妙
ドーナツを胸ポケットに忍ばせた怪しいおじさんとして、電車内の視線を独占した鴨原。
「やはり目立つな」
グイグイと手で奥に押し込もうとすると、「痛い痛い!」とナツキが悲鳴を上げる。
足早にホームを抜けた鴨原の背中は嫌な汗で濡れていた。
「今からでも遅くない。帰ってくれ」
「嫌です。道中で拾い食いされたらどうするんですか」
「だったら鞄の中でジッとしているんだ」
「それでは助手としての役目が果たせません」
千の言葉を用いて自分の有用性を説いてくるナツキに、鴨原は根負けした。
甘い匂いを漂わせながら新宿駅構内を歩いていると、規制線が張られた一画を発見する。
「はいはーい、通してくださーーい」
ざわめきだすギャラリーたち。
「ふふっ、なんだかんだで鴨原さんの人気は健在ですね」
この反応はドーナツが喋っているからだと指摘するのは野暮なので、鴨原は黙って規制線をくぐった。
冬将軍の一件以来、妙の現場に限っては鴨原に特別な権限が与えられている。
規制線の中央にいたのは人の形をした
「妙ではあることは間違いないようだが……」
冬将軍やドーナツ化現象のように名前と姿かたちがリンクしていれば特定は容易だが、全ての妙に当てはまるわけではない。
皆目見当がつかない中で、鴨原は妙に手を伸ばす。
「実体はない……煙の中に手を突っ込んでいるようだ。そして無臭」
臆することなく調査する鴨原に刑事たちは若干引いている。
「発見されたのはいつですか?」
「今朝の8時30分に突如としてこの靄が現れた様子が防犯カメラに記録されていました」
「となれば様子見ですね」
「えぇっ、退治しないんですかぁ!? こんなの掃除機で吸い込めば一発ですよ!」
「無害な妙も存在する。強硬策に出て恨みを買うよりも、まずは目的を見定めたい」
ドーナツと会話する鴨原に刑事は目を白黒とさせる。
「規制線はこのままで。それと不用意に手は出さないようにお願いします」
緊急性が低いと判断して、現場の写真を幾つか撮ってその場を後にしようとしたその時、
キャーーーーッッ!!
「あっちです!」
胸ポケットから飛び降りたナツキは、ドーナツのサイズを活かして人垣に苦戦することなく床を移動する。
鴨原は人の波を縫うように進んで悲鳴の出所に急ぐ。
ナツキが急ブレーキをかけた先にあったのは、先程と同じ黒い靄。
「か、鴨原さん! あっちにも!」
そこだけでなく、妙は現在進行形で増え続けている。
至る所から妙の出現を報せる悲鳴が響く。
駅構内だけではなく全国各地で同様の妙が現れていることを、鴨原はまだ知らなかった。
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