決着:ヤクモ

「はっ!」

 短剣を持つムシクに徒手空拳で挑むヤクモは、敵の誘いに乗って距離を詰めると、顔面を狙って掌底打ちを放つ。

「くっ」

 避けきれなかったムシクはその衝撃の強さに驚きつつも、間合いに入った相手の体に刃を走らせようとして、

(消え――!?)

「がっ!」

 攻撃対象が突然視界から消える。そして次の瞬間、下から足が飛んできた。腹部に突き上げるような衝撃を受けたムシクの体が宙に浮く。

「『ダークボルト』!」

 両者に再び距離ができたところで、マキュロが魔弾を飛ばす。既に体勢を整えたヤクモを直接狙ったものでなく、ムシクへの追撃を牽制するためのものだ。

 それに対しヤクモは、踏み出す足の向きをムシクからマキュロの方へと変えた。迎撃の魔弾は避け、腕で払い、あっという間に距離を縮める。

「『ダークボーダー』!」

 拳が届く位置まであと一歩のところで、両者の間に漆黒の線が引かれた。そこから立ち上る闇の壁がヤクモの進行を阻む。

「『ダークボルト』!」

 足を止めたヤクモを、今度はムシクの魔法が狙った。そこに闇の壁を突き抜けてきた魔弾も加わり、ヤクモは後退を余儀なくされる。

「さっきの蹴りは何だ?」

「興味深い動きでしたよ。掌打の後、あなたの足元に這いつくばるようにして蹴りを放っていました」

「成程な」

 マキュロと合流したムシクは、回復魔法を受けながら頷く。ヤクモは魔弾を弾いた腕をさすりながら、ふう、と息を吐く。

(これでまた仕切り直し、か。やはり視界はある程度制限されているようじゃが、そろそろ誤魔化しも効かなくなってくるかのぅ……)

 魔族に魅入られし者が被る面にはあながない。しかし彼らは周囲の状況を把握できている。そういった能力の存在はバルコーから教わっていたが、ヤクモはもっと単純に考えた。

 即ち、あの面はマジックアイテムであり、魔力を通すことで外からの光のみを通すのではないか、と。

 同じくマジックアイテムである鞭を扱うヤクモの予想は、戦いの最中で確信になった。そしてそれは概ね間違っていなかった。

 戦闘に影響を及ぼしうる誤解があったとすれば――

(しかしあの面、まさか魔力をほとんど消費しないのではあるまいな?)

 ヤクモは面を着ける理由が大きく二つあると考えていた。目線などを悟らせないこと、そして顔を守ることの二つである。その後者の機能に関して、彼女は過大評価していた。

(軽量かつ頑丈を実現するために魔力を利用しているものかと思ったが、単に顔を隠すだけのものだとしたら、消費量はより少なくて済む。となれば、まだまだ長引きそうじゃの……)

 あれだけ魔法を使ってまだ魔力に余裕がありそうな二人を前に、ヤクモは苦笑いを浮かべる。

「ムシクさん、そろそろ」

「ああ。終わらせるとしよう」

 回復を終えたらしい二人が短く言葉を交わした。笑ったままのヤクモの眉根が寄る。

「随分と簡単に言うではないか。今までは手を抜いていたとでも?」

「いいや、真剣だったさ。だが我々の目的は貴様を殺すことではない。故にこの後のことを考えて全力では戦っていなかった、それだけのことだ」

「ガッハッハ! よく言いよるわ。ということは何じゃ? 今からはこの後のことを考えずに全力で戦うということか?」

「全力ではない。が、それに近い力を見せてやる」

 答えるムシクの背中に、マキュロが手をかざす。すると突然、マキュロの体から黒い魔力が溢れ出した。

「おぉおおおお!」

 意思ある煙のような魔力は、手を通じてムシクの体の中へと流れていく。

「はぁああああ!」

 魔力を受けたムシクの体からもまた、黒い力が噴出した。それは黒衣の上から体に纏わりつき、異様な雰囲気を漂わせる。

 動きは突然だった。マキュロが膝をつくのと同時、ムシクが恐ろしい速さで突進してくる。ヤクモは相手が振りかぶる拳を手のひらで受けようとして、

「っ!?」

 腕ごと弾かれ、肩にまで衝撃を受けた。体勢を崩されたヤクモの眼に、短剣の放つ鈍い光が映る。

 ギィン!

「ぐぅっ!」

 背に回した手に取った鞭に魔力を流し、斬撃への防御に使うヤクモ。しかしその威力は防ぎきれず、ムシクの腕の振りに合わせて吹き飛んでしまう。

(……あばらにヒビでも入ったかの?)

 鈍痛に顔を歪める暇もなく肉薄するムシクへの対処を迫られるヤクモは、温存していた魔力を惜しみなく使い守勢に徹する。

(何をしたかは分からぬが、初めからこの力を使わなかったのには訳があるはずじゃ。消耗が激しいのか、何かしらの代償が必要なのか……なんであれ、そう長くは持続せぬと見た)

 運動能力が上昇した弊害か、単純になった動きは速くても見切ることができた。ヤクモは敵の動きを予測し、時に避け、時に鞭を操り攻撃の起こりを狙って迎撃する。

(とは言え、先に限界が来るのはこちらのようじゃな)

 しかしそれも完璧ではなく、捌ききれない攻撃がヤクモの体にダメージを蓄積させていった。自身の限界を冷静に分析しながら、ヤクモは自嘲の笑みを浮かべる。

(どうせ倒れるのならば……試してみるか……)

「『ダークボルト』!」

 攻撃を受けて飛ばされるヤクモを、ムシクが魔法で追撃する。今までで一番大きな魔弾は、鞭に触れると同時に炸裂した。

 ボォン!

 爆発音が響き、後には立つのもやっとといったていのヤクモが残る。ろくに反撃もできぬであろう彼女にトドメを刺すべく、ムシクが距離を詰めた。

(ただかわすだけでは半分、じゃったな……)

 敵が近づいてくる状況、遠のく意識の中で、ヤクモはバルコーの言葉を思い出す。

(回避は次の行動に繋いでこそ。もしくは――)

 それは、訓練の最後、体力が尽きかけた頃に教わった動きだった。

 片方の膝を曲げ体を落とし、腹筋を使って上半身を倒す。

 逆の足を下げてりとし、足と上半身と拳が一直線になるよう腕を伸ばす。

 ヤクモは一切の無駄なく、且つ素早く、訓練の動きをなぞる。前半の動作は、体の中心を狙ったムシクの攻撃を空に切らせ、

「がはぁっ!」

 後半の動作は、ムシクの勢いを利用した腹部への攻撃となる。自ら拳を受けにいった形となったムシクは、苦悶の声を上げた。

(もしくは、反撃と一体であるべき、じゃ)

 ドゴッ!

「ごふっ!」

 直後、まともに蹴りを受けたヤクモの体が跳ね、床を転がる。蹴りを放ったムシクは、自分の体から黒い魔力が消えていくのを見て嘆息した。

「この力を使って、この体たらくか。自分に腹が立つな」

 強化を受けた反動で暫く動けないムシクは、深呼吸して気持ちを落ち着ける。そこに回復したマキュロが近づいた。

「ここは相手を称えるべきでしょう。たった一人でありながら、それなりの冒険者パーティよりも余程手ごわい相手でした」

「……それもそうだな」

 体が動くようになると、ムシクの視線は賞賛すべき相手に向く。広間の端まで飛ばされたヤクモは、壁に上半身を預けていた。

「モクヤと言ったな。意識は残っているか?」

「……ああ」

「二対一という形で悪いが、僕たちの勝ちだ」

「………………」

「一応訊いておこう。ここで命を落とすか、我々と共に来るか、どちらを選ぶ?」

「………………」

「……残念だ」

 ムシクが手をヤクモに向ける。顔を上げたヤクモは、微かに笑みを浮かべた。

「残念じゃったの。我の勝ちじゃ」

「なに?」

「ここだ!」

 その直後、入り口からシーガルを先頭に用心棒たちが殺到する。彼らは傷ついたヤクモを目にするや否や、怒声を上げる。

「てんめぇらよくも姐御を!」

「ぶちのめしてやらぁ!」

「不用意に近づくな! 展開して多方面から攻めるんだ!」

 怒れる用心棒たちはシーガルの指揮に従い、広がりながら激走する。万全の状態であれば軽くあしらえる相手を前に、ムシクは舌打ちした。

「ムシクさん」

「分かってる」

 ムシクはヤクモに向けるはずだった魔弾を、最短距離で駆けてくる相手へのけん制に使う。その間にマキュロが魔法の準備を始めた。

「何かする気だ!」

「投げ物を使え!」

 用心棒たちは手に持つ武器や懐に忍ばせた石などを投擲とうてきする。

「『テレポート』!」

 それらが当たる直前にマキュロの魔法が発動し、二人の姿が消えた。用心棒たちの間に動揺が走るも、それも僅かな間だけだった。

「逃げただけだ! あの魔法は短距離の、それも決められた場所にしか移動できない。この場の確保とモクヤさんの救出を進めろ!」

 シーガルの言葉に落ち着きを取り戻した用心棒たちは、手際よく指示されたことをこなしていく。ヤクモの元には、薬草を持つ者らが駆けつける。

「モクヤさん、遅くなってすみません」

「ミコちゃんのお陰で、正面の敵も片づきました。後はこの中だけです!」

「あとは俺たちに任せて、姐御は休んでてくだせぇ!」

 心強い発言に、ヤクモは笑って頷いた。

(……どうやら、ここまでのようじゃな。あるじ殿の期待には、最低限応えられたかの……)

 意識を失う直前、ヤクモは契約主の顔を思い浮かべた。

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