【ボツ版】きみが目をさますとふるえる

七谷こへ

第1話 プロローグ 20歳の夏、のろいの朝


「死にたい」


 のどを、両手でギリギリと絞ることでひり出されたようなさけび声が、天井をつらぬいて低く落ちてくる。


 ジュシュは、すぐに桶の水を替える手をとめ、二階へけあがった。


 また、リシューカの発作が起きた。


 ドアを割るような勢いで開けると、ことばにならない咆哮ほうこうをあげたリシューカが、爪を切っていたおばさんの胴を勢いよく蹴り飛ばしたところだった。


「死にたい」


 ほとんど正気を失ったリシューカはもういちどうめくと、青筋をみなぎらせ、射殺すような赤い目でくうをにらむ。


 ジュシュは壁に激突するおばさんを視界の端にとらえたが、歯をかみながら急いでリシューカのもとへ足をふみだす。


 カラカラと、おばさんが手にしていた爪切り用の小刀が、音を立てて床にころがった。


 リシューカはベッドから跳ね起きて小刀に飛びついた。

 勢いそのまま、つかんだ小刀を自分ののどにむける。


「死にたい」


 何度もくりかえしたのろいのことばを、また吐いて両手をまっすぐにのどへ突き立てる。


 ジュシュは、とっさに飛びついてリシューカの両手をつかんだ。

 右手に鋭い痛みがはしり、赤い血が小刀をつたってポタポタと床へ落ちる。


 左腕や両脚は、うしろからからみつけるようにリシューカのからだを強くおさえつけた。


「しにたい」


 リシューカは小刀をおさえられてもなおさけんで、力のままにあばれた。

 後頭部が自分の顔面をくだくようなスピードでせまってきたので、からだに密着して必死に回避する。


「だいじょうぶだよ、リシューカ。だいじょうぶ」


 なかばは自分に言い聞かせるように、ジュシュはリシューカの耳もとでささやいた。


 そうしているうち、だんだんとリシューカの力がゆるんできて、したたる血のような暗い赤にそまったひとみは、じょじょにもとの宝石のようなみどりに色を変える。


 トロンと、夢におちる直前の赤んぼうのような目つきになり、リシューカはそのままねむってしまった。


 腰までのびたしなやかで、うつくしい黒髪が、いばらのようにジュシュのからだにまとわりつく。


「私たちがなにをしたっていうのよ」


 おばさんが、蹴られた腰をおさえ、床をはいずりながら、怨嗟えんさの声をもらす。


「いつになったらのろいがとけるの」


 こたえることばをもたず、ジュシュはぼうぜんと窓から外をながめた。


 何カ月もまえに、リシューカが発作を起こして飛びおりてしまったときから、窓枠には開けられないよう木が打ちつけられている。


 この部屋が自分たちの牢獄のように思えて、ジュシュは腕のなかのリシューカのやすらかな寝顔を、じっとながめた。

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