第2話 ノックス

 先日の演習から三日が経過した。


 ついに本科進級審査の中間結果が学院の掲示板に貼り出される。

 今のポラリスやセリアが所属しているのはバレンシュタイン魔導学院の基礎科で、一年間魔導に関する基礎的な知識や技術を身に付ける。


 本科に進級するための審査によって約半数の基礎科の学生のみ進級でき、残りは進級できずそのまま学院を去る。

 基礎科の学生にとって大事な中間結果が貼り出される当日にポラリスはいつも通り基礎科の男子寮から出て学院の校舎へ向かおうとする。


 ポラリスは男子寮の玄関を出ようとすると、目の前にいる金髪碧眼の男子学生は手を口元に添えてあくびを漏らしてポラリスの進行方向とは逆の男子寮に戻ろうとする。


 ポラリスは基礎科の男子寮の中に入ってくる学生を見て何をしているのか不思議に思った。

 基礎科の学生にとって本科に進級できる学生が発表される大事な日のはずなのに呑気にあくびをして学生寮に戻っていく男子学生の気が知れない。

 ポラリスは戻ってきた男子学生とすれ違い玄関を出ようとした時、すれ違った男子学生とポラリスは目が合った。けれどそれ以上の事はなくポラリスは男子寮を出た。


「なんだ? あいつ?」


 男子学生とすれ違い様に目が合った時、ポラリスを見る目がわずかに笑っていたのがなぜか頭に残った。


 ポラリスは頭に残る男子学生の目が印象に残るまま学院の校舎に到着した。

 校舎の中に入ったポラリスは学院の基礎科棟の掲示板まで向かう。その途中、ポラリスと同じく本科進級審査の中間結果を見ようと掲示板に向かう学生達がポラリスを見た。


 この十ヶ月、貴族出身の学生から向けられた見下す視線に入学当初は憤怒ふんぬを感じていたが時間の経過とともに徐々に慣れたポラリスは今では周りの学生が向ける視線を気にしなくなった。


 掲示板の方へ向かうとやはり進級審査の結果が気になる基礎科の学生達がすでに掲示板の前に集まっていた。

掲示板の前に集まっている学生のほとんどは余裕がなく落ち着きもない。

ごく少数の学生は周りの学生と違い余裕のある表情や落ち着きのある仕草をしている。


 ポラリスは前者の学生と同じで本科に進級できるか不安で落ち着きがない。

 ポラリスは周りの学生との身分の違いで実技演習の時では大半の学生から疎外されてまともに相手にされなかったのが原因で実技演習の評価が低い。


 だからこそポラリスはどれだけ見下すような言動を受けても我慢して実技演習の時に集団でなぶられるような状況でも実技演習を続けて少しでも評価を上げざるを得なかった。


 掲示板の前まで来るとポラリスは人混みの中で一際存在感を出している女子学生が目に入る。

 ポラリスの視界に入った存在感を放つ女子学生もポラリスが視界に入ったのか、目が合った直後、ポラリスの傍に歩いてきた。


「やっぱりジオグランは落ち着いてるな」

「そう言うあんたは全然落ち着きがないわね」


 ポラリスの傍に来た周りの学生と違い落ち着いて堂々としているセリアは周りの学生と同じ落ち着きのないポラリスを見てくすくすと笑った。


「ジオグランみたいに総合成績が良くないからな」


 セリアは魔導師の名家である二等爵位のジオグラン家の息女だ。

 家柄も素晴らしい上、魔導の才能も基礎科の学生の中でも群を抜いている。そしてなにより人一倍努力している事も知っている。


 だからこそセリアが平民生まれのポラリスと普通に接していても他の学生はポラリスと同じく心無い言動をセリアには絶対にしない。

 そんなセリアに制限時間切れで判定勝ちしただけのポラリスは今度こそ勝利するため、セリアに負けないように努力してきた。


 そんな事を考えていると学院中に始業の鐘が鳴り響いた。

 始業の鐘が鳴り終わると学生達の前にある掲示板全体が淡く輝き出す。

淡く輝き出した掲示板の全体に強く光る線が掲示板の端から端まで走り出し文字を書き記す。


 掲示板の隅々まで文字が書き記されると掲示板の淡い輝きが消えた。

 輝きが消えた掲示板には全七百十二人の基礎科の学生の名前が貼り出された。

掲示板の左側には本科進級審査に合格した学生の名前が、右側には不合格の学生の名前が成績順に並んでいた。


 中間結果が張り出された瞬間、掲示板のすぐ目の前の学生達は貼り出された自分の名前を血眼になって探し出す。

 自分の名前を探す学生達は進級審査に合格した者は歓喜の声を漏らし、不合格だった者は無言のまま重々しい空気と表情を浮かべて掲示板から離れていく。


 ポラリスとセリアは他の学生がすでに掲示板の前を占領していたので掲示板からある程度、離れてしまい自分達の名前が見えない。


「この様子だとしばらくは自分の結果が見れないな」

「そうね。仕方ないけど待ちましょ」


 ポラリスとセリアは掲示板の前にいる学生達が自分の結果を見てその場を去るのを待つ。

 掲示板に貼り出された結果を見て合格できた者も不合格だった者も感情の上下は違えど結果を知った後は掲示板の前から去っていき、ポラリスとセリアの前に並ぶ学生達の列は徐々に減っていく。


 数十分が経過してポラリスとセリアの目の前の学生達の列が半分程度減った時、掲示板の前の列の最後尾に並ぶ一人の学生がポラリスの視界に入った。


「確か、あいつ」


 ポラリスが視界に入ったのは男子寮の玄関で見かけた金髪碧眼の男子学生だった。

 今朝ポラリスが男子寮を出ようとした時、男子寮に戻って来てすれ違った男子学生は掲示板に貼り出されてから結構な時間が経過してから掲示板の前の列に並ぶ。


「どうかしたの?」


 セリアはぼそっと呟いて掲示板から視線を外したポラリスに尋ねると視線を向けた方へ自分も視線を向けた。


「いや、寮から出た時にあいつとすれ違ったんだ」


 ポラリスはセリアも視界に入れた男子学生を見て今朝すれ違った事を話す。


「あぁ、イングラム家の末っ子ね」

「ジオグランはあいつを知ってるのか?」


 ポラリスはセリアに質問するとセリアは溜息を吐いた。


「あんたはもっと他の学生の事を知った方が良いわよ。あの男子学生はノックス・イングラム。一等爵位のイングラム家の子息よ」

「一等爵位⁉」


 セリアはポラリスに金髪碧眼の男子学生——ノックスについて大まかに説明する。


「そう。けど実技演習にはすべて不参加。試験は全て不戦敗。周りの学生から『家柄だけの最弱』って言われてるわ」


 セリアは訝しむ目で見ながらポラリスにノックスの素行の悪さを伝えた。

 ポラリスはセリアの話を聞いていると視界に入っているノックスがこちらを見た。ノックスはポラリスと目が合うと爽やかな笑みを浮かべた。


 ノックスは笑みを浮かべた後、目の前の掲示板の方へ視線を戻した。

 ポラリスはノックスが見せた笑みに頭の片隅で何か違和感を覚えるが、その原因が分からないままポラリスも掲示板の方を見た。

 また数分が経過して掲示板の前にいた学生達のほとんどは結果を確認して去っていった。


 ポラリスとセリアはようやく自分達の結果が見える距離まで掲示板に近付く事ができた。

 掲示板の左上、基礎科の学生の上位成績者の方を見ると掲示板の左の上から二番目には『セリア・ジオグラン』と書かれた文字が見えた。


「やっぱりすごいな」

「まだまだ、これからが大事なのよ」


 学年次席の成績を記録したセリアにポラリスは感心しているとセリアは満足した様子は見せず、すでに次の段階に向かって目標を立てているのが見て取れた。


「それよりあんたは名前見つかった?」


 セリアはポラリスに合格者の欄に名前があるのか尋ねた。

 ポラリスはセリアが尋ねる少し前から自分の名前を探していたが今回合格した学生、三百五十六人の名前の中に自分の名前があるか探すのに苦労していた。

 中間結果の合格者の学生の名前欄を全て見終わったポラリスは唖然とした。


「……ない」


 合格者の学生の欄にポラリスの名前がなかった。

 ポラリスはすぐに掲示板の右側、中間結果で不合格者の欄を見た。


 不合格者の学生の欄の一番上に『ポラリス』と書かれていた。

 ポラリスは自分の名前を見つけた直後、下を向いて奥歯を食いしばる。

 ポラリスは学院に入学して十ヶ月近く努力し続けた。どれだけ周りの学生から心無い言動に晒されても、どれだけ周りから努力する姿を嘲笑されても努力し続けた。


 本科へ進級して次の段階へ進むため、そして『憧れの存在』に追い付くため、誰からも認められる人間になるために努力し続けた。


 けれどその努力は実らなかった。


 セリアは悔しさを滲ませるポラリスを見て何を話せばよいか戸惑った。

セリアは再び右側に書かれたポラリスの名前を見て何かに気付いたような表情を浮かべた。


「ちゃんと掲示板を良く見なさい! 名前の隣を見て!」


 セリアは通過できなかった学生の名前の隣に書かれた数字を見るように告げた。ポラリスの名前の隣に書かれた『二十一』という数字が書かれている。

 掲示板の右側に注意書きには『本科進級審査の中間結果において不合格者の上位五名のうち最終結果が掲示される前日までに以下の得点を獲得した者のみ本科へ進級する事を認める』と書かれていた。


「まだあんたにはチャンスはあるわ! 諦めるなんてあんたらしくない!」


 セリアはその注意書きを指差してポラリスを鼓舞した。

 セリアの鼓舞する言葉を聞いたポラリスは依然と奥歯を食いしばったまま下を向いている。


「……それ、本気で言ってるのか?」


 下を向いているポラリスはそのままセリアに話しかけた。


「周りの学生はオレがいなくなるのを心から望んでる。あと二十一点なら誰かに決闘をすれば一週間後の最終結果の時には間に合う。けどオレがいなくなるのを望んでる学生達がオレの挑んだ決闘を受諾すると本気で思ってるのか?」


 ポラリスは自分を鼓舞してくれたセリアを睨んだ。

 ポラリスが置かれている状況が変えようのない事をポラリスが一番身を持って痛感している。


「じゃあこのまま進級するのを諦めるの⁉ わたしと約束した決着を果たさないまま学院から去るって言うの⁉」


 セリアはポラリスから睨まれポラリスの言った状況を聞いてつい声を荒げてしまった。

 セリアはポラリスと本科に進級して決着をつける約束を果たさないまま学院を退学する事が心底許せないらしい。だからこそセリアはポラリスが進級しない選択に異議を唱えた。


「だったら何か他に方法があるのか? オレと決闘を挑む相手は誰もいない。あと一週間の間に得点を獲得する術はない。この状況でどうやったら点数が取れるのか教えてくれよ?」


 ポラリスはセリアを睨みながら冷たい口調で変えようのない現状をセリアに告げた。


「だったらわたしが決闘を受諾する! それなら問題ないでしょ⁉」


 セリアはポラリスに決闘を受諾すると声を荒げて伝えた。


「それができるなら最初からジオグランに頼んでる」


 声を荒げて説得するセリアにポラリスは冷たい口調のままセリアが指差した注意書きのすぐ下をポラリスは指差した。


「『ただし進級審査に通過した成績上位十名との決闘を禁ずる』。つまりオレが進級する事は絶対にない」


 ポラリスが注意書きの続きを述べるとセリアは先程まで声を荒げていた様子から一気に口を閉じて黙ってしまった。


「もういいだろ? ジオグランとの約束は果たせない。オレはここまでだ。だからオレの事は気にするな。ジオグランなら首席で卒業できる才能があるんだ。だから——」


 ポラリスは最後だからと無理して明るい表情でセリアと話そうとした時、セリアは瞳が潤んで頬に涙が流れた。

セリアは振り返りそのままポラリスから走り去った。


 セリアが去っていく後ろでポラリスは何も動かなかった。

 動けなかったと言った方が正しいのだろう。

 いつもは勝気なセリアが初めて見せた悲しい表情を見て、どうしたらいいのか分からなくなった。

 ポラリスはそのまま立ち尽くすと後ろから足音が聞こえる。


「なかなか面白いものを見せてもらったぜ」


 後ろから声がするとポラリスは声が聞こえる後ろを振り返る。

 振り返るとポラリスの視界に映ったのはこちらに歩み寄ってくるノックスの姿だった。


「オレに何の用でしょうか? ノックス殿?」


 ポラリスは鋭い三白眼の視線をノックスに向けていつも他の貴族の学生と接する時の口調で話しかけた。


「別にそんな丁寧な喋り方でなくていい。どうせ俺はこのままだとお前と同じで本科に進級できないからな」


 ノックスは爽やかな笑みを浮かべながらポラリスに話しかけた。

 ポラリスはノックスの浮かべている笑みは今まで出会った他の貴族出身の学生達とは全く違う裏を感じさせる雰囲気を醸し出していた。


「オレと同じ進級審査に通過できなかったあんたが何の用なんだ?」


 何か隠しているノックスに対してより一層眼光が鋭くなるポラリスは先程よりも不躾な言葉遣いで話す。


「俺と決闘しないか?」


 ポラリスは耳を疑うような言葉をノックスが口にした。


「ユーモアの欠片もない冗談はやめろ」


 ポラリスはノックスの発言を聞いた直後、威圧感を含んだ声音でノックスに苦言を呈した。


「冗談じゃない。本当に決闘を挑んでるんだ。今のお前には好都合な条件のはずだと思うが?」


 爽やかな笑みとは裏腹にノックスの瞳は威圧感をはらんでポラリスを見つめた。

ノックスの威圧的な瞳にポラリスはさらに眼光を鋭くした。


「まあ、確かにこの条件だけだと俺に何の得もないからな。不審に思うのも無理はない。ここからが本題だ。決闘の点数とは別に、俺が決闘に勝利したら俺の言う事を一つ聞いてもらう」


 ノックスは瞳だけでなくポラリスに冷たい笑みを向けた。その表情は他の学生と違い人を嘲笑するようなところが全くなく純粋に人を気圧す冷たい笑みだった。


「お前の言う事を聞くだと?」

「そうだ。それならお互いメリットがある条件だ。お前が勝てば進級審査に合格できる。俺が勝てばお前が一つだけ俺の言う事を従う。これなら不審な点なんてないだろ?」


 ポラリスはノックスの胡散臭い条件を訝しむ。しかしノックスの他に決闘で戦う相手がいない事実は変わらない。

 これはポラリスにとって進級するための最初で最後のチャンスだ。


「決闘を受諾するなら午後五時に第二闘技場の対戦場フィールドに集合。これでどうだ?」

「分かった。お前が何を企んでるか知らないが、その決闘を受諾してやる」

「交渉成立だ」


 ポラリスはノックスが申し込んだ決闘を受諾した。ノックスの決闘を受諾した瞬間、ノックスはほんのわずかに口角を上げたように見えた。

 その時、ポラリスはまたノックスの言動に得体の知れない違和感を覚えた。


「そういう事だから午後五時になったら第二闘技場に来いよ? ポラリス」


 ノックスはポラリスに話し終えるとノックスは振り返りポラリスから離れていった。

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