黒衣の敵
三週間後、未明。
「よっしゃお前ら、気張って行くぞ!」
船長の檄に、船員たちが沸く。その顔には、海に出られる喜びが表れていた。船長は満足げに頷くと、隣に立つ女性に声をかける。
「モクヤさん、今日もよろしく頼みます!」
「うむ、海中の魔物は我に任せておけぃ! 皆の衆、今宵も旨い酒を飲もうぞ!」
「うぉおおお! モクヤさぁあん!」
「
モクヤ、もといヤクモが拳を振り上げると、船員たちも拳で天を衝く。一層の盛り上がりを見せる船上だったが、突然声が止み、凪のような静寂が訪れる。
「ミコリちゃん、お願い」
「は、はい」
船乗りたちの沈黙、その理由がヤクモの背後から姿を現す。顔の上半分を狐の面で隠した白衣の少女は、大きくはないがよく通る声で船員たちに挨拶する。
「み、皆さん、おはようございます。今日も怪我をしないで、みんなで無事に帰ってきましょうねっ」
ウォオオオオオオオ!
ミコリ、もといミヨリの言葉に、怒濤のような熱狂が巻き起こる。
「ミコちゃんおはよぉおおお!」
「ミコリン! ミコリン!」
「擦り傷一つするもんかぁああ!」
大歓声を受けたミヨリは、曖昧な笑みを浮かべて手を振ると、ヤクモの背に隠れる。
「よし! 出港だぁあ!」
号令と共に、船が前進した。それに他の船も続き、一つの船団となって大海原へと向かっていく。
それはほんの二週間前には見られなかった光景だ。
「くく、今日もわんさか
黒い外套を着けたまま海に潜ったヤクモが鞭を振るう。セブンブリッジまでの道中にある隠れ里に足を運んだバルコーが購入したその鞭は、魔力を流すことで伸縮自在となる逸品だ。海流の中でも真っ直ぐ伸びていく金属製の鞭は、進む先にいる魔物を次々と捕らえていく。
「投げるぞっ」
「任せろぉ!」
船の縁から垂れる縄を引き海面に出たヤクモは、腕を振るって鞭に捕らえられた魔物を次々と船上に放り投げた。
「おらぁ!」
「くたばれ!」
打ち上げられた魔物たちは、ろくに抵抗もできぬまま用心棒たちによって倒され、結晶を残し消えていく。
「っしゃあ!」
「やりぃ!」
魔物を倒すことで用心棒たちは強くなり、換金できる結晶はそのまま彼らへの報酬となる。普段は海の中にいて手も足も出ない魔物を一方的に倒すことができ、更にはカネまで貰えるとあって、彼らの士気は高かった。
「引くぞぉ!」
「うぉおおお!」
他方では、魔物の心配をしなくてすんでいる漁師たちが漁業に励む。かつて絶望的だった漁獲高が日に日に回復していくのを実感する彼らの目は輝いていた。
漁獲量が増えていくのには、しかし、魔物による妨害がないこと以外にも理由があった。
「どうだこの大きさ! これがうちの漁場の魚だ!」
「何をぅ! この後行く俺らの漁場の方が、良い魚が獲れらぁ!」
「はっはっは! ならば勝負といこうじゃないか! 拍子抜けさせてくれるなよ?」
「ぬかせ!」
波を挟んで言い合いをする彼らは元々、それぞれの漁場を持つ同業者だった。しかし規模は大きくなく、魔物の件で漁に出れなくなり、中には廃業を考えていた者もいた。
そんな時、突如現れたヤクモは、魔物から船を守る代わりに、その間に限り他の漁師にも漁場を開放するよう要請したのである。初めは難色を示していた彼らだったが、漁ができないよりかはマシと考え、続々とヤクモの下に集った。
結果、他の漁師との交流も増え、時に協力し、時に反発しているうちに切磋琢磨し合い、全体の漁の技術が向上したのである。
ただ、軋轢が完全に無いわけではない。特に初めの内は喧嘩も絶えなかった。今も二つの漁船の間で衝突が起きようとして、
「あ、あの、どうかしましたか?」
「ああミコちゃん! 何でもないよぉ」
「ここの漁場の魚が大きくてな。俺たちも負けてられないって思ったんだ」
「はっはっは! このあとの漁も楽しみだな!」
「ああ、期待しててくれ!」
しかし、ミヨリの登場で剣呑な空気は霧散した。睨み合っていた船員たちは一瞬で笑顔になり、談笑を交わす。
「あ、そうだミコちゃん! うちのオーサ爺をちょっと診てくれねぇか? さっき腰を痛めちまったみたいで」
「ええっ! 今行きます!」
ミヨリは
「オーサさん? 大丈夫ですか?」
「へ、平気じゃ! この程度の痛み……う、あたた!」
「無理しないでください。キュウビ、じゃなかった、タマモ!」
ミヨリの声に応え、キュウビが姿を現す。船乗りたちから、おお、と声が上がる。
コォン!
キュウビが鳴くと、柔らかな光がオーサを包む。その光が収まると、オーサは目を大きく見開いた。
「お、お、おおおおお! これは、な、なんということじゃ! 力が体の奥から湧いてくるぞぉおお!」
全身から活力を漲らせるオーサに、周りの船乗りも歓声を上げる。
「流石はミコリンだ!」
「俺! 俺も癒してくれ!」
「ふざけろ! 俺が先だ!」
「み、皆さん、あの、順番に……」
ミヨリに詰めかける男たちが、船長に頭を叩かれる。
「バカ野郎。昼まで待て。ミコちゃん、悪いな。助かったぜ」
「ありがとうのう、ミコリちゃん! 昼までと言わず、一日中でも働いて見せるわい!」
「あ、はい。力になれて良かったです。でも無理はしないでくださいね」
ミヨリの優しい言葉に、船乗りたちが一層盛り上がる。それを見た他の船も、対抗心を燃やして仕事に精を出した。
晴天の下に広がる海の上で、船乗りたちの賑やかな声が響いていた。
事件は帰り道で起きた。
(なんじゃ?)
最初に気づいたのは潜水していたヤクモだった。日が落ち始め暗くなりつつある海中に、尋常ならざる気配を感じ取ったのだ。ヤクモは鞭を船の手すりに絡ませると、腕の力で船上に体を持ち上げる。
「モクヤさん、どうした?」
「敵じゃ。それもかなり厄介そうじゃな」
「なにっ!?」
「全ての船に伝えよ。一波乱ありそうじゃとな」
「お、おう!」
それだけ伝えて、ヤクモは再び海の中に入った。気配は益々大きくなり、その姿も朧気ながら見えてくる。
(……黒い服に、仮面? 人間か?)
水の流れがあるはずの海中で、その者は衣服を揺らすだけでその場に留まっていた。その腕がゆっくりと持ち上がる。
(なにっ!?)
ヤクモに向けられた手から、黒い魔弾が射出される。船に当てるわけにはいかないと、ヤクモは腕で防ぐ。
(く、中々に強い!)
痛みに顔をしかめながら、鞭を振るうヤクモ。鞭は真っ直ぐ相手へと向かい――
(なっ!?)
当たる直前に軌道を変えた鞭の先端を、相手は掴んで止めた。驚異的な反射神経と運動能力だ。
(ならば!)
船から離れたヤクモは鞭に魔力を送り、掴まれた先端を中心に回転することで相手を拘束しつつ距離を詰める。
(くらえっ!)
勢いをつけた膝蹴りが後頭部に吸い込まれる。海中であるにも関わらず、ヤクモの膝に強い衝撃が走った。つまり相手もそれだけの力を受けたことになる。
(バカな……!)
しかし相手は何事もなかったかのように、鞭の先端から手を離して、そこから魔弾を放つ。狙いは近くを通る船の底だ。
(くっ!)
ヤクモは外套の内側からもう一つの鞭を取り出すと、腕を振るって魔弾を撃ち落とす。
(っ!? しまっ――)
意識が魔弾に向かった瞬間、拘束されたままの相手が背後のヤクモとの距離を詰める。
「ごぼっ!」
ヤクモの顔面に裏拳が入る。怯んだ隙に手を取られ、鞭による拘束が緩んだ。
「がはっ!」
すかさず手を支点に体を回転させた相手の肘が、ヤクモの背中に突き刺さる。ヤクモは痛みに空気を吐き出しながら、後ろに蹴りを繰り出した。蹴りを食らった相手とヤクモの間に距離ができる。
(水中での動きとは思えぬ! ここで戦うのは不利か!?)
息をするためにも海から出ないといけないヤクモは、鞭を海面へと伸ばす。船の錨に巻きついた鞭を縮めながら、緩んだ拘束を締めて相手もろとも海上に出た。
「失せよ!」
その瞬間に腕を振るい、拘束を解いた相手の体を空へと投げ飛ばす――!
(ちぃっ!)
しかし鞭を掴まれたことで失敗に終わる。ならばそのまま海に叩きつけようとするも、肩から肘にかけての拘束を残した相手は徐々に速度を落とし、ついには空中で止まってしまった。
(足から何か推進力を出しておるのか?)
甲板に上ったヤクモが滞空する相手を観察する中、異常に気づいた船乗りたちが声をかける。
「モクヤさん!?」
「あ、あいつは一体……!?」
「敵じゃ。奴は我がなんとかする。お主らは全速力で船を走らせよ!」
「は、はいっ!」
会話を交わしている間にも船は動き、ヤクモと共に拘束された敵も移動する。
(何故動かぬ? 空中ではそこまで自由が利かないのか?)
敵の放つ魔弾を自由な方の鞭で弾き飛ばしながら、考えを深めるヤクモ。
(であれば、暫くはこの状態を維持しておけば良さそうじゃな。奴も絶えず浮遊していられるわけではあるまい。落下の隙を狙い、倒せずとも正体を明かすくらいは――)
「魔物だっ!」
「なにっ!?」
先頭集団から悲鳴で、思考が中断される。そのタイミングを狙って、敵が新たな魔弾を放った。
「くっ!」
何とか
こうなれば。ヤクモがそう考えた時にはもう、彼女は行動に移していた。
「『退魔結界』!」
船首に立ったミヨリが、両手を前方に高く掲げる。その先に現れたまばゆい光の膜が大きくなり、やがて船の前方を覆った。光に触れた魔物たちは、火傷のような傷を負い、怯んだところに船の体当たりを受けて次々と弾き飛ばされていく。
「お前らぁ! 俺たちの、いや、ミコリちゃんの後に続けぇ!」
「うぉおおお! ミコリーン!」
「ミコちゃんの尽力、ぜってぇ無駄にするもんかぁあ!」
ミヨリの活躍に、船乗りたちが気炎を上げる。船団の速度は遅くなるどころか加速していった。
(良かった……。この調子なら……)
みんな無事に帰れる。ミヨリがそう思ったその時、何かが海に落ちる音が響いた。
「えっ?」
否。それは海からそれが飛び出した音だった。
黒衣を纏う無地の面をつけた敵。ヤクモが相対しているのとは別の個体が、ナイフを手にミヨリへと襲いかかる!
コォン!
「きゃあ!」
ガラスが割れるような音と共に、ミヨリと、間に入って防御結界を張ったキュウビが突き飛ばされる。
「ミコちゃん!」
「てんめぇっ!」
用心棒が一人、敵に向かって突進する。体格で勝る彼は大槌を振りかぶり、脳天を叩き潰そうとして、
ゴトン
「あ、え……?」
大槌が地面に落ち、両肩と両足から、血を吹いた。崩れ落ちる体の向こうに、赤く濡れた刃物を持つ敵の姿がある。
「あ、やめ、ぁあああああ!」
痛みと恐怖で青ざめる男の眼前で、敵はナイフを振り上げた。
「ダメッ!」
振り下ろされる寸前、杖の先端が敵の肩口に向かう。敵は肩を引いて衝撃を受け流すも、掴もうとした時には既に、杖はミヨリの手元に戻っていた。
「やぁあっ!」
気勢を言葉にし、ミヨリは前進しながら杖を振るって攻撃する。しかし決して勢い任せでなく、最小限に近い動きで杖を操るミヨリに、得物のリーチで劣る敵は守勢を強いられた。
「タマモ!」
敵が距離をとったところで、ミヨリはキュウビに声をかける。防御結界により大した傷を負わなかったキュウビは
「……『ダークボルト』」
「っ!」
敵が空いている方の手から魔弾を放つ。ミヨリがそれを弾いた隙に、敵は海へと身を投げた。
「陸地だ! 陸地が見えたぞ!」
派手な水音に続いて、船乗りの声が響く。ミヨリもまた、遠くにセブンブリッジの街が見えてきたことに気がつき、息をついた。
(あ、いけないっ)
しかし、まだ危険が去ったわけではない。安心するのはまだ早いと、ミヨリは自分に言い聞かせる。
「モクヤさん!」
悲痛な叫びが上がったのは、その直後だった。
「遅かったな」
砂浜に上がると、先に到着していたムシクが声をかけてきた。
「一度沖の方に逃げたからな。お前だってまさか、真っ直ぐここに移動してきたわけじゃないだろ?」
「ふん。それで、目的は達したんだろうな?」
「腕と足を両方折ってきた」
「……それだけか?」
「ああ。十分だろ? 目的は殺しじゃない。船乗りたちの心を折ることだ」
「不十分だ。その程度の傷、魔法ですぐに治されるぞ」
「治されたところで、漁にはもう出られないさ。あいつ以上の実力者が出てこない限りな。そういうお前はどうだったんだ? 俺の仕事を不十分というくらいだ。さぞかしご立派な成果が得られたんだろうな?」
「……僕の仕事はお前の見張りだ」
「ふっ、そうだったな」
ムシクは舌打ちをすると、踵を返す。
「ローゼビスタ様に報告する。行くぞ、ガルフ」
「ああ」
西日と共に、二つの影が消えた。
◇ ◇ ◇
セブンブリッジの裏で起きている問題、その解決に向けて派遣されたマーカス隊は、先に現地に入っていたエルシオ隊に、集めた情報を報告した。
「以上が、俺たちの調査結果です」
「うん、よく集めてくれた。これでいよいよ行動に移せる」
上級冒険者のエルシオは、
「明日の夕方、またここに来てくれ。協力者全員に、この街を救う作戦を伝える。君達にも重要な役割が与えられるから、体調を整えておくように」
「はい」
一礼をしたマーカス隊の面々は、空き家を改装した拠点から外に出た。
「……ついに、動き出すのですね」
「ああ。我らも先輩方の期待に応えるため、一層気を引き締めよう」
「そうだな。明日の準備をしたら、今日は早く休もう」
マーカスの言葉に、二人が頷いた。
◇ ◇ ◇
(明日の準備って……何をすればいいんだ? こんな実力で、魔物の巣窟に向かうなんて、どう考えても自殺行為だってのに……)
(作戦行動中は、常にも増してマーカス殿を補佐しなければな……。先輩方の邪魔になるわけにはいかぬ)
(また薬草を買い足しておかないといけませんね。どうにかお安いお店を見つけられるといいのですが)
三者三様の悩みを抱えるマーカス隊は、暗くなりつつある街を歩くのだった。
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