第10話 病院行きまくって救急車に乗りまくり人生

私が物心ついた頃、初めて救急車にのったのは多分知恵熱でした。

父が不在で車がなく、町営団地から病院までタクシーに乗る余裕もないし、生まれてわずかな弟もいたので身動きが取れない。


やむ得ず母は救急車を呼び、音で集まった近くの人に弟を頼みました。


当時の救急車は、症状の関係か、普通のワゴン車の後部座席が全くない物で、私は母に抱っこされながら毛布にくるまって車の床に座っていたのを覚えています。


その後、引っ越した町で毎年のように風邪にかかったり、ある時は出かけるために家の近くの駐車場に移動する際、柵を飛び越えようとして失敗し、足から大出血して外科に連れて行かれて麻酔なしで怪我部分からガーゼつっこまれて中の小石を取り出されたり、毎年結膜炎で眼科にお世話になってプール入らなかったり、病院で呼ばれると、最初に鼻を自分で洗ってから治療を待つ耳鼻科のお世話になったり、とにかく年間結構な医療費がかかっていた気がします。


自分で病院に行くようになってからは、産婦人科に努めている時の医療証が0割から1割になった頃だったようで、1割でも安い~とか思っていました。


後厄の時は、自分が原付で飛び出しをして車に跳ね飛ばされ、麻酔なしで足を12.3針縫われたけど骨は折れてなく、牛乳を愛飲していたからか、とか思ったり。


そういえば、丁度その交通事故の前にかなり時間をあけて3回ぐらい意識を失って倒れる事がありました。


うち2回ぐらいは風邪等で発熱してた状態で無理をしてバイトに行ったり、後1回はなんだっけ?

バイトの時は仕事中だけど机に突っ伏してほぼ意識がもうろうとしてて、今でいうイオンみたいな大きな場所のイベントスペースだったので、その大きな場所の従業員が病院に放り込み、その後バイト先の人がうちの親に連絡して引き取られました。


毎回意識が回復すると頭に激痛がありました。


少し雪遊びしただけで発熱する虚弱で、体形は小学生の成長期で一気に太ったけど、それでも虚弱が変わらなかった気がします。


んで、話しは戻るが3回ぐらいのうち1回は多分過剰なストレスによる心臓発作と思っています。


けいれんと泡を吹いて倒れたそうな。


当時親から行かされていた、知り合いのゴルフ場の奥にある喫茶店での調理補助だけの約束が、ウェイトレスをしている婆が私をコキ使い、外の仕事もやらせていたんです。

それが職場のストレスで、他のパートさんも私が言いつけられるたびに顔を白くして、大丈夫かこの子…と心配してくれていたようで、発作後は無事退職できましたが。

休日の公園で後輩と遊んでいた時に発作を起こしました。

当時は家でもまだサンドバッグ、仕事をするようになって婆に使われる様になってキャパオーバーだったんじゃないかと思っています。


救急車で運ばれた病院で、当日は意識が回復したので頭痛は放置されて帰宅させられ、その後検査で脳波を調べられて異常があるとは聞いていたのですが、上記の交通事故を起こしたせいで予約日に行けなくなり、もしかしたらその時点でてんかんの波形が出ていたのかもしれないし、心臓発作と思い込んでいたけど、ストレスで誘発されたてんかん発作だったのかも、とか少し思ったのですが…どうなんやろ?

何せその発作を起こして20年以上経過してから本当にてんかんを発見した上に、その間一度も同じ発作をおこしていないので、脳神経外科の先生にその件をちゃんと話したのか覚えていません。


むしろ、心臓発作と思い込んでいた事と、その後不整脈みたいな発作が多発し、そっちの方に気を取られました。

発作は脈は速いけど安定しているが、息苦しいので動き回れない。

その発作が起きている時に深夜外来などで見てもらっても、心電図を取るでもなく薬を処方されるでもなく帰されるパターンでした。


ある地方に住んでいた頃、その症状がでて困るので、と生協??が運営している病院に相談したら、24時間ホルターという心電図を24時間とる機械で調べてもらい、「洞性頻脈」という病名と、その症状が出てくる時用の薬を貰いました。



その後別の場所に移動したけど、発作は相変わらずなので、「救心」を持ち歩くようになりました。

結構効いてくれて助かった覚えがあります。


そして今住んでいる場所に移動して結婚し、最初の出産の際は非常に不安だったため、大きな病院に1度心臓発作をおこしてて心配なので、とお産先にしました。


そこで、洞性頻脈は病気じゃない事。心臓を検査したけど問題はないとは言われたものの、確かにここ数年倒れたり救急車に運ばれていないが、初お産の大変さと危険を知っているのでそのままその大きな病院で産みました。

個室は高いので何人も産婦のいる相部屋でしたが、まったく落ち着けない上に初子なので3時間おきの授乳以外でも泣かれるし、周囲がうるさくて神経質になって、もう早く帰りたくて仕方がありませんでした。


約10年後、ここの脳神経外科でお世話になるとは思いませんでしたが。


初子育てに睡眠不足が酷すぎて、メニエルになって階段途中で落下しそうになったり、明け方の4時ごろ、泣き止まない我が子を抱いて散歩したりと、最初の子はとにかく疲れました。

2人目は予定外で年子になったのですが、前回心臓に問題がないと言われた事もあり、今度は旦那の実家の近くで1人目を見てもらいながらのお産にしました。


2人目はほぼ安産で、むしろ陣痛が等間隔になって車で病院へ移動中に、振動で生まれそうになるぐらいでした。

個人病院への通院は少し大変で待ち時間が特に大変でしたが、生んだ後は個室でのんびりでき、1人目の時は怖くてできなかった添い乳をしたら、全然泣かない、手のかからない子で楽でした。


2人子供を産んだ後、今度はお風呂で意識不明になりました。

救急隊員さんが来て毛布にくるんで運んで下さったらしく、運ばれた病院では高熱ではあるが入院するほどでもない、って事で意識が回復したらまた帰宅させられました。

後日病院に行って原因を調べようとしましたが、異常は特になく、血圧の急上昇か下降とか言われたかな。


そんなわけで上記少なくとも4回は私が救急車にお世話になっているうえに、旦那も救急車を呼ぶ羽目になった事があります。

急性の下痢でトイレに籠り、過呼吸をおこして呼吸ができなくなり、救急車を呼んでくれと言われまして。


過呼吸を起こした人、初めて見たんですよねぇ。他の急病でしたら救命講習全部受けているので多少対応できますが。

呼びつけておいて乗る事は無かったので、平謝りで帰って頂きましたが、一緒に暮らして既に10年以上。

多分この人動物性油に弱い。

過剰なストレスもかかっているので、その分腸が弱い感じ。


良い牛肉の脂身、私は好きなのですが、旦那はトイレに籠ります。

私は鳥の皮で脂を出して、それを油げに吸わせて焼きながら浸透させた物が好物だったりします。旦那は化学薬品っぽい味なので無理と言われてます。


カレーでも体調が悪いと食後に下痢を起こします…何とかルーの種類を変えて、あまり下痢しないルーしか使えません。何回かカレー粉やスパイスでカレーを作った事はあるのですが、やはり市販のルーの方が人気なのでもう諦めました。



あれから数年。今では救急車を呼ぶ前に相談できる番号ができたので、必要に迫られた時はそこに電話しています。

おかげか、ここ数年はお世話になっていないというか、今の家に引っ越してからは読んでないんじゃないかな??


旦那がそう言った感謝?も含め、無趣味だし消防隊員になってみようかと考えていた時期があったのですが、今は飲み会もないと聞いているけど、町内会の祭りで私が役員していた時、最初に水を渡すレベルでビール渡されそうになったり、様子を見に来た(手術前の時期でしたので)旦那が来たら、さっそくビールを渡そうとしてきて、我が家は飲めないんですよ~と言ったら呆れられたので、本当に飲み会がないのか不安になって応募していません…。

あの時私は手術前だったのとてんかんの発作もあったのでお断りしていましたが、基本うわばみというやつらしく、少し上機嫌になるだけで変化は特にないのでもったいないから飲まないタイプです。あっという間に無くなるし。


楽しい気分にはなりませんし、脳細胞を破壊すると医学的見解をどっかで見たので、これ以上減っている脳みそのさらに細胞を減らしたくないかな。

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