第5話 暗闇の中で
クラウディアはぼんやりと午後の授業をやり過ごして、北棟の二階にあるフロレンツ専用の部屋に来ていた。ここは、留学してしまったフロレンツがクラウディアの為に残しておいてくれた避難場所だ。去年までは机の上にうず高く積まれていた決算書類や陳情書はなく、すっきりとした部屋が少し寂しい。
いつもなら敵だらけの学園からはすぐに出るが、今日は帰ってもリタがいない。王宮も敵だらけになっている可能性がある。
「でも、リタにも休みは必要だもの」
クラウディアは自分に言い聞かせる。
リタはあまり裕福ではない伯爵家の令嬢だ。祖父が作った借金があるらしい。本人曰く、最初はお金のために根性でクラウディアのそばにいたが、今では本当の味方になってくれている。昨晩、リタの母の体調が悪いと連絡が来て、クラウディアが強引に休みを取らせたのだ。伯爵領は行くだけでも半日かかるので、今回は普通の休みと違い、しばらく帰ってこれない。
「大丈夫。わたくしはクラウディア・ドラードだもの」
クラウディアは胸を張って王女らしく部屋を出る。帰る決心がつくまで時間がかかったせいで、辺りは暗くなっていた。眩しいくらいに灯っているはずの廊下の明かりが少ない。北棟は使うものが少ないので、故障に気づいていないのだろうか。
「誰もいないわ」
クラウディアは人気のない学園の廊下を一人歩く。王女が予定より帰りが遅いのに、誰も探しに来てくれない。使用人に嫌われているからだろう。いつものことなのに、暗い廊下が気持ちを落ち込ませる。
「わたくしが誘拐されても、犯人の要求があるまで気づかないんじゃないかしら」
呟いた言葉はクラウディア・ドラードらしくない。クラウディアはそれに気づいて自嘲気味に笑った。
誰かに弱音を吐き出す勇気があれば、何か変わっていただろうか。クラウディアは無意識にアルフレートから二年前に贈られた指輪に触れる。あんなに邪険にされているのに、心の拠り所にしている自分が情けない。
「何?」
ゾクリと寒気がして振り返るが、歩いてきた廊下には誰もいない。隣の棟の窓に守衛の姿を確認してホッと息を吐いた。孤独から神経質になっているらしい。
「わたくしったら、馬鹿みたい」
先程より元気な声が出て、クラウディアはホッとする。こんなことでへこたれるような軟な性格はしていないはずだ。いつもより早足になっていることには気づかないふりをして階段を降りた。
チリッ
突然、付けていたネックレスの鎖が熱を持った。それに気を取られていると、目の前に黒いローブを着た者が二人現れる。フードを目深に被っており、性別さえ分からない。
「行く先を塞ぐのは失礼ではなくて? まさか、わたくしの事を知らないのかしら?」
クラウディアは声が震えないように気をつけながら睨みつける。
「我々の姿を認識しているのか」
背の高い方が驚いたように声をあげた。魔法で声を変えているのか、言葉は分かるのに声色を認識できない。
「関心している場合じゃねぇよ。早く終わらせるよ」
「申し訳ありません」
クラウディアが固まっているうちに、背の高い方がもう一人に謝罪しながら黒い靄を放った。慌てて闇魔法で身体を守るが、間に合わない。
「あれ?」
まともに攻撃を受けたと思った。それなのに痛みも苦しみも何も襲って来ない。
「厄介だね」
その声で我に返ったクラウディアは、唯一使える闇魔法を次々に発動していく。闇魔法は守りに適した魔法だ。
大丈夫。大丈夫。これで防護はできる。
「どうします?」
「面倒だ。一気に行くよ!」
その声とともに目の前が強い光に包まれる。張っていた闇魔法の壁が次々と割られていく。クラウディアは必死で闇魔法を発動しながら、それを感じていた。いくら防御を張っても割られる方が早い。
もう無理……
そう思った瞬間に、付けている指輪に飾られた宝石が嫌な音をたてた。熱を持ったと思ったら細かく砕け、水のように蒸発してしまう。
クラウディアは驚いたが、感傷に浸る時間はなかった。闇魔法の守りを失い、敵の魔法がまともに身体にまとわりつく。痛みはないが、本能が危険だと知らせている。このままでは……
死にたくない!
クラウディアはただそれだけだった。残っている魔力を闇魔法に変えて、襲ってくる光にぶつける。最初は抑えるだけだったが、さらに強引に身体から魔力を引き出すと、押し返すように、どす黒い炎が相手に向かっていった。
「ぎゃあ!」
敵の一人が恐ろしいうめき声を上げた。眩しい魔法が打ち消され、敵の姿を目視出来るようになる。小さい方の敵が指先から肘までを包む黒い炎を消し去ろうと藻掻いていた。
クラウディアは自分でやったことが恐ろしくて、魔法を撃つのを止めて呆然と見つめた。
「なんだこれは!」
背の高い敵が声を上げて、小さい方の敵に慌てて駆け寄っている。小さい方の敵が黒い炎に包まれた腕を背の高い敵に伸ばした。
「えっ……」
その小さな動作だけで小さい方の敵の炎が消えた。代わりに背の高い敵が黒い炎に包まれる。背の高い敵は自分に何が起きたか分からないようだったが、一拍遅れて苦しみ出した。クラウディアには何が起きているのかよく分からない。
身代わりにした?
「たす……け……」
小さい方の敵は疲れた様子で尻もちをついて、背の高い敵をただ眺めていた。腕の炎は消えているが、近くにいるクラウディアの事は忘れてしまったかのようだ。
今しかない。
クラウディアは慌てて身体全体に闇魔法をかけて姿を消した。なぜかとても大きく感じる靴をその場に捨てて、制服の裾を持ち上げながら後方に走り出す。
「ぐぎゃぁぁぁ――……」
背後から断末魔の叫び声が聞こえる。クラウディアはそれに怯えながら、振り返らずにただ走り続けた。
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