玉座の間にて

 ローゼビスタは、玉座の間で優雅に礼をする。

「魔王オーデギスタ様、ただいま戻りました」

「うむ」

 ズン、と。

 質量を持っているかのような声が、顔の隠れた魔王から放たれた。それはたった一言ではあったが、この広い空間に満ちる張り詰めた空気の上から、更に重石のようにのしかかる。その場に居合わせる者の緊張は、強制的に一段階強くさせられた。

「ご苦労であった。だがローゼビスタよ、本来であればまだ暫く、人間界に留まっているはずではないのか?」

「その予定でしたが、残念ながら緊急の問題が発生しまして」

「ひゃひゃひゃ! 正直に魔界が恋しかったと仰ればよいではないですか」

 二人の会話に、しわがれた声が割って入る。ローゼビスタは、ふう、とため息をついて、頭部が異様に大きい老人、サブラクを横目に見た。

 サブラクは髭のような触手を細長い指で弄びながら、にやにやと笑みを浮かべている。

「人間界の交易都市、セブンブリッジの攻略は順調です。人間の奴隷を使った島の要塞化もつつがなく進んでおります。大方、何もすることがなくて戻ってきたのでしょう」

「順調? 笑わせないでくれるかしら? 頭でっかちの賢者さん」

「な、なんですと!?」

「あんな街を攻略することくらい、すぐにでもできるはずよ。なのに現場の魔物たちは船の邪魔をしたり奴隷を働かせたり、まだるっこしいことをしてばかりで、直接的な侵略行動は一切してなかったわ。私が尋ねてもサブラクの指示だとの一点張りで埒が明かないし。一体あなたは何を考えているのかしら? サブラク」

 責めるような質問に、しかし、サブラクは笑って答えた。

「ひゃひゃ! 何を仰るのかと思えば、浅慮を晒す物言いですな。表立って動けば、冒険者共が黙っておりません。侵略に成功したところで、街はすぐに奪還されてしまうでしょう。そうではなく、その街の人間を操り、裏から支配するという形にする方が効率的なのです」

「既に冒険者共は動いているわ。その度に魔物が大勢狩られている。あなたはこの被害については無視するというの?」

「ほう、そうなのですか? 私の配下には被害は出ていないようなので、気づきませんでしたよ」

(よく言うわ……。自分の勢力下にいない海の魔物たちを窮地に立たせて、影響力を強めたいだけでしょうに)

 悪知恵だけは働くサブラクに、ローゼビスタは嫌悪感を抱く。ただ、実際に街を内部から制圧するという作戦は、彼女から見てもそれなりに上手くいっているようだった。ローゼビスタに率いられる形でムシクら魔族に魅入られし者が配置される前であれば、正面からの制圧は戦力的にも厳しかったことに疑いはない。そういう意味で、彼は上手くやっていると言えた。

 問題は、サブラクが本気でセブンブリッジを攻略するつもりがないことだ。それを正面から糾弾することはできないことを、ローゼビスタはもどかしく思った。

(もう少し責めたかったけど、仕方ないわね)

 彼女が本題に移ろうと魔王に向き直った時だった。

「失礼いたします! 至急、お耳に入れたいことが!」

 玉座の間の大扉を挟んで、切羽詰まった声が中に届いた。

「許す」

「はっ! 扉を開けよ!」

 魔王の言葉に、部下が扉を開く。その先で三体の魔物が、片膝をつき頭を下げていた。

「ありがとうございます。実はつい先ほど、セブンブリッジ攻略拠点が陥落したとの報せが!」

(あら!)

「な、なんじゃとっ!?」

 サブラクの驚愕に続き、玉座の間はにわかに騒然となる。

「それに伴い、現場責任者のオクトシャーマン、および人間のジョゴが討たれたとのことです!」

「………………」

 先程の余裕の笑みが一転、苦虫を噛み潰したような表情になるサブラク。ローゼビスタは大げさに口元を手で覆った。

「ジョゴ……? そんな……。ムシクは、他の人間たちは?」

「はっ。彼らは無事である模様です。しかしながら、街の攻略は断念するしかないとの見解でして」

「……そうでしょうね。いいわ、彼らには戻ってくるよう伝えなさい」

「く、クラーケンは! クラーケンはどうなった!?」

「クラーケン、ですか? すみません。その情報は、まだ……」

「至急探し出せ! 必ず生きておるはずだ!」

「あら? どうしてそう思うのかしら?」

「むっ……」

 言葉に詰まるサブラクを無視し、ローゼビスタは報告した魔物に濡れた瞳を向けると、微かに震える声でねぎらう。

「報告ご苦労様。他に報せはない?」

「は、はい」

「そう。良く知らせてくれたわ。下がりなさい」

「はっ! 失礼いたしました!」

 魔物たちはローゼビスタに向かって深く頭を下げると、玉座の間から退出した。そして扉が閉まると、ローゼビスタはこれ見よがしに、沈痛なため息をつく。

「恐れていたことが起きたわ。だから私たちがいる間に制圧すべきだったのよ」

「……そのようですな。まさかこうもあっさり陥落してしまうとは、流石のワシも予想外でした」

 サブラクもまた、大きなため息をついた。あっさりと認めたことを意外に思いつつ、ローゼビスタは追及を続ける。

「それで、どう責任を取るつもりかしら? 順調だなんて言った矢先の大失態、軽くはないわよ?」

「ええ、分かっております。……しかしこうなった責任は、ローゼビスタ様にもあるのではございませぬか?」

「へぇ? それは一体どういう理屈かしら?」

「ローゼビスタ様が我が管轄の島に赴いたのは、視察と戦力増強のため。故に手練れの人間どもをお連れして行かれたわけです。しかし彼らが居たにも関わらずあの島は落ちてしまった。おまけに最高戦力であるはずのローゼビスタ様はその緊急事態に於いて、あろうことか不在。これでお咎めなしというのは、いささか虫が良いとは思いませんか?」

(ああ、そういう理由。まったく、屁理屈だけは一流ね)

 サブラクの返しに、周囲も唸るようにして考え込む。

「どんな手練れでも、扱い方を間違えれば実力は発揮できないわ。彼らは現場責任者の、いいえ、あなたの指示に従った結果、ろくに実力を出せないまま敗北したのよ」

「ひゃひゃひゃ! 責任をなすりつけられては困りますな。あの人間どもは、あくまでローゼビスタ様の部下として配置されました。故に、彼らにオクトシャーマンの指示に従うよう命じたのも、貴女様に他なりません。責任の一端はローゼビスタ様にあると言えましょう」

「私たちは遊軍として派遣されたわけではないわ。侵略のための戦力として派遣されたのだから、現場を知る者の指示に従うのは当然でしょう? まさか、私が好き勝手して良かったなんて言うんじゃないでしょうね?」

「まさかですな。しかし現場の状況から陥落を恐れていたと仰るのであれば、人間どもを防備に配置するくらいの融通は利かせられたのでは、と思ったまでですよ。貴女様が不在にある状況であれば、寧ろそうすることの方が自然でしょう?」

「言ったはずよ。緊急の問題が発生したのだと。誰かさんがその報告を邪魔してくれたけどね」

「ほほう、では聞かせていただきましょうか。我が拠点の一つが潰されたこと以上の問題とやらを」

 サブラクは失態を犯した身でありながら、にやにやとした笑みを顔に貼り付けている。それが崩壊する様を想像したローゼビスタは酷薄な笑みを浮かべると、魔王に向き直った。

「魔王様、恥ずかしながら、我らが陣営から裏切り者が出たようなのです」

 そして放たれた言葉に、静まりつつあった場に再び大きな動揺が走る。

「……ほう?」

 魔王もまた、その声に興味の色を見せた。魔王の発声に、騒ぎが急速に収まる。

「その者は魔王様の配下でありながら、課せられた責務を無視し自身の利益のために行動しておりました。到底、許されざる所業かと存じます」

「裏切り者ですと? 断言されるからには、相応の証拠があるのでしょうな?」

「………………」

 サブラクの指摘に、ローゼビスタは黙って指を鳴らした。それにより、透明化の魔法が解け、黒い宝玉が出現する。

「そ、それは……!」

 サブラクは驚愕に目を見開いた。ローゼビスタは淡々と言葉を続ける。

「裏切り者が私物化しようとした大魔晶です。研究班が総力を挙げて利用法を模索している研究対象でもあり、魔王軍全体にその希少性は共有されております。これだけの大魔晶を発見し、報告すら上げないのは十分、裏切りに値するかと」

「ま、待て! ……失礼、発見直後であった可能性もありうるではないでしょうか」

「ありえないわ。人間の奴隷がこれを運び出しているところを目撃していたのよ。私が現地に着く、丁度前日にね」

 その返しに、サブラクは内心舌打ちをした。

(見られぬよう工夫しろと念を押しておいたのに、役立たずどもめ……)

「奴隷の言うことを真に受けるというのですかな? 見間違いという可能性もあるでしょう。ローゼビスタ様が裏切り者だという魔物の意見も聞くべきかと」

「残念ね。実はまだ裏切り者が誰かは分かっていないのよ」

「は……?」

 間の抜けた顔と声に笑いそうになるのを堪えながら、肩を竦めるローゼビスタ。

「奴隷の話を聞いてから、大魔晶について魔物たちに聞いて回ったのだけれど、全員が口を揃えて知らないと答えたわ。だから私も初めは見間違いかとも思ったのだけれど、この通りあったのよ。それも島の中、、ね」

「う、嘘だ!」

(そう、それは嘘。洞窟の奥で回収したのは偽物だったわ。でも、)

「どうして嘘と断言できるのかしら? 何か証拠、いえ、心当たりでもあるの?」

「………………」

「大魔晶を秘匿したのは、島の魔物以外考えられません。それも階級の高い魔物を含む集団です。事態を重く見た私は急いで戻ってきたという次第です」

 自身に向き直ったローゼビスタの言葉に、魔王はゆっくりと頷く。

「ふむ……。サブラクよ」

「……は」

「お主は大魔晶の存在について、何か聞いていたか?」

「いえ、耳にした記憶はございませぬ」

「そうか。この件どう見る? ローゼビスタよ」

「功を上げたい一部勢力の暴走、とも思いましたが、改めて考えれば不可解な点がございます」

 魔王の許しを得たローゼビスタは、この時のために用意しておいた口上を述べる。

「洞窟の奥にあった大魔晶、これを見つけたという成果を独り占めすることは不可能です。掘り出したか運び出したかした際に、ほぼ確実に他者に露見してしまうでしょうから。寧ろ隠匿していたことを責められる結果になりかねません。これは階級が上の魔物でも同様です。部下の誰かが大魔晶の存在を口にすれば首が飛びます。故に、褒賞が望みであれば、隠すなどという行為は絶対にとりません」

 その意見に、周りも同意の頷きを見せる。

「他に考えられるのは、褒賞ではなく大魔晶自体が望みである可能性です。報告すれば大魔晶は取り上げられてしまいますから、それを避けようとしたという線ですね。しかしこれも考えにくい。何故なら大魔晶の利用法はまだ確立していないからです。普通の魔物が大魔晶を手にしたところで、宝の持ち腐れとなるのが関の山でしょう」

(そう、普通の魔物であれば)

「そうよね? 開発室室長、サブラク」

「……否定はできませぬな」

 魔物を配置した張本人であるサブラクに疑いの目が向けられるのを感じながら、ローゼビスタは満足そうに笑みを浮かべる。

「他の可能性もあるにはあるのですが、どれも現実的ではありませんでした。そのため、裏切り者が何を望んでいたのかは、私には見当がつきません。しかし島に配置されていた者の仕業であることは明白。ここは一つ、私を含めた関係者全員に話を聞くというのはいかがでしょう?」

「なっ!?」

 ローゼビスタの提案に、サブラクが狼狽する。

「もし口封じされていたとしても、下級な魔物であれば暗示によって口を割るでしょうし、悪くない手段かと」

「お、お待ちください! 何もそこまでする必要は――」

「ないわけないわ。どこぞの愚か者のせいで私はこうして魔界に帰らなくてはならなくなって、その隙を突かれて、あなたの拠点が一つ失われたのよ?」

「う、ぐ……」

「いかがでしょうか? 魔王様」

「よかろう。サブラク、生き残った配下を招集せよ」

「…………かしこまりました」

「拠点陥落については、詳細な状況をまとめ次第改めて報告するように。大魔晶は一時、我が預かろう。以上だ」

 魔王の言葉に、臣下が一斉に頭を下げ、ローゼビスタの報告は終わった。

 やがて、生き残った魔物が魔界に到着するも、その数は元の一割以下であり、到底冒険者だけで狩られたとは思えないほどの壊滅状態だった。数少ない生き残りは全員が末端の魔物であり、事情を知っている者はいなかった。

 また、海中からクラーケンを含む魔物の死体もいくつか回収されたが、ローゼビスタやその配下が手にかけた痕跡も当然、見つからなかった。

 この一件でサブラクの部下は減り、残った部下にも不信感が募ることとなった。

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