依頼

 原因不明の妙が発生してから三週間が経過した。


「ついに5000件を超えたそうですよ。ありゃ一体なんでしょうねぇ」

 ナツキがカップに注がれたコーヒーをすすると、ドーナツがホロホロと崩れる。

「あぁぁっ!!! 唇が溶けていくぅ!」

「唇という概念があったことに驚いているのだが」

「なんて言い草ですか! ドーナツ差別で訴えますよ!」

「どういう判決が下されるか興味があるね」

「まったくもう、ああ言えばこう言う。早く直してください」

 やれやれと鴨原は冷蔵庫で冷やしていたドーナツで修復を試みる。

「ひゃぁ──冷たっ!」

「我慢するんだ」


 苦戦を強いられたが何とか輪っかの姿を取り戻した。

「ありがとうございます……んんっ? ちょっと色が違いませんか?」

「揚げ具合にもよるから仕方がないだろう」

「ちぐはぐな色で元に戻ったらどうするんですかぁ!」

「口紅を塗る手間が省けたということで妥協してくれ」

「うわぁーーん、あんまりだぁ!」

「自分で自分を食べれるか実験してみたり、コーナリングを極めたり、むやみな行動を控えるべきだ」

「だってだって気になるじゃないですかぁ……ドーナツ生活をポジティブに送るための知恵なのに……鴨原さんは血も涙もないですね」

 ホワイトチョコが溶けて悲しみの白い涙が流れる。


 それでも電話が鳴ると、

「こちら鴨原探偵事務所! 新たな妙が出現!? 場所は──はい、すぐに向かいます」

 すぐに仕事モードに頭を切り替えるのがナツキの良い所だ。


 妙発生の報告を受けて訪れたのはオフィス街。

「あれぇ~この辺りのはずですけど」

 外回りのサラリーマンと駅構内で発生した靄の妙が点々といるだけで、新たな妙は発見できない。

 ナツキがスマホの液晶画面を転がって依頼主にコンタクトを試みる。

「ダメですね。おかけになった電話状態です」

「どうやら無駄足だったようだね」

「ぐぬぬぬ……また悪戯ですか。最近多すぎません!? さすがのナツキちゃんも切れちゃいますよ」


 冬将軍の討伐以降、鴨原探偵事務所には怪文書や悪戯電話が相次ぐようになった。

 電話口でインチキと罵られたり、自分は一生冬でよかったと無茶苦茶言われることもある。


「鴨原さぁーん。そろそろ電話での依頼は禁止しません?」

「妙が絡んでいるとなれば無視できない」

「鴨原すわぁーーん……」

「あれだけ事務所の前で張っていたマスコミも今となっては見る影もない。悪戯電話だってすぐになくなる」

「愚痴られるナツキちゃんの身にもなってくださいよぉ」

「今度のボーナスは弾むよ」

「よっしゃぁ!」

 お金のことには目がないナツキだが、ドーナツのままでは満喫できないことを思い出して『ドーナツ化現象』の原因究明を急かすのだった。


 せっかく遠出したのだからと鴨原はオフィス街の靄の調査を始める。

 燦々さんさんと降り注ぐ暴力的な太陽を気にも留めず、鴨原は一心不乱に観察を続けた。

「各地で報告されている妙と比べても大同小異だ」

「だいどーしょーい?」

「似たり寄ったりということだ」

「にたりよったり?」

「……もういい。この話は止めにしよう」

「あーん、冗談じゃないですかぁ。ナツキちゃんジョーク。それよりもお茶にしません? 暑くてまいっちゃいますよ」

「いや、ナツキ君。自分の体に違和感はないのかい?」

 コーティングされたホワイトチョコはアスファルトに溶けだし、甘い匂いに誘われたアリたちがナツキの体をせっせと運び出している。

「ぎゃああぁぁっっ!!! ヘルプ!! ヘルーーープ!!」

 鴨原はナツキを摘まみ上げてアリを手で払う。

「左のふともも、まだ噛まれてます」

「全然わからん」

「コラーッッ!! そこはおっぱいでしょうが!」

 四苦八苦しながらアリの排除に成功した鴨原は、ナツキを連れて近くの喫茶店に移動した。


「アイスコーヒーをお願いします」

 注文を取りに来たウェイトレスはドーナツを見つけて怪訝そうな顔をする。

「申し訳ございません、お客様。食べ物の持ち込みは──」

「食べ物じゃありませんよー。冬将軍を倒したでお馴染みの鴨原探偵事務所のスーパー助手ことナツキちゃんです。以後お見知りおきを」

「し、失礼しました」

 ペコペコと頭を下げて引き上げていくウェイトレスを鴨原は申し訳なさそうに見送った。


「ナツキ君……突然喋りかけて反応を楽しむのは感心しないね」

「ドーナツだからこそ出来る遊びですからね。少しくらいはご愛嬌ってことで」

 これ以上の混乱を生まない為にも早く『ドーナツ化現象』を解決しようと誓った。


「妙についての収穫はなさそうですねぇ」

「ここまでアクションがないとかえって不気味だ」

「最初はこの世の終わりみたいな報道がされてたのに、今となっては誰も気にしてないですね」

「無害だからといって放置しておくわけにもいかないだろう。妙が増え続ければ交通にも支障をきたす。一つずつ消して回るのも……」

 鴨原は運ばれてきたアイスコーヒーに口を付けようともせず、自分の世界に入り込んでしまう。


 そんな光景に「そうだ!」とナツキが声を上げた。

「今日は金曜日……ホワイトチョコも冷えてきたことだし、早めに切り上げて飲みにでも繰り出しますかぁ!」

「成人年齢は18歳に引き下げられたが、お酒は20歳になってからだよ」

「ナツキちゃんはお酒を飲みません。賑やかし担当です!」

 察しの良い鴨原は、根を詰めすぎている自分への配慮だということに気付く。

「たまには悪くないかもしれない」

「でしょー! そうと決まったら──」


「悪いが前言撤回だ」

「なぜぇ!?」

「妙に動きがあった」

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