予想外の来店者
それはヤサカニ村から出た後、僅かにレベルが上がったことで得られた感覚だった。ゲームにはレーダーのように接近する魔物を表示する機能が備わっていたがそれに似た能力で、周囲の魔物や人間の数や実力を、完全にではないが感覚的に捉えられるようになったのである。
故にバルコーは、酔っ払いたちの攻撃を無防備に受けることができた。相手のレベルが自分より遥かに低く、与えられるダメージも大したことないと分かっていたからだ。
しかし今近づいてきてる相手は、バルコーほどではないとは言え、ここの男たちとは比較にならないほど高いレベルを持っているようだった。バルコーはグラスを置いて、扉を注視する。
(やっぱり、あのキャラクターのレベルにしては高い気がするな。ヤクモさんと同じように、シナリオに関わらなければ強いという可能性もあるけど、可能性はそれだけじゃない。最悪、戦闘も覚悟しておくか)
頭の中でいくつかの展開を予想して備えるバルコー。やがて、木の扉が開かれる。酔っ払いたちは僅かに肩を震わせながら、視線を恐る恐る来訪者に向け、
「ギャウ」
「………………」
明らかにサイズの合っていないローブを纏い、汚れないよう裾を手に持った、フードを深く被るオニマルの言葉に、完全に絶句した。
(な……んでここに!?)
それはバルコーもまた同じだった。この展開は完全に予想外だった。
「ギャウ!」
どう見ても酒が飲める年齢には達していないオニマルは、バルコーを発見すると真っ直ぐそちらへ向かう。客が混乱する中、誰よりも早く我に返ったバルコーが声を上げる。
「おお! 来てくれたのか!」
「ギャウ!」
「はは、そんなに名前を呼ばなくても聞こえるって」
バルコーの知り合いだと理解した瞬間、酔っ払いたちの心の中に芽生えた嗜虐心は完全に消し飛んだ。そのため、利口にも道を空けた男たちは誰一人、オニマルに突き飛ばされることにはならなかった。
「よく来てくれたな。今水を持ってくるから、静かにして、待ってるんだぞ」
口の前で人差し指を立てるバルコーに、オニマルは無言で頷いて、少し高い椅子に座る。
それを見届けたバルコーは立ち上がると、さも知り合いが来てくれて嬉しいといった表情で焦りを隠し、カウンターへと向かう。
(誤魔化せたか……? 魔物だとか誤解されてなきゃいいんだが……)
バルコーの存在がマーカスたちに知られるのは禁物だ。行く先々で自分たちを助けてくれる謎の人物がいると思われるだけでも危険である。故にバルコーは、目立たず、影ながら、間接的に支援するよう心掛けている。注目されるという事態はできるだけ回避したいのだ。
なのに騒ぎを起こしてしまい、更にあろうことか、角が露見すれば魔物認定待ったなしのオニマルまで現れてしまった。魔法が使えるだけでなく、魔物とも知り合いであると見なされれば、いよいよこの街で動くことができなくなる。
そこでバルコーは、オニマルが唯一発することのできる言葉を自分の名前と思わせ、客の違和感を払拭し追求を逃れようとしたのである。
それが上手くいっているかどうか不安になりながらも、笑みで仮面をしたバルコーはバーテンダーに話しかける。
「水を、って、もう用意してくれているのか。気が利くな」
「はい! 当然です!」
「ああそれと、紙とペンを売ってくれないか? 代金なら払うから」
「紙とペンですね! すぐにお持ちします! 代金も要りません!」
「いや、それは悪い。せめて気持ちだけでも受け取ってくれ」
「ありがとうございます!」
(キャラ変わりすぎだろ……)
深く頭を下げるバーテンダーに背を向け、バルコーは席に戻る。オニマルは言われた通り、一言も発することなく待っていた。
「お待たせオニマ――シュテン」
人の噂に上がってマーカスたちに聞かれても問題ないようあらかじめ決めておいた偽名を口にするバルコー。呼ばれたシュテンことオニマルは無言で頷くと、バルコーに手渡されたグラスを両手で持ち、水を飲む。子供にしか見えない式神は、長すぎる袖に苦労しているようだった。
「……話を聞く前に、服を取り替えるか」
水を
元が半袖半ズボンのオニマルに、大きめのポンチョは似合っているように見えた。そのことに満足し、自らも顔を隠しやすいようローブを着ようと動かした手が、突如止まる。
(これって、ミヨリさんが着けてたんだよな……)
勿論服の上からではあるが。少しの間悩んだバルコーは、ここで怪しまれるわけにもいかないと、意を決してローブに袖を通す。
(な、なんかいい香りがするような……ええい、煩悩退散、煩悩退散っ!)
自制心を働かせ劣情を抑えたバルコーは、一息つくとようやく本題に入る。
「どうして俺がここにいるって?」
バルコーの問いに、オニマルは筆談で答える。キュウビもそうだが、彼らは言葉を話せないだけで、理解はしているのだ。
『キュウビにつれてきてもらった』
「おおう……」
バルコーの脳内に、道行く人に驚かれながらその足元を駆けるキュウビが思い浮かぶ。騒ぎになってないといいが、と思いつつ、次の質問をした。
「どうして俺を追ってきたんだ?」
『しんぱいだったから』
「それは、ミヨリさんの気持ちか?」
『ちがう』
オニマルはムッとした表情になって、書き連ねる。
『おれも、きゅうびも、やくもも、ぜんいんがしんぱいだった』
「……そうか」
速筆で書かれた文字を見たバルコーは、嬉しいような申し訳ないような、複雑な気持ちになる。
『おれにできることはおおくないかもしれないし、じゃまになるかもしれない。それでも、おまえがひとりできけんなばしょにいくことをおれたちがどうおもったか、ちゃんとつたえたかった』
もしおれにできることがなければかえる。そこまで書いて、オニマルはバルコーの言葉を待った。
言ってくれれば良かったのに、とは返せなかった。それはバルコー自身にも跳ね返ってくる言葉だからだ。心配させまいと多くを語らなかったのは、バルコーも同じだった。
バルコーを信じていないわけではない。しかし何もせずにいるのは不安だ。そんな彼女らの葛藤が背後に見えるオニマルの来訪を、バルコーは無下にできなかった。
「……そうだな。俺一人じゃ不測の事態に対応できないかもしれない。今更頼って悪いが、シュテンが良ければ、協力してもらえるか?」
それを聞いたオニマルは、にっと笑みを浮かべて頷いた。
『もちろんだ。まってろ、このことをきゅうびにつたえてくる』
そう書くや否や、オニマルは紙とペンを手に入口へと走っていった。キュウビを外に待たせているようだ。目立つことにならなければいいが……と鈴の鳴る音を聞きながらバルコーは祈る。
(ミヨリさんには負担を強いることになるな……っと、戻ってきたか)
それから少しもしない間に、強い気配が戻ってきた。扉が開き、再度鈴の音が店内に響く。
「っ……!」
しかしそこにいたのは、オニマルではなかった。
「………………」
全身を黒いローブで覆い、のっぺらぼうのような白い仮面を被ったその人物は、無言でカウンターへと歩む。その異様な雰囲気に酔っ払いたちは、通りやすくなるよう自然と道を作る。そしてその人物が通りすぎてから、またバルコーの知り合いかと彼に視線を向けた。
バルコーは特に反応せず、謎の人物の様子を観察していた。
「尋ねたいことがあるのだが」
「は、はい、なんでしょう?」
男性のものとも女性のものともとれない、中性的な声音だった。話しかけられたバーテンダーも不気味に思っているのか、注文を聞くより先に質問に答える姿勢を見せる。
「エルドという者を探す男が来なかったか?」
「え、エルド? そんな名前……あっ」
男は反射的にバルコーの方に目を向けてから、誤魔化すように視線を泳がす。客の何人かもバルコーに視線を向けかけ、咄嗟に逸らした。
「来たのか?」
「ええ、まあ、来たには来たのですが、その男がどうかしましたか?」
「質問にだけ答えていろ」
「ひぃ!」
「エルドか?」
ピタ、と動きが止まり、
「尋ねておいてその態度はないだろ。俺ならここだ」
「………………」
仮面の人物は全く音を立てずにバルコーの席へと足を運ぶ。
「おいおい、ここは酒場だぞ。何か注文してから来てくれ」
地面に触れる直前の足が止まり、カウンターへと戻る。
「水を」
「はい!」
男が注いだ水を手に、感情の見えない人物は再び席へと向かう。
カランカラン
とそこに、オニマルが戻ってきた。一度立ち止まった謎の人物はオニマルを一瞥してから、歩みを再開する。オニマルも相手を警戒したのか、距離をとってその後を追う。
「よく来てくれたな、エルド」
立ったままの人物、エルドに、バルコーは知り合いに向けるような言葉をかける。ここに至るまでの動作、水面を全くと言っていいほど揺らさない器用さ、そしてバルコーだから分かる、魔物の匂いの無さから、相手が探し求めていた人物であることを確信したためだ。
エルドは水をテーブルに置くも席につこうとしない。オニマルの足も止まった。
三人の形成する張り詰めた空気に、酒場の客たちは息を呑む。
「貴様は何者だ?」
「俺はガルフ。観光客だ。後ろのシュテンもな」
流石にギャウでは安直すぎるとそれっぽい名前を口にするバルコー。オニマルを手で示す彼から、エルドは顔を背けない。
「観光客が、何故僕のことを知っている?」
「エルド自身のことは知らない。ただ、腕のいい盗人がいるとは聞いていたからな」
言いながらバルコーは、財布をテーブルの上に出す。
「餌をちらつかせれば、かかると思ったんだ」
「ふん……」
エルドもまた、懐から同じデザインの財布を取り出してテーブルに置いた。それは、バルコーがわざと盗らせたものである。彼はそこにエルドに対するメッセージを入れ、今夜のこの場所に呼び出したのであった。
「それで、わざわざ来てくれたってことは、依頼を聞いてくれる気があると期待していいのか?」
「聞くだけ聞いてやる。話せ」
「あの島に行き――」
「ギャウ!」
首を狙ったナイフを、グローブに包まれた手ごと掴んで止めたバルコーは、もう片方の手でオニマルに留まるよう伝える。一拍遅れて、恐怖の叫び、荒々しく席を立つ音が続く。
「落ち着けよ。ここで暴れちゃ、お前の敵に感づかれるかもしれないぜ?」
「……貴様はそうではないと?」
「そうだったら今頃、お前は大事な商売道具を失っているところだ」
バルコーは一度強く握ってから、手を離す。エルドは暫く腕を動かさなかったが、やがて得物を袖の中にしまい、バルコーの向かいに座った。
「シュテン」
手招きされたオニマルは、エルドを警戒しながらバルコーの隣に座る。役者が揃ったところで、バルコーは一層声を潜めて話を進めた。
「まあ警戒するのも分かる。今じゃほぼ閉鎖状態と言っていい五つの区域、その内の一つにかつての大富豪が隠した遺産があるなんて、普通は知り得ないからな」
「……貴様は、どこでそれを?」
「独自の情報網を持っていてね。それでまぁ、俺もそこに用があるわけだが、目立たずに侵入するためにはどうすればいいか悩んでいたんだ。このあたりの地理には明るくなくてな」
「僕に侵入を手伝えと、そういうことか」
「その通りだ。お前なら関係者に悟られずに島に上陸するルートの一つや二つ、考えてあるだろうと思ってな」
「………………」
エルドは暫く沈黙してから、疑問を口にする。
「何が目的だ?」
「わざわざ訊くまでもないだろう? 宝の確保さ」
「その宝とやらを、僕が狙っているとは考えないのか?」
「なんだったら、半分をお前に託してもいいぞ。俺が絶対に譲れないのは一つだけだしな」
「一つだけ……? 一体何の――」
「俺のことなんかどうでもいいだろ」
バルコーは声を低くして、エルドの追及を止める。
「依頼を受けるのか、受けないのか、それだけだ。前金はこの財布の中にあるカネ全部。成功報酬はその倍を払おう」
「………………」
エルドは黙って財布の中身を
「交渉成立だな」
「準備に二日もらう。三日後の夜、またここに来い」
「ああ」
バルコーが応えるよりも早く席を立ったエルドは、そのまま店を後にする。
(ふう……緊張した。とりあえずあの島に行く算段がついて良かったな)
乾いた口を、エルドが一口も飲まなかった水で潤す。そんなバルコーを、オニマルは心配そうに見上げた。
「大丈夫だ、シュテン。きっと上手くいく」
その頭に手を置いて、バルコーは自分に言い聞かせるように言うのだった。
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