第28話 いとこが他界しました

父方の、同学年の従妹でした。


父方は膿と書くほどではないけれど、確実な農家でした。


父方は長子主義な所があり、父の姉である長女は2度結婚しましたが、2度目の際も前夫の子供(従姉A子)と現夫の子供(従姉B子)を家に置いたまま実家に帰るほどで、まだ幼い子供の従姉が子守をしてたり、その従姉もうちの父方の実家で過ごす日々があったりと、離婚の理由は前夫ですが、実母である長女の対応もどうかと思っています。


そんな従姉A子は、そんな親に囲まれて暮らすより、と早々に就職して結婚し、家庭を築き上げました。


結婚前からも、言動が長女である伯母に似たもう一人の、幼かった従姉B子は、私の結婚の前ぐらいにあまり性質の良くない男と結婚し、それでも両親の近くで同居をしていたようです。


そして伯母の夫が他界し、伯母としては孫も娘もいる家庭で過ごせてはいたみたいです。

ただ、まともに自分が育てていないけど、似た娘であるB子。


幼い頃から私達、今回他界した従妹C子と私に対して、常に上から目線でほぼ説教や、自分が正しいと思って押し付ける無駄な所が多く、一時期私とも口論になったりし、結局祖母が他界した事で疎遠になりました。


おかげでその従姉B子の結婚式には参加していません。

私の結婚式にも参加させていませんが、それは従姉妹兄弟全員未招待にしていたので問題にされませんでした。


ただ、従姉A子は、私にとって従姉ではなく伯母に近い、姉として慕っていた事。

今回他界した従妹C子は彼女の結婚式の際、たまたま式場が私が丁度住んでいた市の上に近所だったこともあり、招待はされていないけど、一目見て撮影だけする為に短時間だけ駆け付けました。


それもあり、私の結婚式の際は友人枠としてこの従妹C子だけは呼びました。

何せ私が同じ式場に決めたのは、この従妹と親友が挙式した式場だったからですし。



そんな従妹。


子供は男女二人で、田舎の考えにも賛同できる柔軟な考えの旦那をもち、幸せに暮らし続けていると思い込んでおりました。




まさかいつの間にか離婚し、しかも2年ほど前から闘病生活。

1年前からほぼ入院で転院生活をし、最後は意識が戻ることなく亡くなったそうです。


今でも何の病気だったのか、何故そんな事態になっているのか聞いていません。


私が結婚後、実父の還暦祝いを父方実家でやると言われて、乳児を連れて行った時、さらに別の伯母から自分の嫁の愚痴を聞かされ、私は鈍いので「ふう~ん」と聞き流していたのですが、後で従妹C子とその母である伯母に「あんなことこうすけに聞かせる必要もないのに…」と怒ってくれていました。



時間が経過して、ああ、嫁姑のもめ事を私に愚痴ったのだろうな。でも私はにぶいうえにネットでもっと色々見ているから言い返す言葉も浮かばなかったし、気にもしなかったなぁ、と思いました。


2年ほど前もそうですが、その少し前は特に精神的な状態が悪く、何度か心療内科の薬に助けられて生き延びている状態でした。


私の父母もそのことを知っていた事もあり、従妹の離婚も病気も知らされず、お通夜前日に聞かされて知ったのです。


参加すると父に伝えていたのに、開始時間だけ言われたので、てっきり祖母の時同様家でやるのかと思ったら、移動中に弟からLINEが来て、

「来るのか?」

「向かってる」

「皆揃ってるぞ?」

「19時って聞いたけど(この時17時半近く)!?とりあえず急ぐ!!」


高速を使わなかったのと、道中が完全に田舎道だらけなのであまり飛ばす事はできないけれど、できる限り急いで父方の実家に到着したら、明かりの消えた状態。


細い道なので、少し離れた広い場所に移動して弟に電話すると、どうやら斎場を借りているらしく、MAPデーターを送ってもらったものの、慌てすぎてスクリーンショットと勘違いし、自分のMAPに共有する事もできないので、車のナビに住所を入れてみた所、大通りの道から移動となるのでそこの角にあるコンビニでトイレを借り、コンビニに入るのも出るのも駆け足状態でした。


急いでいましたし。


斎場は田舎の川の堤防を走り、入り口が良く分からない場所で左折指示があり、運良く堤防が行き止まりの場所で後ろからの車も来ていないので強引にUターンして左折予定の道に入り込み、なんとかそれっぽい場所を発見。


建物が二つあり、片方に父方の名があり、車から降りて駆け寄りました。


入り口に立っていた人に挨拶をされて気が付いたのは、会うのは何年ぶりなのか覚えていないぐらいの、父方の従兄Aで従妹C子の兄でした。

お互い一瞬誰か分からないけれど、もしかして、と「こ、こーすけです、A兄ちゃん!?」

「おお、そーや、こーすけか!?」


従妹C子から過去一度、この跡継ぎと言われ続けて圧をかけられまくった兄から蹴るなどの八つ当たりをされた事を聞いていたけど、もうその時は何もいう気にもなれず、案内されるまま、ふらふらになりながら従妹の眠る棺に向かいます。


棺の中には、死化粧を施され、笑顔のまま眠っているような従妹がいました。


もう、疲労と悲しみで嗚咽が止まりませんでした。



子供の頃はよく顔を合わせており、年も同じ事もあって親しく会話でき、高校卒業と同時に就職で寮に引っ越し、その後結婚して順風満々に思っていました。


時々Lineで連絡は取りましたが、私があまり雑談をする性格ではないので、ゆるい付き合いをしてきたと思います。



ひとしきり泣いて抑えることができるようになった頃、従兄以外の父方の親戚が集まっている方の建物を案内されました。


そこで父母と弟を見つけ、時間しか聞いておらず、しかも親戚はもっと早く集まっていた事も知らず、場所も教えてもらえなかった事を流石に父母に文句を言いました。


父母は相変わらず特に返事もせず、従姉A子や別の伯母が話しを聞いてくれました。

会話が足りなさすぎる家庭ではありましたが、今回の件だけに限らず、散々やらかしてくれています。


ただ、今回の件だけは流石に許せませんでした。


傷心中の伯父に電話する訳にもいかないし、弟も私より後に聞かされていたので、たまたまLINEで来るのか聞いてきてくれたおかげで状況を知ることができ、場所も知る事が出来ましたし。


ただ、今後は順番的に父方の兄姉の誰かか、父自身が先でしょう。

その際は今回ほど騒ぐこともないとは思います。





それより、何故今回いとこの死を書いたかというと


私自身まだ、希死概念に捕らわれる事があるからです。


夫の浮気により、自己肯定感がかなり下がり、傷つきました。

夫自身からの救いはないけど、本人なりに行動でできる事や変化を見せてはいます。


おかげで追い詰められる事はないのですが、突発的に襲ってくるPTDSに苦しんでいます。


今回、従妹C子の死を見に行った一番の理由は会いたかったからです。


過去、学生時代に急死した、親友になれそうだった友達の時、別の友人と相談し、お通夜には参加しませんでした。

翌日学校があり、彼女の家は学校から歩いて行ける距離にあったので、クラス全員で担任の先生主導でお葬式には参列させてもらいました。


その時初めて、お通夜に参加しなかった事をずっと後悔しています。


それ以来、親しい方が亡くなったり、子供の同級生が亡くなった際は、できる限り参加してちゃんとお別れをするようにしています。




そして、従妹C子は闘病生活の上で死亡しました。


歌のように、多分、生きたい人の方が病に苦しんで死んだ。


私の命と交換して欲しかった。でもそんな事は不可能です。手遅れというより、できない事なんです。


ならば、私は今後、どんなに苦しいと思っても、従妹C子を想うなら生きようと思いました。


飛び出した子供を助けるために…なんて言い訳を作れば良い、という考えを捨て、寿命で死んで従妹に合えたら、何とか頑張って生きた、と笑って話そうと思います。



実は年明け早々に、中学生の頃出会って親友になった友達と連絡が付くようになったんです。

最後の方のメールでの会話は、私が発達障害の可能性を考えて調べて貰えば、というアドバイスと、その結果養育環境による性格だった、という報告でした。


その後たまたま連絡する内容もなく、ガラケーを破壊した関係でメールアドレスという連絡手段、そして相手の電話番号も消失し、親友への連絡手段が亡くなったけど、電話番号を相手が知っているからメールが届か無くなれば電話して来るのでは?とか思っていたんです。


後は性格の問題もあるので縁を切られたのかも、ならば仕方がないとも思いました。


親友は丁度夫のご両親が他界して、相続関係で忙しかった事等もあり、そんな余裕も無かったようで、今年になって余裕ができたのか、年賀状で『LINE繋ぎたいけどどうすればいい?』と聞かれ、手元にまだ年賀状が残っていたのでQRコードを印刷して送りつけました。

電話番号は変わっていないとも。


その後中々LINEに追加されないので、IDでは私の方が格安モバイルを使っている関係で年齢承認ができず追加できない事、最近連絡を取っていない間に起きた出来事を手紙で書いて送りました。


丁度手紙を送った翌日ぐらいにLINEが繋がって安心したのですが、数日後手紙が届いてそれへの返事をLINEに貰いました。


その後、連絡が付かない間に起きた出来事を1日1回ぐらいのペースで連絡し合い、少しほっとしました。


もし、私が絶望の淵にいる時、親友と連絡ができる状態であったとしたら、連絡しただろうか?


あの時は丁度通っていたカウンセリングの先生に全て聞いてもらい、自問自答と、夫へ助けを求め、無理だと拒絶された事でほぼ『すべて捨てて楽になりたい』という思いで一杯であり、そんな時期に親友に連絡が取れなかったのは良かったのかもしれない気がするのです。


落ち着いた今だからこそ、話せたこともあるので、そう思えばやはり良かったのかもしれない、と納得できました。

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