第7話 訪問者
クラウディアは夜中に目を覚まして、襲ってきた吐き気をどうにかやり過ごしていた。五日前の夢に魘されて声をあげてしまったが、周囲で眠る子どもたちは起こさずに済んだようだ。
孤児院に逃げ込んで五日。追手は姿を現していないが、クラウディアの心も身体も限界だった。
「アル、助けて……」
不誠実な婚約者の名前が無意識に口から零れ落ちる。頭には何度も浮かんでいた言葉だが、最後の矜持で口にだけは出していなかった。それなのに、ついに失敗してしまった。
「別にどうってことないわ」
アルフレートの腕をとる聖女カタリーナの姿が脳裏に映る。カタリーナはこちらを見て馬鹿にするように笑っていた。お前は捨てられた。そう言いたいのだろう。
「大丈夫、ただの政略結婚だもの。気にする必要はないわ。むしろ、アルフレートなんて大ッ嫌いだもの」
いつの間にか溢れ出てしまった涙を乱暴に拭う。クラウディアは壊れた指輪を抱え込むように丸まって、夜が明けるのをひたすら待った。
……
部屋が明るくなって子どもたちが起き出すのを、クラウディアは横になったままぼんやりと眺めていた。最初の数日は声をかけてくれる者もいたが、今は心配そうに視線を寄越すだけだ。
クラウディアが起きる気力もなくぐったりしていると、孤児院の院長が子どもたちと入れ替わるように部屋に入ってきた。
「クララ。具合が悪いのにごめんなさいね。あなたに会わせたい人がいるの。部屋に入って頂いても良いかしら?」
クラウディアは返事をする気力もなくて小さく頷く。院長が扉の外に声をかけると誰かが静かに入ってきた。
「この子ですか?」
聞き覚えのある声にクラウディアはゆっくり顔を上げる。
「そうなんです。不躾なお願いで申し訳ありません」
院長の声を聞きながら扉の方を見ると、見慣れた空色の瞳と目があった。クラウディアは突然の再会に驚いてしまう。
向こうも動揺したように銀髪をかきあげていたが、クラウディアが口を開こうとすると慌てた様子で魔法を発動した。
その瞬間、クラウディアのすべての動きが強制的に止められる。口を開くことは愚か、表情を変えることすら出来ない。院長は身分の高い相手に緊張気味で、クラウディアの様子に気づいていない。いや、その辺りも魔法の影響か?
「院長の気持ちはよく分かります。確かに貴族のご令嬢かもしれませんね」
クラウディアは、助けを求めようとした相手に自由を奪われてパニックになった。泣き喚いて理由を問いただしたいが、それも魔法で許されない。
「それで、公爵様にご助力頂けないかと思いまして……」
「分かりました。とりあえず、私が保護しましょう」
アルフレートが空色の瞳を細めて余所行きの笑顔で言う。
保護?
クラウディアの心臓がドクリと音を立てた。今まさにクラウディアの自由を奪っている相手に『保護』されたらどうなるのだろう。五日前のことを思い出して悪寒が走る。身体が自由に動くなら震えだしていただろう。
「公爵様、ありがとうございます。クララ、公爵様は小さい頃からこの孤児院を支援して下さっている立派な方です。安心してお世話になりなさい。きっと、すぐに元気になるわ」
院長は嬉しそうにクラウディアの手を握る。目に涙を溜めていて、とても行きたくないとは言えない。どちらにしろ、声を出せる状態ではないが……
「具合が悪そうですし、すぐに屋敷に運んで医者に診せましょう」
「よろしくお願いします」
「クララ。馬車に乗って屋敷に移動しょう。私が運ぶけど良いかな?」
アルフレートが久しく聞かない優しい言葉をかけてくる。クラウディアは逆に恐ろしくなったが、抵抗もできずに抱き上げられた。
アルフレートにガッチリ抱きしめられたところで、身体に自由が戻ってくる。
「暴れるなよ」
アルフレートが耳元で低く囁くので、クラウディアは震えながら頷いた。よく知る温もりに包まれているのに、ちっとも安心することができない。
ただ、魔法に秀でたアルフレート相手に抵抗しても無駄なことは、クラウディアが一番良く知っている。クラウディアは逃げ出すのを諦めて、アルフレートの腕の中で力を抜いた。
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