調教
「……騙した、とは?」
「シラを切ろうとしても無駄よ。ムシクが教えてくれたわ。あなたたち、私の下から離れるそうね。シュテンも頷きで答えたわ」
(そのことか……こっちから言う手間が省けたな)
工作が露見したというわけではなかったことに安堵するバルコー。オニマルからも生きている気配は感じ取れることから、ローゼビスタの魅了に耐え切れずに屈して、そこで意識を失ったという想像がついた。
「私の役に立ちたいだなんて嘘を言って取り入って、一体何が目的なのかしら?」
「目的はローゼビスタ様もご存知の通り、強くなることですよ。そして私はあの時、ローゼビスタ様の下でならそれが叶えられると考えました」
「今は違う、って?」
「ええ」
不敵に笑うバルコー。
「ローゼビスタ様は美しいだけでなく、強い方です。そんなあなたが率いる部下たちも、きっと強いのだと期待していました。しかしいざ手合わせをしてみれば、私を満足させてくれる相手は誰もいませんでした」
彼はそこで一度言葉を止めると、口の中で唇を舐める。
「だから思ったんですよ。部下がこの程度では、ローゼビスタ様も大して強くないのでは、とね」
「……へえ、言うじゃない」
笑みを消したローゼビスタの体から、突如として威圧感が放たれる。殺気混じりの魔力がその体から溢れ、バルコーは相手が何倍にも大きくなったように感じた。無意識に後ずさりしそうになる足を、意識して留める。
「心にもないことを軽々に話すより、正直に伝えた方がお互い良いでしょう? 少なくとも、この地にいるあなたの部下で私より強い者はいません。これは事実です」
「そうね、それは認めてもいいわ」
ドッ!
「っ……」
魔力の放出。それだけで腹部に鈍い痛みを与えられたバルコーもまた、笑みを消す。
「でも私の侮辱をするだなんて、無礼にもほどがあるわ。口を慎みなさい」
「………………」
およそ一ヶ月の期間を経て、バルコーは以前より成長した。しかしそれでも、眼前のローゼビスタとの実力の差は未だ歴然だ。相手がその気であれば、腹に風穴を開けられていただろう。
彼は、しかしそれを知っていてなお、ローゼビスタにへりくだるような態度はとらなかった。間違っても謝罪の言葉など口にしない。シュテンに危害を加えたこと、自分に対する理不尽な仕打ち、それらを怒りに変え心の内で燃やしているぞと暗に示すようにローゼビスタを見た。
なぜなら――
「……ふふ、やっぱり猫を被っていたのね」
反抗的な人間を前に、目を細めるローゼビスタ。その瞳の奥で、加虐の悦びが炎となって灯る。
ローゼビスタは、自らに易々と屈しない存在を好む傾向にあった。更に言えば、そういった相手の心を折ることに至上の悦びを覚えるのである。その性格はゲーム内においても、決して屈しないマーカスを気に入るという形で表現されている。
それを知っているバルコーは、今まではその逆、強者にへつらう小物を演じていた。気に入られてまとわりつかれては反乱の工作などできなくなるからだ。そしてまさに反乱が起きようとしている今、彼はローゼビスタの注意を引くために、彼女にとっての絶好の獲物になったのである。
(なんとか、お眼鏡に適ったらしいな。これが続けばいいんだが……)
ただし当然、相応のリスクが存在した。失礼の度が過ぎて怒らせれば死が訪れるし、逆に中途半端な態度を取ればバルコーに対する興味が薄れてしまう。バルコーはその絶妙なバランスを取りながら、ローゼビスタを島から離れさせるという目的に向かって綱渡りをしなくてはならないのだった。
「何を言っているのかは分かりませんが、とにかく私がここを離れるのは決定事項です。役に立つという言葉も騙したわけではありません。宣言通り、いくつか仕事はこなしました」
「調子に乗るのも大概になさい。今のあなたは私の部下なの。勝手は許さないわ」
「……ではローゼビスタ様、あなたの部下の願いを聞いてくださいませんか?」
ドッ!
「調子に乗るなと、何度も言わせないでほしいわね。あなたたちの願いはただ一つ、私の役に立つことよ。それは言葉に出すまでもないわ。それともまさか、それ以外の望みをねだろうとしたのかしら? 卑しいことね」
冷笑するローゼビスタを、バルコーは黙って見る。常人であればこれだけの仕打ちを受けても、彼女の美しさに平伏し全てを受け入れるしかない。しかしバルコーは違う。その事実が、ローゼビスタの心を震わせる。
「でも、いいわ。下品な姿も、見ようによっては愛らしくなるかもしれないし。さあ、浅ましく口にしてみなさい」
「……ありがとうございます。では、私より強い下僕を連れてきてください」
「…………ふぅん」
ローゼビスタはおもむろに立ち上がると、バルコーの前まで歩いていく。
「がはっ!」
胸に蹴りを食らったバルコーが、壁に叩きつけられた。咳き込みながら、ローゼビスタを見上げる。
「つまり私に、使い走りのようなことをしろと? 度を超えた戯言ね。自分の立場が分かっていないのかしら?」
「ぐっ!」
今度は顔面に爪先が突き刺さる。鼻の折れた音がした。
「……『リカバー』」
倒れたバルコーは、激痛に表情を歪ませながらも、回復魔法を唱えた。見下ろすローゼビスタが嗜虐の笑みを浮かべる。
「この私自ら与えた傷を治すだなんて、本当に生意気ね。いいわ。その性根、私が治してあげる。光栄に思いなさい」
(くそ……言葉の選択をミスったか……)
二発はどうにか耐えられたが、回復が間に合わないまま攻撃が続けば遠からず倒れてしまうのは必然だ。デッドエンドが近づく予感に冷や汗が流れる。
(それに、もう間に合わない……)
加えて、バルコーはこの部屋に近づく気配も感じ取っていた。恐らくマーカスたちが起こした騒ぎについて、魔物たちが報せにきたのだろう。
バルコーの胸中に、絶望が広がる。
ギィイ!
「シンニュウシャ――」
ボッ!
乱暴に扉を開けたリザードマン、その頭が消し飛ぶ。後ろのもう一体が凍りついたように固まった。
バルコーもまた、呆けたように口を開ける。
「はあ。折角高ぶってきたのに、これだから低能な魔物は……」
無礼を働いた魔物を処分し、ため息をつくローゼビスタ。
「侵入者が現れた程度で無礼を働くんだもの。そのくらい、あなたたちで解決しなさい。私はこれから、この男を躾けるのだから」
獲物を見るような目が、バルコーを捉える。生き残ったリザードマンは仲間の死体もそのままに、逃げるように姿を消した。階段を下りるドタドタとした音に、ローゼビスタは舌打ちをする。
「侵入を許したことといい、部下の礼節がなってないことといい、ここの責任者にも仕置きが必要ね。ムシクにでも任せようかしら」
「……侵入者は、本当に良いのですか?」
「ええ。あなたへの調教を優先してあげるわ。感謝なさい」
(……よし!)
責任感の強い性格ではないとは分かっていたが、侵入者の存在を知って尚ローゼビスタが動かないことにバルコーは歓喜する。
(もしかしてこれも強制力によるものか? 何にしろ、夜明けまでその調教とやらを続けさせられれば、きっと……)
希望を見出したバルコーの体が、ふ、と宙に浮かぶ。何が起こったか分からないバルコーは、そのまま部屋の中央に運ばれた。それがローゼビスタの魔法だと気づいたのは、倒れたオニマルが同じように浮遊してからだ。
「さ、行くわよ」
ローザビスタが言うのと同時、天井が左右に開く。バルコーが驚いている間に、その体は飛び立ったローゼビスタの後を追うように空中を移動し始めた。
(どこに連れて行く気だ?)
この島から離れることはバルコーにとっても望むところであったが、その行く先には心当たりがなかった。島の明かりが遠ざかり、眼下は海の黒一色となる。
「なっ!?」
そして突然、落下が始まった。バルコーは混乱しつつも、オニマルを抱いて衝撃に備える。
ドパァン
波に紛れて、着水音が響く。夜の海に投げ出されたバルコーは、星明りに向かって懸命に泳いだ。
「ぶは、っはぁ……」
「ギャウ……」
「オ……、起きたか、シュテン」
波間から顔を出したバルコーとオニマル。その二人を、月を背後にしたローゼビスタが見下ろした。
「ふふ、この程度で死ぬとは思ってなかったけど、思った以上に頑丈ね」
「……これが、調教ですか?」
これから何度も海に落とされるのだろうか。そんなバルコーの予想を、ローゼビスタは鼻で笑って否定する。
「まさか、ね。そんな面倒なことしないわよ。私はただ眺めてるだけ」
「………………」
常人であれば泳ぎ疲れて溺れることや低体温症になることが考えられるが、バルコーはそうではない。眺めるだけとは一体どういうことか。
(……そういうことか!)
そんな疑問の答えは、足の下からやってきた。強大な魔物の気配を感じて足元を見るバルコーの頭に、ローゼビスタの言葉が降りかかる。
「もしものことがあったらとか何とか言って、サブラクの奴が一体魔物を寄越してきたのよね。でもそいつ、上を通った奴は船も魔物も見境なしに襲うから扱いに困ってたのよ。だから今まで放置していたのだけど、ふふ、いい使い方だと思わない?」
「くっ」
魔力の放出で海上に逃れようとするバルコー。しかし強い力に押されるようにして、体が海中に戻される。
「海から出していいのは頭だけよ。自分たちの立場が理解できるまで、そいつと遊んでいなさい」
(成程、これが調教か……)
「シュテン、浮かんでいられるか?」
まだ水中戦はできないオニマルが頷く。バルコーは頷きを返すと、大きく息を吸ってから海に潜った。
暗い闇の底に潜んでいた魔物は、すぐそこまで迫ってきていた。
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