偶然の出会い

 強力な魔物に襲われた翌日、本来なら船の上で出港の準備をしているはずの時間に、ミヨリは一人、明るくなり始めた街を歩く。困っていそうな人がいたら力になろうという考えからの行動だったが、内心、とてもそんな気分ではなかった。

「すまぬな、皆の衆。三日ほど休ませてくれ」

 大怪我をしたヤクモの言葉を、誰も責めはしなかった。キュウビと共に治療を施したミヨリは寧ろ、治ったからといってすぐにまた海に出ようなどとは言い出さなかったことに安堵した。

(骨は元通りになるけど、治してすぐだとまだ危ないし、安静にしてくれて良かった)

 そんなわけで、ヤクモが旗頭となった船団の活動は暫く休止になった。船長たちは、休みも仕事のうちだと明るく振る舞っていたが、他の船員たちと同様、不安を無理に抑え込んでいるのが察せられた。

(まさか、ヤクモでも勝てない魔物が現れるなんて……)

 そしてそれは、ミヨリも同じである。自分に向けられた冷たい殺意を思い出すと、体に震えが走った。あの時は船乗りが殺されそうになったことで無我夢中になれたが、そもそもキュウビが庇ってくれなければ死んでいたかもしれないのだ。

(今の私たちなら大丈夫って、言ってくれたのに……)

 バルコーから貰った杖を強く握り、俯く。教わった杖術のお陰で退かせることには成功したが、倒すことはできなかった。そもそもヤクモでさえ負ける相手だ。あれが本気であったかさえ怪しい。そう考えるとますます顔が下がっていく。

 きっと上手くいく。漁業が再開してから抱いていた淡い希望が、より深い絶望へと変わっていく。

 強くなるためにした努力が、より大きな無力感を呼び起こす。

「あ……」

 いつの間にか、海に面した場所へと迷いこんでいた。再開発の途中なのだろう、寂れた倉庫のような建物の前、潮騒だけが響く落ち着いた環境で見る海には、いつもとは違うおもむきがあった。

「きれい……」

 面を外した顔に海風を受けながら、ミヨリは自然と感嘆の言葉を呟く。

(ヤクモや師匠にも、見せてあげたいな……)

 湧いてでた気持ちから、思考は長らく離れているバルコーとオニマルに向かう。

(もうすぐ一ヶ月が経つけど……無事ですよね? 師匠、オニマル……)

 寝る前に必ず二人の無事を祈っていたミヨリは、今再び、海に向かって祈りを捧げる。

(どうか……どうかまたみんなで旅ができますように……)

 海にまつわる神を知っているわけではなかった。ただ、雄大なる自然に対し、祈るしかできない自分の願いを聞いてほしかった。たとえ何も変わらなかったとしても。

(……帰ろう)

 今の自分じゃ誰かを助けるなんてことできない。祈りを終えたミヨリは、面をつけると、ヤクモの元に戻ろうと振り返り、

「あ……」

「え?」

 いつからそこに居たのか。

 マーカスと相対した。


◇ ◇ ◇


 恐怖で眠れずにいたマーカスは、いつの間にか空が明るくなり始めていることに気がついた。

 今眠りに落ちて昼まで起きれなかったら、またあの二人から怒られる。だったらもう起きてしまおうと、彼はベッドから出る。

 しかし、起きたところで特にすることもない。身支度をしたところですぐに暇になったマーカスは、何を思ったか、街を歩いてみることにした。

 書き置きも残さず、行くあてもなく、マーカスは街をさまよい歩く。

 昼間の雑踏が嘘のように消えた大通りや、未だに酒の臭いが残る裏通り。

 大きな店や住宅が立ち並ぶ中心街や、道端で人が横になる貧民街。

 人気のない桟橋や、何かが潜んでいそうな路地。

 それらを歩きわたり彼が辿り着いたのは、使われなくなって久しかろう倉庫が残る場所だった。

 そこで彼は、狐面の少女と出会う。


◇ ◇ ◇


(ま、マーカスさん!? どうしてここに……いえ、それよりももしかして、私のこと、バレて……!?)

「……お前、こんなところで何してるんだ?」

「……!」

(やっぱりバレて……でももしバレたら最悪消えちゃうかもって師匠が言ってたけど、そんなことない……?)

「お前も、散歩してたのか?」

「……?」

「それともなんかのイベントか? だったら強い装備か経験値が欲しいな」

 虚ろな笑みを浮かべてぶつぶつと呟くマーカス。そこでミヨリはようやく、相手の不調に気づく。

(目の下にクマが……。なんだか様子も変ですし、何かあったんでしょうか?)

 もしかしたら自分の正体も知られていないのでは。そう考えたミヨリは、少し声を低くしてマーカスに話しかける。

「わ、私は、祈ってまし、いや、祈ってた」

「祈ってた? 神様にか?」

 くだらない、と言外に言うように尋ねるマーカス。

「神……そうです、あ、そうだ。神に祈ってた」

「へー。俺も祈ってみようかな。もしかしたら救ってくれるかもしれないし。いや、ていうか救えよ。こんなクソゲーさせやがって、クソが……」

「……何か悩んでいる、のか?」

「ああそうだよ。この世界は作り物で、お前も、他の奴らも、神なんかじゃなくて俺が救わなきゃなんないんだよ。んなの無理に決まってんじゃねえか」

 心の余裕がなくなりヤケになっているのか、マーカスは世界の根幹について語りだした。ミヨリはその言動に驚愕する。

(まさかマーカスさんも、師匠と同じ……!?)

 もしかしたら自分のように、他の誰かに聞かされていた可能性もあるが、この世界の主人公であるはずのマーカスがそれに気づいていることに、ミヨリは驚きを隠せない。

 そして同時に、恐ろしい事実に気づく。

「ん? あー……まあいいや。めんどいし……」

「待って」

 気だるげに言ってそのまま去ろうとしたマーカスを、ミヨリは呼び止める。

(そっか……。この人は今、とてつもない重荷を背負っているんだ……)

 かつてヤサカニ村の巫女として大蛇おろち様に仕えていたミヨリは、マーカスの気持ちを想像すると、声をかけずにはいられなかった。

(もし私が世界を救えだなんて言われたら、きっと怖くて何もできない。巫女として頑張れたのも、ヤクモがそばにいてくれたお陰だった。それでも自分に務まるか不安だったのに、マーカスさんはそれよりもっと、私じゃ想像できないくらいに不安なんだ)

「何だよ」

 だったらせめて、ヤクモを傷つけた相手ではあるけれども、その心に宿る恐怖の影を薄めてあげたいと、そう思った。

 そのためには――

「私と、戦って」

「はぁ?」

「あなたの実力が知りたい」

「……いきなりなに言ってんだ?」

「私を救うと言った。その実力を見せて」

「………………」

 返答に困ったマーカスは、腰の剣に視線を下ろす。

「いや、バカだろ。ケガじゃ済まねぇぞ?」

「分かってる。いいからかかってきて。それとも、魔物相手でもないのに怖がってるの?」

 軽く腰を落として杖を構えるミヨリは、ヤクモの言動を参考に挑発する。それを聞いたマーカスは眉根を寄せると、鋼の剣を抜いた。

「どうなっても知らないから……なっ!」

 気迫一閃。マーカスは片手で持った剣を横薙ぎに振るう。一般人では両手で持っても重いと感じる金属の塊が、目にも留まらぬ速さでミヨリの首もとへと吸い込まれていき――

 カァン!

 甲高い音を立てて、空を舞った。

「は、……え?」

(危ない!)

「ぐぉっ!」

 胸を突かれたマーカスは後ろに倒れ、立っていた場所へと剣が落ちてくる。

「……ごめんなさい」

 気持ちを表情に出さないようにしてマーカスに近づくミヨリ。苦しそうに胸を押さえるマーカスに手をかざすと、回復魔法を唱える。

「『ヒール』」

 その言葉と同時に、柔らかな光がマーカスを包む。キュウビの力を借りなくても、初歩的な魔法は使えるミヨリだった。

「…………はは」

 痛みが消えたマーカスはおもむろに立ち上がると、乾いた笑みを浮かべる。

「なんだよ、これ。あんなに苦しい訓練をして、死ぬ思いもして、その結果がこれかよ。あははははははは!」

「………………」

 ひとしきり笑ったところで、マーカスは項垂れる。

「もういいや。なあ、あんたが代わりに世界を救ってくれよ。俺は死んだってことにしてさ」

「それは、できない」

「なんでだよ! 俺より強いんだろ? だったら代わってくれよ! ……もう、嫌なんだよ……」

 肩を震わせるマーカス。その足元に、ぽつぽつと水滴が落ちる。

「世界なんてどうでもいいから、俺を救ってくれよ……」

「………………」

 ミヨリは泣きじゃくるマーカスに寄り添うと、その頭を優しく抱いた。

「辛かったんだね。怖かったんだね。大丈夫。今は思いっきり、吐き出して」

 かつてヤクモが自分にしていたように、ゆっくりと頭を叩くミヨリ。マーカスは嗚咽おえつを洩らし、なすがままにされる。

 やがて、体の震えが治まり始めたところで、ミヨリは口を開く。

「大丈夫、あなたは独りじゃない。あなたが世界を救うなら、世界はきっとあなたに味方する。心強い味方もそばにいるはず。だからあなたはあなたにできることを、精一杯すればいい」

「……俺にできることなんて、ねぇよ……」

「ううん、そんなことない。あなたにしかできないことがある。だから」

 ミヨリはマーカスから離れると、落ちた剣を拾って、マーカスに差し出した。

「特訓して、強くなって」

「特、訓……?」

 泣き腫らした目で剣を眺めるマーカス。ミヨリはその目を見て、大きく頷いた。

「私を殺す気でかかってきて。実力差がある相手に挑むことで、レベ……強くなれるから」

 レベルと口にしそうになって慌てて誤魔化す。マーカスは戸惑いながらも、剣を手にした。

 それは、バルコーから教わった訓練方法だった。強い敵を相手に本気で立ち向かうという経験は、たとえ勝てなくても挑戦者を大きく成長させるのだと。実際に、ヤクモとミヨリはそれにより強くなったのだった。

 何度も死ぬ思いをすることになったが……。

「私も反撃するけど、回復させてあげるから。さあ、早く」

「む、無理だ、そんなの。殺す気でなんて、それに、反撃されるなんて……」

「じゃあ、魔物に殺されるほうがいい?」

「それは……」

「……ごめん、意地悪な質問だった。もし痛いのが嫌なら、逃げてもいいよ」

 ミヨリはゆっくりとマーカスと距離を取る。マーカスは縋るように手を伸ばしかけ、そのまま下ろした。

「………………」

 自然体で待つミヨリ。その様子を何度か見てから、マーカスが口を開く。

「な、なんでだよ……。どうしてそこまで、俺なんかのために……」

 問われたミヨリは、少し考えてから答えた。

「私も、自分じゃ何もできないと思っていたから。でも、そうじゃないんだって、教えられたから」

(そう……。ヤクモを助けるために、バルコーさんはこんな私を必要としてくれた。

バルコーさんに教わって強くなれたから、船乗りさんも助けられた。できないことばかりじゃなかった)

 マーカスに話しながら、ミヨリは自信を取り戻していく。

「だから、あなたにも教えたい。まだできることはあるんだって。諦めなくていいんだって」

「……本当に、いいのか? 俺なんかが、まだ、この世界の主人公で、本当に……?」

「……その問いは、私には答えられない。ただこれだけは言える。あなたの剣は、もっと速くなる。あなたの心は、もっと強くなれる。もしあなたがそうなることを望むなら、前に進んで」

「……っ!」

 ミヨリの言葉を聞いたマーカスは、腕で涙を拭う。そして腕を払い、一歩踏み出した彼の顔つきは、先程とはまるで異なっていた。

 ミヨリは微笑むと、杖を構えた。

「さあ、全力でかかってきて!」

「はいっ!」

 マーカスは強く剣を握ると、ミヨリに向かっていく――

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