夜が明けて

「兄さん!」


 一般人であればまず敷居を跨げないほどの高級宿は、現在特例として傷病者の療養施設となっている。


 昨日まで奴隷だった女性は、その一室に入るなり、中のベッドに横たわる男性に駆け寄った。


「ベル! 無事だっ、たぅぐ……」


 兄さんと呼ばれた体の大きな男は、包帯まみれの上半身を起こすと苦悶の表情を浮かべた。


「ちょっと! 安静にしてなさいよ!」


「う、うるせぇ! こんな傷大したことねぇよ!」


「ウソつき! 死んでたかもしれないって言われたんだから! どうしていつもいつも、無茶ばっかするのよ!」


 目に涙を浮かべる妹を前に、バツが悪いように視線を落とす男。その元に、ベルの背後で様子をうかがっていたシエルが近づいた。


「命が危なかったというのは、本当ですよ? 今もまだ峠を越えたばかりなのですから、お体を大事にしてください」


 シエルは『リカバー』を唱えて男を回復する。自分の体が優しい光に癒されていくのを感じながら、男は再び横になる。


「……悪かったよ。ところで、あんたがベルを救ってくれた冒険者か? ありがとな」


「いえ、私は……。妹さんを助けたのは、マーカスさんです。お礼なら、彼に……」


 シエルは悲しそうに笑うも、当のベルは首を横に振って否定する。


「何言ってるのよ! ボロボロだった私を回復してくれたのはシエルさんでしょ? シエルさんだけじゃない。ハザクラさんも、アグロさんも、この街で戦ってくれた冒険者さんたちも全員、私たちの恩人なんだから!」


「だな。あんたたちのお陰で、ガーメッツとかいうクソ商人も捕まったんだろう? 俺だけじゃなく、ベルの傷も治してくれたそうだし、感謝くらい送らせてくれ」


「……ありがとうございます」


 それから暫く、室内では他愛のない話が続いた。そして兄の容体が思ったほど悪くないことを確認したシエルは、無理をしないよう言い含めてから退出するのだった。


「ふう……。あ」


「お疲れ、シエル」


 そこに丁度、他の傷病者を回復させていたマーカスと付き添いのハザクラが現れた。マーカスもまた、シエルほど得意でない回復魔法を多用していたはずだが、その顔に疲労の色は見えない。


「……マーカスさんも、お疲れ様です」


「ああ。……大丈夫か? 何だか調子が悪そうに見えるけど」


「シエル殿は傷の深い者の治療に回っていたな。気張りすぎたのではないか?」


「い、いえ、大丈夫です。少し気が抜けたと言いますか、安心しただけですから」


「ウソつけよ」


 とそこで、シエルの背後から男の声が上がる。突然の声にシエルは驚いて振り返る。


「アグロさん!?」


「分かりやすく落ち込むくらいなら、正直に話しちまえよ」


「アグロ殿、どういうことだ?」


 ハザクラの問いにアグロは答えない。二人の視線は自然と、シエルに向かった。


「私、任せっきりでした」


「シエル殿? 何を――」


「待ってハザクラ」


 マーカスが黙って先を促すと、シエルはゆっくりと続けた。


「今回の任務、情報集めも、戦いも、私はほとんど役に立てませんでした。ずっと一緒に行動していたのに、私はただ、皆さんの後を追うばかりで、ほとんど何も……」


「そ、そんなことはないぞシエル殿! 回復魔法を扱える者が側にいるだけで、我らがどれだけ安心できるか!」


「回復魔法は、マーカスさんも使えます。それに、薬草を用意すれば、自分で回復することもできますよね?」


「そ、それは……」


「それに、パーティーの中で一番打たれ弱いのも私です。最後列にいるのに、広範にわたる攻撃を受けたときに一番傷が深いのが私ですから。そのせいで前にいる皆さんに心配をかけてしまっています」


「時にはマーカスさんに回復していただくこともありました。役に立つどころか、足を引っ張ることの方が多くて、私は……」


 シエルの目に、涙が浮かぶ。


「私は、自分だけじゃ魔物もたおせないで、だ、誰かが傷ついた時じゃないと役立たずで、なのに傷つくのは自分ばかりで、私、……っ」


 そこからは言葉にならなかった。顔を覆ってしまうシエルに、一同もまた何も言えない。

「……ごめんなさい。こんな場所で取り乱してしまって」


「い、いや……」


 目を腫らしたシエルに、ハザクラは曖昧に返す。その隣で視線を落としていたマーカスは、一度頷いてから、シエルを真正面から見た。


「話してくれてありがとう。こっちこそごめん。シエルの悩みに気づけなくて」


「マーカスさんが謝る必要はありません。私が……不甲斐ないというだけですから……」


「……それで、シエルはどうしたいんだ?」


「え?」


「自分が役に立つとか、足を引っ張るとか、そういうことは抜きにして、シエルはこれからどうしたいんだ?」


 戦闘中と同じくらい、あるいはそれ以上に真剣な眼差しを向けられたシエルは、戸惑いつつも言葉を洩らす。


「わ、私は、マーカスさんやハザクラさんたちと一緒にいたいです。でも、今の私にはその資格が――」


「資格ならあるさ」


 決して大きくはない、しかし芯のある言葉が、シエルの震える声をかき消した。


「俺たちと共にいたいって気持ちがあって、確かな実力も、信頼もある。十分すぎるほどだろ?」


「そんな……実力なんて、私には……」


「……俺たちの仕事は、魔物をたおすことだけか?」


「え……?」


 虚を突かれたように、シエルは目を丸くする。マーカスは口元をほころばせた。


「違うよな? シエルも言っていたけど、時には情報を集める必要もある。戦いだけが全てじゃない」


「でも、私は情報集めでも何も……」


「でも、怪我人の治療はシエルにしかできなかった」


 そうだよな? と言う風に視線を送ると、ハザクラは力強く頷く。


「そんなことありません! 回復魔法なら、マーカスさんだって」


「確かに使えるな。だけどシエルほど得意じゃない。昨日、ベルさんを助けられたのはシエルだけだった」


「そ、それは……マーカスさんたちが魔物を引き付けてくれたからで」


「いいや。もし俺の代わりに誰かが戦ってくれていたとしても、俺じゃああの傷は治せなかった」


「それだけじゃない。あれだけの数の人を回復させることも、その後でも俺たちと一緒に行動して、魔物との戦いで仲間が負った深い傷を癒すことも、シエルじゃなきゃできないことだった」


「………………」


 何も言えないシエルに対し、マーカスは真剣な表情に戻って語り掛ける。


「シエル、俺たちは完璧じゃない。だからこそ隊を組んだんだ。俺は治癒に関してはシエルに敵わないし、一対一の戦いじゃハザクラに負け越してる。悪く言うなら、中途半端だ」


「ハザクラも魔法を一切扱えないから、一度でも大きな傷を受けたらそれ以上戦えなくなる」


「ふっ、そうだな」


 ハザクラは苦笑いする。


「だけどシエルがいれば、俺じゃ治せない病も治せるし、ハザクラも戦いを続けられる。だからシエルは、俺たちの隊に必要なんだ」


 マーカスの言葉に、シエルは再び目に涙を浮かべた。


「……本当に、いいんですか? わ、私、また、足を引っ張ってしまうかもしれないのに……」


「気にするなよ。俺だって何度も足を引っ張ってるんだから」


「はっはっは。マーカス殿が言うと説得力が違うな」


「あ、おい! そこは否定するところだろ!」


「事実を述べたまでだ」


「……強敵相手に無茶して大怪我してたのは誰だったっけ?」


「あ、あれは死中に活を見出そうとしてだな……」


「……ふふっ」


 二人のやりとりを見たシエルが笑みをこぼす。そして彼女は涙を拭うと、深く頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしてごめんなさい。そして、ありがとうございました。改めて、これからもよろしくお願いします!」


「ああ!」


「うむ!」


 かくして、マーカス隊の結束は一段と強いものとなった。その様子を見届けたアグロは満足げに頷く。


「どうやら、お嬢ちゃんの悩みは解決したようだな。良かった良かった」


「あ、アグロさんも、ありがとうございました。切っ掛けを与えてくださって」


「気にすんな。一緒に戦った仲間のよしみってやつだ。それにm今お嬢ちゃんに隊を抜けられると困るんでね」


「アグロ殿? それはどういう……」


「おっと。ま、そのワケは近々分かるさ」


 そう言って、アグロはその場を去っていく。残されたマーカス隊の三人は、不思議そうに顔を見合わせた。


◇ ◇ ◇


(そうか、アグロは仲間になるんだな。ゲーム内じゃ微妙だった技もこの世界でなら有用かもしれないし、人数が増えるのは素直にありがたいな)

(マーカス殿は今回、戦闘面に関しては大活躍だったからな。何がきっかけかは分からぬが、大化けしたマーカス殿の言葉だ。きっとシエル殿の心にも響いているだろう。私もうかうかしていられぬな)

(少し弱気になってしまいましたけれど、必要とされていることが知れて良かったです。きっとマーカスさんも、以前は同じ気持ちだったんでしょうね。私もマーカスさんのように、精進しないと!)

 マーカスはあくまでシナリオの流れとして口にした言葉という認識であったが、頼りなかった彼を知っている二人は、非常に強く心を動かされたのだった。

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