決着:バルコーと……

「ぶはっ! はぁ、はぁ……」

 海面に顔を出したバルコーは、何度か呼吸をすると再び海の中へと潜った。冷たい夜の水が頭の先まで纏わりつく。

(ほら、こっちだ!)

 彼は深度を下げると、吸盤のない側を狙って、相手の足を拳で攻撃する。魔物は残りの足でバルコーを捕えようとするも、『暗視』スキルによる視認と、魔力放出による水中移動が可能な彼は巧みに拘束を逃れる。

 魔物の注意を引きつけつつ、息が切れそうになれば浮上して息継ぎをし、再び繰り返す。かれこれ数時間、バルコーは同じ作業を続けていた。

 もしこれが純粋な戦闘であれば、とっくに彼の勝利で終わっていたであろう。彼がそうしないのには、理由があった。

(まだか? 夜明けは……)

 そう、彼は朝になるのを待っていた。進行したイベントは明日には終わる。それまでローゼビスタをここに留めるため、体力と魔力を消費して時間を稼いでいるのである。

「ぶはっ! はぁ、調教は、まだ、続けるんですか?」

「終わらせたければ、犬の真似をしてみなさい」

「……っ」

 時折ローゼビスタの機嫌も窺いながら、バルコーは何度目かになる潜水を行う。潜るごとに浮上までの間隔が短くなる彼を、オニマルは心配そうに見送った。

(向こうも多少は消耗しているんだろうけど、水中適応力じゃ勝負にならない。長引くほど不利になるのはこっちだ。そろそろ足の一本でも落とすべきか……?)

 相手の魔物はサブラクが寄越したとのことだから、討伐してしまっても問題はないはずだった。懸念すべきは、足を落とせるなら何故初めからそうしなかったのか疑われることである。仲間の魔物をたおすのは気が引けたものの、命の危険を感じてやむなく、といったていを装うことはできそうではあったが……。

(ただ、一本落としたら、そのまま討伐までしないと不自然なんだよな……)

 過剰防衛をした瞬間、時間稼ぎは終わることになる。そのためバルコーは行動を起こせずにいた。

 時間感覚が曖昧になっている彼は、息継ぎのために再度海面に向かう。

(っ! まずい……!)

 しかしここで良くないことが起きた。今までは警戒していたのか、ある程度深い場所で留まっていた魔物が、バルコーに合わせて水面に近づいてきたのである。

 オニマルが襲われることを危惧したバルコーは、彼を背に乗せると泳ぎでの逃走を図る。

「うっ」

 だがそれをローゼビスタが許すはずもない。先回りした彼女が作り出した魔力の壁に阻まれ、バルコーたちは魔物のいる方へと押し戻されてしまう。

 こうなると逃げ場の少ない海面付近で戦うしかなかった。バルコーはオニマルを背にしたまま、襲いかかる足を迎撃する。

「随分と動きづらそうね。その荷物、捨ててしまえばいいのに」

 ローゼビスタの言葉に、バルコーは何も言わない。オニマルは、何も言えない。

 それから暫く、膠着状態が続いた。状況が動いたのは、空が僅かに白み始めてきた頃だった。

「ごぼっ!」

 夜明けに気づいたバルコーは、その一瞬の隙を突かれて足を捕らえられる。

(まずい、海水を……!)

 呼吸が乱れたバルコーを、魔物は容赦なく締め付ける。バルコーの想像以上に強い圧力が、体の中に残った僅かな空気も吐き出させた。

 そこからは早かった。あっという間に頭の先から爪先まで巻きつかれたバルコーは、指一本動かすこともできなくなる。掌も体の内側を向き、魔法での反撃もできなくなる。

(嘘、だろ……?)

 まだ辛うじて正常な判断ができる脳が、詰みという結論を出した。体力の失った現状では、否、たとえ万全の状態であったとしても、ここまで拘束されてしまえば手も足も出ないという確信があった。

 それを裏づけるように、バルコーがいくら力を込めても、体はまるで動かなかった。吸い付いてくる肉の檻に閉じ込められた彼に、最早できることはない。

(ローゼビスタは……助けないだろうな……)

 彼女はそこそこ気に入った相手でも、死んだらそれまでと切り捨てる性格だ。精々、面白いオモチャが壊れてしまった、くらいにしか思わない。そんなエピソードを知っているバルコーは、苦しみの中で死を覚悟する。

(死ぬのは二度目……になるのか? 前世ではどうして死んだのか覚えてないが、また転生できるといいな……)

 意識が消えつつあるのを感じながら、来世への希望を見出だすバルコー。

(……ごめんな、ミヨリさん、ヤクモさん……俺はここまでみたいだ……)

 最期はせめて笑って逝こうと、彼は笑みを浮かべた。

(え……?)

 その瞬間、ほんの少しだけ拘束が緩んだ。理由を考えるより先に頭の拘束が解かれ、視界に答えが映る。

(オニマル……)

 ろくに泳げない小さな鬼が、そこにいた。どうにか一撃を加えたのだろう。しかしその体は既に、バルコーの頭を締めつけていた足によって拘束されている。

(もういい……今ならローゼビスタの目も誤魔化せる……早くミヨリさんの元に還るんだ……)

 式神は、異界から呼び起こされた精神体が、依り代を媒介にして顕現したものだ。一度契約を結びさえすれば、彼らは姿形を持ったまま、ある程度自由に異界とこの世界とを行き来できる。そして元が精神体であるため、依り代が壊れても死ぬことはない。

 しかし依り代が壊された場合、契約してからそれまでの記憶と経験を完全に失ってしまう。それは、ミヨリと今まで時を同じくしてきた親友が永遠にいなくなってしまうことと同義だ。

(俺のことはいい。だから……!)

 ギャウ!

 水中にあって、オニマルは強く否定の言葉を口にしたようだった。彼は自身を縛る足に歯を立てて抜けると、バルコーの肩に巻きついた足を手繰り寄せ、同じように噛みつく。

 バルコーへの圧力が小さくなったのと、オニマルの細い首に魔物の足が絡みついたのは、ほぼ同時だった。

(オニマ――)

 ボギッ

 嫌な、とても嫌な音が鳴って、オニマルの動きが止まった。その体が、海に溶けるように消えていく。

(――ぁあああああ!)

「『ダークボルト』ぉおっ!」

 掌と体の間に空間を作ったバルコーは、そこで魔弾を炸裂させた。その衝撃で足は更に離れ、腹がえぐれた分空間が広がる。

 そしてバルコーは、腰の剣を抜いた。

 それは隠れ里で研いでもらい、かつての輝き以上の光を宿したつるぎ

 それは里一番の研ぎ師に、名剣ではなく妖剣だと言わしめたつるぎ

 その名は、クサナギ。バルコーでさえその存在を知らなかった、極上の武器であった。

「うぉおおおおお!」

 水の中でありながら、剣が振るわれるたびに、筋肉の塊である足が紙細工のように切り落とされていく。魔物も恐怖を抱いたのだろう。残った足を使って深海に逃げようとする。

 しかしそれを許すバルコーではなかった。怒りと苦しみで正気を失った彼は、全速力で魔物に迫り、

「……ゴボッ」

 追い抜きざま、敵をバラバラにしたところで、意識を失った。




 ザバ

 ローゼビスタが右腕を上げるのに合わせて、バルコーの体が海から浮き上がった。

「シュテンは沈んだようね」

 ローゼビスタは小さく息を吐き、それでオニマルの消失は終わったことになった。

「まあいいわ。探し物は手に入ったし」

 言いながら左腕を上げると、海中から大きな黒い宝玉が現れる。

 それはかつて存在した強大な魔物の成れの果てだ。並の魔物が落とす結晶が束になっても比べ物にならない程の力を秘めた、大魔晶と呼ばれる極上の宝物ほうもつだった。

「サブラクの奴、やっぱりあいつに持たせていたわね。ふふ、ムシクには荷が重いと思っていたけど、本当、良い拾い物をしたわ」

「ゲホッ!」

 拾い物の腹部と胸部に魔力を放ち、無理矢理水を吐かせるローゼビスタ。彼の意識はまだ戻らないが、弱弱しくとも呼吸はできていた。

 放っておけば回復するだろう。そう判断したローゼビスタだったが、その顔が悪戯を思いついた子供のようになる。

「そうね……私が手にかけるわけにはいかなかったあいつを、代わりにたおしてくれたのだもの。シュテンも死んじゃったし、そのお詫びも兼ねて、特別な褒美をくれてやるわ」

 そう言ってローゼビスタは、宙に立たせるようにしたバルコーを自分の前へと引き寄せ、

「ん」

 その額に、口づけをした。

「それじゃ、いつかまた会いましょう? クラーケン殺しの犯人さん」

 すぐに離れたローゼビスタがバルコーの頭に手を置くと、彼の体が段々と消えていく。完全に透明化の魔法がかかったことを確認した彼女は腕を振るい、バルコーの体を近くの島まで飛ばした。

「さて、と」

(島で問題が起きていたようだけど、そっちももうとっくに終わっているでしょうね。後片づけはムシクに任せて、魔界に戻るとしましょうか)

「『テレポート』」

 そして彼女は、自身の膨大な魔力が可能にした長距離の空間移動を行い、その場から消えるのであった。

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