第2話 6歳の春、チンコロポンの誕生


 カカココというこぎみいい音がたえず室内にひびく。


 じいちゃんが、てのひらにおさまる木の丸太まるたに、祈るような厳粛さで手をふり、特製のナイフで叩きけずっていく。

 ジュシュがまぶたを閉じ、ひらくたびに木彫りの人形はそのかたちをしていった。


 ジュシュはじいちゃんの流れるようなしぐさを、あこがれを宿したひとみでキラキラと見つめる。


「なんでそんな早くできんの」


「ばかやろ、おれはもう40年ちかくやってんからな。なんかもうあれだよ、息をしてるみたいなもんよ。おまえ息するときに『ああおれ息を吸ってるぜ、吐いてるぜ』っていちいち考えるか? 考えねぇだろ?」


 言いながらじいちゃんは人形の前面を彫りあげた。

 人形は、どこかいかめしく顔をしかめているような、ほほえんでいるような、ふしぎな表情の大きな顔をしている。


 神さまを模した人形らしい。

 職人のじいちゃんは、これを売って生計を立てている。


「さすがに息は言いすぎじゃないの? 『ここもうちょい彫ろうかな』とかそれぐらいは考えてんじゃない?」


「おめーも言うようになったな! たしかに息はりすぎだぁな!」


 じいちゃんは豪快にカカカと笑うと、後面の複雑な模様を彫り終えた。

 中に木製の球を入れ、うすく接着剤をぬると、カポンとはめこんでしあげる。


 ジュシュはじいちゃんが笑うさまが好きだった。

 小さいころ、顔もおぼえていない両親が流行り病で亡くなってしまってから、じいちゃんは男手ひとつで自分をそだててくれている。


 まずしい生活ではあったが、じいちゃんがいることでジュシュは満たされていた。


「おれもできるようになるかなー」


 ジュシュは手もとの、見よう見まねで彫ってみた無残な木のかたまりを見つめた。

 じいちゃんのみごとな人形とは似ても似つかぬ、珍妙な空想上の動物のようなしあがりにかなしくなってくる。


「おう、なるともなるとも。じいちゃんがおまえの年のころはまだ人形つくったことなんてなかったんだから、そうあせるんじゃねぇよ」


 じいちゃんは言いながらジュシュの人形を見て、


「おっ、独創的な人形ができたじゃねぇか。伝説の生物『チンコロポン』と名づけてあがめようぜ!」


 とカカカと笑いながら、そっと家の祭壇に置くと、両手の薬指をあわせてお祈りをした。

 ジュシュもじいちゃんの身ぶりをまねして祈る。


「失敗したっていいんだ。こういうはじめのころに、心をこめてつくったもんを、忘れんじゃねぇぞ」


 そう言って頭をなでてくれるじいちゃんを見あげて、ジュシュはうんと笑った。


 そのとき――


「黒髪は、のろいに好かれるぞォ!」


 という大きな、はやしたてるような声が家のそとからきこえた。


「あっ、また悪ガキどもがリシューカちゃんをからかってやがんな」


 じいちゃんが家のドアのほうへ顔をむける。

 ジュシュは立ちあがって、まっすぐにドアのほうへけていった。


「ジュシュ! 男はな、女の子をまもってやるんだぞ」


 じいちゃんがジュシュにそう声をかけるので、ふりむきながらジュシュはうなずく。


「どうにもなんなかったらじいちゃんに言えよ!」


 じいちゃんの声を背に家を出ていくと、はたしてそばで3人の男子がリシューカをかこんでおどっていた。


「くろかみくろかみのろいの子」

「神さまインクをこぼしたぞ」

「さわればのろいがうつっちゃう」


 おどる男子の輪のなかで、リシューカが大声をあげて泣いている。


 男子の横では、ゲレヒがニヤニヤと笑いながら腕を組み、ときおりじまんの金髪をブワサとおおげさにかきあげる。


 村の子はほとんどが白くてふわふわとした髪の毛か、白と茶色がまざった髪の毛で生まれてくるのが常だった。

 だから、自分の一家だけがもつ、陽光をはじくような金髪をゲレヒはおのれの誇りとしていた。


 であればこそ、最近、しっとりとぬれたようなあでやかさをもつ黒髪のリシューカが入学してきたのが、ゲレヒはずいぶんと気に食わないようだった。


 どこかで「黒髪で生まれてきた子がそのむかし悲惨な目にあったらしい」というウソか本当かもわからない村の伝承をしらべてくると、根拠不明な「呪い」という言いがかりでおともをけしかけてくる。


「やめろぉぉぉぉぉ!」


 リシューカをかこむ男子たちを視界に入れると、ジュシュはドタドタとはしってそのひとりにタックルをしかけた。


 が、あっさりとよけられ、ズザザと地面に顔面からすべりこむ。


「へっぽこジュシュがきたぞ!」

「やべーさわられるとビンボーがうつる!」

「うるせージジィがくるまえににげろー!」


 ケタケタと笑いながらゲレヒたちが去っていく。

 顔面や服が土にまみれ、鼻先で土のやわらかな感触を感じながら、ジュシュは自分のなさけなさに泣きそうになる。


 ――男はかんたんに泣くんじゃねぇぞ。


 が、じいちゃんから何度も言われたことばを思い出し、目もとをゴシゴシと乱暴にぬぐって立ちあがった。

 すると、


「ジュジュぅぅぅぅぅぅ」


 とリシューカが突進してくる。

 どすんとぶつかり、涙と鼻水でぬれた顔面をジュシュの服にこすりつける。


「ばか、きたないだろ」


 土のついた服から、あわててリシューカの顔をひきはなし、ほおについた土を指でぬぐう。

 なだめようと手でなでた髪の毛は、太陽の熱を吸収して、あつい。


「みんな、きらい」


 リシューカがつぶやいてほおをふくらませた。


 リシューカは、近くに住む2歳下の女の子だ。

 なにがなんでも助けなきゃいけない義理もないのだが、じいちゃんから「男は女をたすけるもんだ」と口すっぱく言われているし、リシューカのおばさんから「よろしくね」と頼まれてもいる。


 それに、運動もできない、勉強もできない、人とのコミュニケーションもうまくとれないジュシュにとっては、リシューカが唯一の子分といえた(友だちもいないが、年下の子を友だちというのもはばかられた)。


「ジュシュ、ころんだ。いたいいたいのして」


 リシューカが赤くなったひざをつき出した。

 追われたときにころんでしまったのかもしれない。

 しかたないなと、ジュシュはリシューカのひざをなでながら歌うようにおまじないをとなえた。


「いたいの、神さま、連れてってぇ~」


 家の裏手にある山へ向けて、痛みを風でとばすように手をないでみせる。


「つれてってぇ~」


 リシューカも楽しそうにくりかえした。

 こんなので機嫌がなおるのだから、単純なものだと思う。


「よーし、じゃあ練習しに山へいくぞ! ついてこい子分!」


「おやび~ん」


 いきおいよく立ちあがると、ジュシュは裏山を指さしてはしり出した。

 キャッキャッと笑ってリシューカがあとにつづく。


 足もとには青々とした草花、ゆく先には濃淡いりみだれた葉のかさなる木々。ふりかえれば、畑と少しの民家が建つ、自然しかない小さな村。

 あきらかな光が、山の木を葉を照らした。ことほぐように小鳥が歌い、濃くあわくかがやく緑のなかに、ふたりのすがたが溶け込んでゆく。

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