていると、少しはなれてリシューカも橙の球体につつまれて宙に浮かんでいた。


 ふたりでフヨフヨと球体に運ばれ、やがて二人は神さまのもとへとたどりつく。


 神さまがパチンと指を鳴らすと、球体がはじけてジュシュは尻から原っぱに落ちて「いたっ」と声をあげた。


 そのあとリシューカの球体が頭のうえで割れたので、リシューカをキャッチしたら受けとめきれずぎゃふんとたおれこむ。


「わしの見えるところで、あんまりわんぱくするんじゃあないよ」


 神さまは、もっさりとしたひげをなでながらぼそりと言った。

 神さまがしゃべっているところをはじめて見たジュシュは、おどろいて目を丸くする。

 ことばが、出ない。


「直接助けたりすんなって言われてんだよなぁ。また怒られる。ま、でも、見殺しにするわけにもいかんしなぁ」


「だれにおこられるの?」


 リシューカが、首をかしげながら神さまに聞く。

 いままさに死にかけたところなのを忘れていそうな様子にもびっくりしたが、神さまに普通に話しかけていることに血の気がひいてあわててリシューカの口をふさぐ。


「あー、わしのもっと上の神さま。どこまであんのか知らねぇけど、何個か上に神さまがいて、手を出しすぎたり放置しすぎたりすると怒るワケ。100年? あ、80年ぐらいか? まえにも怒られてよぉ。いまの上が口うるせぇタイプだからよぉ、まえはなーんもしなくても怒られなくてよかったなぁ」


「んー、ジュシュ!」リシューカは口をふさいでいたジュシュの手をおろして怒る。そしてまた神さまのほうを向いて訊く。「どんなひと?」


「どんなっつっても、わしには雲みてぇなかたちでしか認識できねぇな。わしはしょせん、おまえたちよりちょっとからだがデカくて、長く生きられるぐらいの存在でしかねぇから、認識の限界だとかなんとか言ってやがったな。あとはまあ、魔道具なしでいろいろ魔法つかえるぐらいか」


「マホー?」


「あー、さっきおまえたちを助けたみたいな、フヨフヨ浮かんでたあんな感じのだ。こんなこともできるぞ」


 神さまはそう言うと、手をおもむろにひらいてみせた。


 てのひらから、強くかがやく橙の光の束が、滝が逆流するようにつぎつぎと天にむかってのぼっていく。

 そこから一定の高さにまで達すると、束が星の雨のように自由落下して神さまのうしろにそびえる大木にふりそそいだ。


 濃くつややかな緑の葉を焼きつくすように光がおおうと、あとにはあざやかな、黄色や赤でいろどられたみごとな紅葉があらわれた。


「きれー!」


「そうだろそうだろ。こう、ものの性質を変質させるっていうかな、そういうこともできるワケ。おまえたちの村のおとぎ話で『らんぼうもののクマタロさん』って話あるだろ? あれぁよ、むかし人の味をおぼえちまったひと際でかいクマが出たとき、村が全滅しそうになってたからしかたねぇっていうんで、わしが魔法で人なつこい性格に変えてやったワケ。それが伝承としてのこってるってえっ? 聞いたことない? ウソ200年ぐらいまえには『神さまのおかげです』って村人がかわるがわるやってきてたのに……」


「あの」


 ジュシュは横から、勇気をふりしぼって神さまに話しかけた。

 村の大人から、口すっぱく神さまに無礼なふるまいをしないよう言いつけられている。

 神さまと会話するのがそれに該当するのかどうかわからず、指をもじもじと組み合わせた。


「あの、村のオババさまが、神さまはお話にならないって、言ってたんですが……」


「ん……? あー、あの、その、あれだ」


 上機嫌でリシューカと話していた神さまは、はたととまり、こまった顔でまゆをひそめた。


「意思疎通ができちまうと、過度にたよられるようになって正常な発展ができなくなるから、話をすんなって言われれてな……まあでもあれだろ? おまえたち、ずいぶんちびっこいし、生まれてまだ1年とかそんなもんだろ?」


「ぼくはもう6歳です」


 ジュシュはこどもに見られたことで、ちょっとムッとして言った。


「6歳なんて生まれたばっかとおんなじだぁ! 忘れろ忘れろ、きょうのことはだれにも言うんじゃないぞ」


 神さまは大きな声で笑うと、リシューカは「ヒミツ!」と二本の指でうれしそうに口をかくして笑いかえした。神さまは満足そうに目をほそめて、


「そうだわしとおまえたちのヒミツだ。そうそう、ヒミツっていえばよぉ……」


 話ができないうっぷんでもたまっていたのか、神さまはそれからもとうとうと話しつづけた。


 ――話がはじまるとおわらない村のおじいちゃんおばあちゃんみたいだな。


 ジュシュは一瞬そう思うが、不敬かもしれないとあえて口に出すことはしなかった。

 あと落下に恐怖したときか、自分の股がぬれにぬれていることに気づいてそれどころではなくなった。魔法でどうにか乾かしてくれないものか。

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